13-2
悪夢のような光景はアイリ達をも戦慄の中に沈み込ませていた。
決闘場内にいるシン達に比べて距離が離れていた為、その影響はそれ程大きくは無かったが、身体は自然と震え、ミランダなど立っている事も出来ず、身体を抱えてしゃがみ込んでしまう。アイリも似たようなもので、ガクガクと震える自身の身体をギュッと抱き締め、泣き叫び出したい衝動を無理矢理抑える。しかし気丈な振る舞いとは裏腹にその瞳からは意志とは関係無く涙が溢れてくる。
「バ、バカな……悪夢…だと……」
ミルスラが恐怖に目を見開いて呟く。
彼の持つ知識ではその存在が最後に確認されたのは500年以上も前の話だ。
魔動王国が滅亡した原因に悪夢の存在が関与していたという伝承が残っている。
長細い手足と赤黒い水晶球のような胸の核。
決闘状に姿を現したそれと、サイヴァラス聖教国に伝えられている悪夢の姿は、若干の差異が認められるものの酷似していた。
だから悪夢であると直感的に理解した。
悪夢がどういう存在なのか、何故その存在が生まれるのか、何のために存在するのか、全くの不明。
ただはっきりとしている事は世界に恐怖を振り撒き、全てを無に帰すという事だけ。
「あ、あれを…ご存知……なのですか」
アイリはミルスラの呟きを先程までのように聞かなかったとする事は出来なかった。
目の前で起きている現実を説明出来る人間がいるなら、誰でもいいから、何でもいいから教えて欲しかった。
だからアイリは恐怖に震える口を無理矢理にでも開いてミルスラに尋ねる。
「……あれは悪夢という、かつて人の天敵と言われた恐怖の存在です。あれの存在は我らサイヴァラスの高祭と各国の王にしか知らされていない事実です」
事ここに至っては隠し立てする理由は無い。
そして例え知ったとしても、悪夢に出会ってしまった以上、無事では済まないだろう。
だからミルスラは自身が知る全てを話す。
「悪夢の姿は人の悪意を煽り、その声は恐怖を振り撒く。そして全てを無に帰すと伝えられています。500年前に魔動王国がこの世界から忽然と姿を消したのは悪夢のせいだという伝承が残っている程です」
「そ、そんなものが……」
その説明だけでアイリには悪夢という存在がどれだけ危険でどれ程恐ろしいものかを理解する。
魔動王国は一夜にしてこの世界から消滅した。
後に残ったのは広大な不毛の地と大気を漂う毒素のみ。
500年の時が流れたにも関わらず、薄まっているとはいえ未だ毒素は残っており、大地は草1つ芽生えようとはしていない。
現在の技術を超える魔動具や魔動機兵が発掘される事から、危険を承知で魔動王国跡地へ向かう者も多い。
その原因を作ったのが悪夢という存在。
確かにこんな存在は秘匿しなければいけないだろう。
このような存在がいる事を公表する等、ただ闇雲に世界を混乱させるだけである。
何時何処に現れるか分からない脅威に怯え、恐怖しながら生きていかなければいけないだろう。
もしかしたら一生出会う事の無い存在かもしれないのにだ。
現にこの500年の間は悪夢の存在は確認されていない。
だがその存在は今、現実に目の前に存在している。
「……これが運命という事ですか……」
ミルスラは恐怖を感じながらも、その表情は穏やかだった。
悪夢の存在を目の当たりにした時点で覚悟はしていた。
元々、サイヴァラス聖教に入信した時点で俗世を捨てた身だ。一度死んだようなものである。
ミルスラはまるで悟りを開いたかのように死を受け入れようとしていた。
もしミルスラの言う通りであれば、この周辺は魔動王国の二の舞となるだろう。例え今からこの場を逃げ出したとしても間に合う保証は無い。
だがアイリは生きる事を諦めない。
なぜなら彼らがまだ戦いを続けているから。
彼女が愛したシンがまだ諦めていないから。
「シンさん。私はあなたを信じています」
そう自らに言い聞かせ、視線を決闘場へ向ける。
アイリ達の後ろでミルスラの弟子の2人はこれまでと全く変わらない調子で小さく呟く。
「悪夢はこの世界の理から外れた存在。それに元々資格者というのはこの世界の理から外れた存在だ。恐らくはあの資格者の娘は、この世界を拒絶したのだろう。あの娘の心の闇が悪夢を産み出したというわけか」
「うふふ、そうね。調和の崩れた世界と理から外れた存在。その二つが悪夢を産み出す。けどあれはまだ完全な悪夢という訳では無いわ」
その言葉は2人以外には届いていない。
「そういえばアルザイルの副大臣さんは戻ってこないわねぇ」
「既にこうなる事を予想して逃げ出したんだろう。あの皇子なら悪夢の存在を知り得ていてもおかしくは無いからな。それにこの場に居なくても皇帝が崩御して急いで戻ったとか言い訳はいくらでもあるしな」
「まっ、あんな小物は別にどうでもいいわ。それでもう1人の資格者はどうするのかしら?」
「この程度の悪夢相手に死ぬのなら、それまでだったという事だ」
「あら?冷たいわね。あなたはあの子を護ってるって聞いたんだけど?」
「どこから聞いたか知らないが、俺は我らの役に立つ資格者として成長するよう促していただけだ。資格者の存在は貴重だからな」
「ふふふ。そう言う事にしておいてあげるわ。それじゃ、折角だしゆっくり見学しましょうか。悪しき夢が消えるか、この地域が消えるまでね」
そして2人は会話を終え、視線を悪夢へと向ける。
決闘場では今まさに3機の魔動機兵が悪夢に向けて突撃を開始する所であった。
*
先陣を切るのはグランダルク。
悪夢が正面から向かい来るグランダルクを貫こうと右手を突き出す。
距離も離れていて、直線的な動きである為、いくら鈍重なグランダルクといえどその攻撃を避けるのは容易だ。
身を屈めてその一撃をやり過ごす。
その間に左右から回り込んでいたシルフィロードとイルディンギア・ラーサーがほぼ同時に悪夢へと仕掛ける。
だがその直前で回転盾に阻まれ、攻撃は弾かれ、左右の腕がそれぞれに突き出される。
シルフィロードもラーサーも僅かに身体を傾けるだけでその攻撃をいなし、再びカタナを、槍を叩き込む。
悪夢の防御が左右に別れた所を狙い、間近まで迫って来ていたグランダルクが大上段から巨斧を振り下ろす。
しかし悪夢はシルフィロードとラーサーの攻撃を両の回転盾で防ぎ、真上から振り下ろされたグランダルクの一撃は両手の鉤爪で防ぎきる。
それでも3機の攻撃の手は止まらない。
グランダルクが巨斧の重量と遠心力を利用して横薙ぎの一撃を放ち、背後に回ったラーサーが槍を構え助走をつけて突撃する。
同時にシルフィロードは頭上高く舞い上がり、左腕から銃弾を連射する。
巨斧と槍は回転盾に阻まれ、銃弾は振り抜かれた腕に弾かれてゆく。しかし10発以上連射した銃弾の一部は腕の防御を擦り抜け、頭部や肩口に突き刺さる。
ようやく本体に到達した攻撃だが、大したダメージを与えるに至ってはいない。しかしそれを見てシンはある確信を得ていた。
前後左右の攻撃に対しては回転盾で防いでいるが、上からの攻撃に対しては回転盾による防御を行っていない。
これは人の形をしているが故の構造上の問題だった。
腕や脚と異なり、肩は可動範囲が狭い。
腰の回転と連動させれば全周をカバー出来る。だが上下に関しては腰と連動させたとしてもかなり傾けなければいけない。
1対1ならばそんな体勢でも次の攻撃までの間に体勢を立て直す事が出来るだろうが、多対1では隙以外の何物でもない。
その為、回転盾による防御を行わないのだろう。
とはいえ、グランダルクの一撃を防いだ事を見ても、盾程ではないにしろ腕の防御力も馬鹿にしたものではない。
そしてもう一つの確信。
『やっぱり奴は動けないみたいだ!』
ここまで戦いを繰り広げながらも悪夢はまるで根を張ったかのようにその場から動かない。
先程、射程外に離れても追って来なかったので、もしやとは思っていたが、悪夢はその場から動けないようだった。
それはつまり絶対防御さえ抜く事さえ出来れば、悪夢には回避する手段が無い事を意味していた。
『2人はそのまま攻撃を!辛いかもしれないけど暫くは耐えてくれ』
シーナを救い出すと決めはしたが、具体的な方法も分からないし、そもそも水晶のようなものの中から助け出す事が出来るのかも不明だ。
だが、シンはやると決めたのだ。
やれそうな事は全て実行してみる。
手掛かりが無い以上、今はそれしか方法を思い付かない。そして何をするにしてもまずは近寄らなければ何も出来ない。
シンはまず操縦席の手元から伸びている縄紐を引っ張る。
縄紐に繋がっていた留め具が外れ、胸部周りに増設されていた耐寒鎧甲が地面へと落下する。
途端に操縦席に冷気が入り込むが、度重なる攻防で火照った身体には心地良い。
更に左腕に持っていた篭手のような銃も取り外す。
余計な重量が無くなり、ほぼ最軽量となったシルフィロード。
その脚部に力を溜める。
『行け!シルフィロード!!』
その言葉と共にシルフィロードの脚部から魔動力の炎が噴き出し、脚力と合わさり爆発的な加速となる。
「ぐぅっ」
シンは歯を食い縛って、押し潰されそうなその加速力に耐える。
グランダルクとラーサーが左右から同時に攻撃し回転盾が防御行動を行う。
その瞬間を狙い、今までで最速の動きで悪夢の目前に迫り、そこから頭上へと飛び上がる。
カタナを両手に構え、最上段から振り下ろす。
もしこれが人間相手ならその攻撃を見切る事はほぼ不可能だっただろう。だが相手は人知を超えた存在の悪夢。
シルフィロードの渾身の一撃は交差させた両の鉤爪によって防がれ、更に薙ぎ払った爪によりカタナは弾き飛ばされてしまう。
だがシルフィロードは止まらない。
武器を持たない右手を突き出し、その胸の赤黒い水晶に向けて手を伸ばす。
だが悪夢はシルフィロードそのものを弾き飛ばそうと腕を振り下ろす。
『邪魔だぁぁぁ!!!!』
シルフィロードの左指の先から魔動力の光が生まれる。指先が高速に動き、ある1つの図形を描く。
左右上部の両端が異様に長く伸びた五芒星。
そしてこの攻撃の直前に、カタナの柄にも同じ図形を描いておいた。
それは物質転移の魔動陣。
同じ魔動陣が描かれてある物は、魔動陣を描いた人物の意志によりどこにあっても呼び出す事が出来る。
そして今、呼び出したのは当然、先程、弾き飛ばされた魔動陣を描いていたカタナ。
宙を舞っていたはずのカタナはいつの間にかシルフィロードの左手に収まっていた。
振り下ろされた悪夢の腕をそのカタナで受け止める。力で押し負けそうになる。
だが、一瞬だけ。悪夢の動きを一瞬、止めるだけ。たったそれだけで十分だった。
そのほんの僅かな時間おかげでシルフィロードの右手は悪夢の胸部にある赤黒い水晶に届く。
触れた瞬間、水晶から闇が溢れ、シルフィロードの右手を通してその全身を覆い尽くした。
*
何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じられない。
上も下も無い闇色の空間の中。
裸身のシーナは抱えた膝に顔を埋めて、ただそこに漂っていた。
自らの殻に閉じこもり、何かを考える事も無く、何かに怯える事も恐怖を感じる事も無い。
その闇に身を委ねているだけでシーナは様々なしがらみから解放され、様々な感情から解放された。
この空間には希望も絶望も無い。安寧と静寂だけが彼女を覆っていた。
身体が徐々に闇に溶けだし拡散していく。
それは彼女にとって寧ろ喜ばしい事であったが、既にそのような感情は抱く事は無い。
何も考えず、何の感情も抱かず、シーナを形成する姿も形も闇に溶けて行く。
このまま全てを委ね闇と同化してしまえば、彼女は静寂の中で永遠を得る事が出来るだろう。
だが、彼女を引き止める存在があった。
何も考える事の無い闇の中、彼女の意識の奥底では1つだけ想いが残っていた。
まるでパンドラの箱の中に眠る希望のように、闇の中にあって、唯一それだけは弱い光を放っていた。
その光が何なのか。
その想いが何なのか。
考える事を止めた彼女にはまるで分からない。
だがその光が彼女が完全に闇に溶け込む事を拒んでいるのは確かだった。
彼女の体が闇に溶け、闇が濃くなっていくに連れ、光はどんどん輝きを増していく。
そして何もない、何も聞こえないはずの闇の中から声が聞こえ始める。
最初は何を言っているのか分からなかった。
雑音のような不明瞭な音。
それが声だと分かったのは感覚的なものだった。
しかしそれは徐々に言葉として明瞭さを増していく。
「………じゃ………て…い…………」
その声に懐かしさを覚える。
「…い……怖……かった……従……」
闇に溶け出したはずの感情が戻ってくる。
「……委………声…………存在………」
光の中に人影が浮かんだように見える。どうやらこの声はその人影からのもののようだ。
「…委員長…………来い……」
かつてそう呼ばれていた時があったのを思い出す。
「今度は俺が委員長に手を差し伸べる番だ!!!」
光の中の人物の声が明瞭に耳に届く。
「いい加減、目を醒ましやがれっ!!水上椎那ぁぁぁ!!!!!」
英雄でも委員長でも無い。
自分が自分であるという確固たるものだと自覚出来る、自身の名を呼ばれ、闇に溶けていた彼女の体は一気にその実体を取り戻す。
光の中から差し出される声の主の手に向けて、水上椎那は俯いた顔を上げ、その手を伸ばした。
クライマックスまでまっしぐら。
次回は7/26(日)0:00に更新。




