第1章 夢のはじまり (3)
この話を聞いたとき、少年は少し複雑な気持ちになった。この鐘の持ち主は、果たして本当に幸福な人生を生きていたと言えるのだろうか。たとえ本人が幸せだと思っていたにしても、少年の心には、それがニセモノの幸福であるようにしか思えなかった。人は、時には苦しんだり、時には悲しんだりして生きていくのであって、だからこそ人は幸せを求めるのだろう。だからこそ幸せの本当の価値を知ることができるのではないだろうか。悲しみや苦しみから目をそらし、ただニセモノの幸福だけを信じて生涯を終えていったその人に対し、少年は強い哀れみの感情しか持てなかった。『幸せの鐘』という名前とは裏腹に、少年にはその鐘が、とても悲しい物に思えて仕方がなかった。
「うーん。せっかくだけど、僕の趣味には合わないかな・・・。
ところで、そこにある小剣なんて、とても上品な造りで高価そうですね」
少年は、別の棚の品物へと話題を変えた。それは女性用に造られたらしい銀製の美しい小刀で、柄には精巧な装飾が施されている。少年が近づいてよく見ると、柄の部分には、美しい女性がバラの花束を抱えて優しく微笑んでいる姿が刻まれていた。
「はい。これもたいへん面白い品物です。この小刀は『偽善』という銘をもつ小刀です。護身用に打たれたこの剣は、その細く鋭い刃で人の心を切り裂く妖剣と言われております。
不思議なことに、この小刀は決して人の体を傷つけません。切られた者はその心に深い傷を負いますが、外見上は何の怪我もないので、本人ですら切られたことに気づきません。ですからこの小刀で人を傷つけても、誰からも咎められることはないのです。たとえ身を守るためとはいえ、剣で人の体を傷つけるというのは、高貴で優しい女性にはなかなかできるものではありません。高貴な女性というのは、とても哀れみ深く、たとえ相手が誰であろうと血を流すということを嫌うものです。しかしこの剣があれば、一滴の血を流すこともなく、相手の心を思うがままに切り裂くことができます。斬られた者は、決して癒えることのない心の傷に一生涯苦しむことになりますが、心の傷など所詮は目に見えないものですから、切ったほうは良心の呵責に苦しむ必要もありません。まさに心の優しい貴婦人にこそふさわしい剣と言えるでしょう。
この刀の前の持ち主は、たいへん美しい温和な女性で、周囲の誰からも愛されるとても評判の良いお方でした。そう、まるでこの刀の柄に描かれている女性のような方でした。彼女は、いつも笑顔を絶やさず、決して人を怒ることのない優しい方だったと聞いております。でもなぜか、彼女の周りには不幸や悲しみ、そして憎しみと苦しみと欺瞞が満ちあふれていました。もちろん、それはただの偶然で、それ以上の理由は何もないと信じておりますが・・・。
まぁ、この小刀は見かけ以上に危険な物のようですから、お客さまのように前途ある若者には、あまりお薦めの品ではないかと存じます」