第2章 ムーンライト (8)
「あらっ、白猫さん、まだそんなところにいたの? 」
リリスの声はちょっと、いや、かなり剣呑だ。だが白猫には、そんな彼女の声など気にもならないようだ。
「わたしはただの見物人だからな。もちろんここで楽しく見物していたさ。いやはや、まったく本当に面白い見物であったぞ。こんなに面白いことは数百年ぶりだ。
ところで女よ、このあまりにも無知で、あまりにも愚かなウォーカーに代わって、1つ2つ尋ねてもよいか?
最初のところで説明がなかったようだが、おまえはどうやって、こやつテリトリーに入ってきたのだ? 人間が他者のテリトリーに入るには、普通は契約の絆を媒介にするか、使い魔の導きが必要なはず。おまえは使い魔を連れていないし、この者と契約もしていない。これはいったいどう説明すれば良いのか、是非とも知りたいものだ。
それと、おまえはこの若きウォーカーを以前から知っていたかのようなフリをして現われたが、最初、おまえはこの者の名前すら知らなかったようだ。さりげなく名前を聞き出そうと頑張っていたようだが、以前から知っていた者の名前を知らない、というのは大きな矛盾ではないのか。色仕掛けにはまっていたこの愚かなるウォーカーは、それに全く気づいてもいないようだがな。
それとついでに言えば、この若きウォーカーに「何も失うものはない」とか言っていたようだが、人間の最も強い感情である《愛情》を契約の呪にすることが、どれほど危険な行為か教えてやらなくても良かったのか? それは対等な契約ではなく、むしろ相手を呪縛し、束縛する時に使われる呪いだとばかり思っていたのだがな」
えっ・・・・?
? ? ? ・・・
え? え?? え~~~~!!!
ちょっと待って!! 突然語りだした猫の言葉に、僕の理解が追いついていかない。
そもそもこれは僕の夢で、すべては僕の記憶と想像力が生みだした空想のはずだ。目が覚めると、すべてが消えてしまう無意味な世界、それが夢だ。しかし白猫が話す言葉は、もはや僕の理解力と想像を超えている。「呪」とか「束縛」とか、なんか怖いことを言っているし、〈色仕掛け〉なんて大人の世界の話だとばかり思っていた。これは本当に僕が空想で創りだしている夢なんだろうか?
でも白猫が言う事は、考えて見ればどれも思い当たる節がある。ついさっきまで僕は彼女と契約する気になっていた。契約というものが何なのか、まだほとんど何も知らないのに。それに猫が言うように、僕は女の子から言い寄られて、かなり舞い上がっていたような気もする・・・。リリスに抱きつかれたときは胸がドキドキだったけど、これが色仕掛けというなら、やっぱり僕は罠にはめられていたんだろうか。彼女みたいに美人で可愛い子が、いきなり僕のことを好きだったというのも、かなり調子の良い話ではあったが・・・。
「伊藤くん、猫の言葉なんかに騙されないで!
私が伊藤くんのことを大好きなのは絶対に本当なの。だから私を信じて! 伊藤くんのテリトリーに入って来られたのだって、私がいつも伊藤くんのことを強く想っていたからだわ。伊藤くんは知らないだろうけど、想いを通わせる者同士の夢、つまりテリトリーは、強く引き寄せ合って結合するの。日本では昔から、この現象を「夢の浮橋」という言葉で言い伝えてきたわ。強い想いさえあれば、契約とか使い魔とか、そんなもの本当は必要ないの。
私が伊藤くんに言ったことだってみんな本当のことよ。私と伊藤くんの二人ならどこにだって行けるし、何だってできるわ。もし伊藤くんに危ないことがあっても、私が絶対守ってあげる。だから伊藤くんは私と一緒にいるべきなの。
それに、その白猫はとても危険な存在だと思うの。騙されちゃダメ。さっきその猫が言っていたことを良く思い出してみて! 伊藤くんも聞いていたでしょ。〈こんなに面白かったのは数百年ぶり〉とか話してたわ。もしかしたらこの白猫は、何かの悪霊とか夢魔とか、そんな忌まわしい存在かもしれないわ。
それにこの白猫は、あなたの使い魔になる気はないって言ってた。これ以上、その猫に関わるのはやめて」