第3章 星のかけら (4)
「ではそろそろ行くぞ。テリトリーを出る。私についてくるのだ。おまえは私のあとに着いてくることだけを意識しろ。
いいか、これから数限りない空間を一瞬で通り抜ける。私から、決してはぐれるなよ。迎えに行くのが面倒だからな」
そう言うと、ムーンライトはスタスタと歩き始める。校庭を歩くその姿はまるで散歩でもしに行くかのようだ。僕はすぐにムーンライトの後を追いかけた。ムーンライトは校門を何事もないかのように通り抜け、学校前の街並みの中をゆっくりと歩いていく。
ムーンライトにくっついて僕もゆっくりと街の中を歩いていった。しかしまわりの景色はものすごい速さで流れていく。まるで高速道路を最高速度で走っているかのようだ。まわりの景色が流され、やがてその速さが限界までくると景色は溶けるようにして無意味な模様となっていった。僕はムーンライトにはぐれないよう、必死の思いで彼女の後を追う。
「ねぇ、ものすごい速さで移動してるみたいだけど、キミはどんなところにでも一瞬で移動できるの?」
「移動できるのは、その場所が分かっているときだけだ。夢の世界では、現実でいうところの〈距離〉という概念はない。〈どこ〉という概念だけだ。だから場所さえ分かっていれば、どこにでも一瞬で行くことができる。逆に言えば、場所が分からなければ、歩くか別の移動手段を使うしかない、ということになる。
フィールドは、場所すら不安定で、何もかもがあいまいだ。とても危険で普通ならこのような移動はできん。しかし私は一度そこに足を踏み入れた。その時、私のとても大切な物を、心ならずもそこに置いてきてしまったのだ。私の命の次に大切な物だった。
さっきは「たまたま」と言ったが、実は私がその空域から出られたのは偶然ではない。その大切にしていたある物が、私を外へと導いたのだ。そのとき、私は生きることの代償として、その物を失った。その領域に残してきてしまったのだ。私は、いまでもそのことを悔やんでいる。後悔と喪失の念が胸の中から消えぬ。私の胸の中には、その物への強い思いが絆として残っている。
だからこそ、私はその物の存在を今でも感じることができるのだ。その空域がどの世界に移動しようとも、その物がどこにあるのかだけは感じ取ることができる。もし、万が一おまえがそれを・・・ ・・・、いや、何でもない・・・」
ムーンライトが言葉を途中まで言いかけ、そしてやめたときには、もう彼女は歩みを止めていた。それまで溶けるように流れていた景色の様子が、一変して、白一色の霧の景色へと変わる。霧に包まれて周りには何も見えない。足元はゴツゴツとした岩だ。もし霧が晴れていたら、この辺りはかなり危険な岩場か崖のような場所なのかもしれない。
「さて、着いたぞ。ここが問題の場所との境界だ。
ここから先に私が進もうとすれば、世界の境界であるこの空間に歪みが生じて、ゲートが開く。おまえの目には、暗い穴か、小さなトンネルのよう見えるはずだ。私はここに残り、おまえは先に進む。何も質問がなければゲートを開くが、覚悟は良いか?」
「覚悟はいいけど、一つ聞き忘れてた。
僕はキミにムーンライトっていう名前を付けたけど、キミは僕に名前をくれないのかい。いつまでも〈おまえ〉っていうのも、どうかって思うんだ。たとえば遠くから、〈お~い、おまえ~〉って呼ばれるのも何か変だよね」
「ああ、そういえばそんな約束もあったな。
まぁ、私としては〈オマエ〉でも十分な気もするが、もう少しましな呼び方も考えておこう。
だが私の仮名を命名したときの、あの奇妙な現象が今でも気にかかるのだ。そもそもあんな形だけの契約では、何も起こるはずはないのだ。あれが何で、なぜ起こったのか。それが分かるまで、仮名については少し慎重になったほうが良いのかもしれん・・・。
さて、おしゃべりはここまでだ。そろそろ道を開くぞ。
中へ入ったら、まずは小鬼に注意しろ。もし奴らに出くわしても、戦おうだなんてゆめゆめ思うでないぞ。すぐに隠れるのだ。それにもし最悪、手ごろな武器が何も見つからなくても、時間がたったら戻ってこい。よいな」
そう言うとムーンライトは目の前の空間に向って一歩踏み出した。すると彼女の前にはひと一人が通れるほどの黒いトンネルのような空間の歪みが現われた。これがムーンライトの言っていたゲートなのだろう。ゲートの向こうには何があるのか。僕は冒険の始まりを予感して、胸の鼓動が熱くなる。どうせなら強い武器が欲しい。新しい出会いの予感に胸を躍らせながら、僕はゲートに向って歩き始めた。