10-3
部屋の外を何人かが走って行く音を聞いて、アイリは意識を現実に戻す。
部屋に入ってきた山賊の男が見張りに何かを話しているのを耳を済ませて聞き取ろうとする。
「騎士どもが……王女………山狩り……逃げ…………」
断片的な内容から、恐らくはアイリを人質に使ってこの山狩りの包囲網から脱出しようとしているようだった。
3人がマッドネイル山賊団に捕まったのが山狩り部隊の本隊が出発した朝で、現在は窓から差し込む太陽の傾きから昼頃だと思われる。もう少しすれば完全に包囲出来るのだろう。
その前に山賊団は動くらしい。
「おい、立て!!」
見張りの1人がアイリの拘束を解く。
「連れて行くなら姫様でなく私を連れて行きなさい!!」
抗議するミランダだが、王女と侍女では人質としての価値が違う。
「俺個人としては侍女の姉ちゃんの方が好みなんだが、身分ばかりはどうしようもねぇよ。王女ちゃんがいれば王都とだって有利に交渉出来るってもんだ」
そんなことは分かっている。交渉の余地が無いのも理解している。だからといって仕える主君が連れ去られるのを見過ごす事は出来ない。
「大丈夫です。私には利用価値がありますので手荒な真似はされる事は無いでしょう」
アイリは毅然とした表情でミランダへ告げる。
「で、ですが……」
長年仕えてきたからミランダには分かる。その瞳の奥に、今すぐにでも泣き出して叫び出したいという感情を押し込めているという事を。
「…そ、そうだ……殺されないにしても、どんな酷い目にあうか……」
このやりとりでようやく意識を取り戻したシンがミランダの言葉を引き継ぐ。
「…おい、てめぇ。アイリを泣かせるような事をしやがったら地獄の底まで追っていって俺がぶっ倒してやる。覚悟しておけよ」
「てめぇは黙ってろ!!」
床に横になっているシンに向けて見張りの男は足を振り上げる。
「おやめなさい!!」
アイリの一喝で男の足が宙で止まる。
「あなた達には協力します。ですがその代わり彼らに危害を加える事は許しません!!」
男は舌打ちと共に足をシンのすぐ脇の床に踏み下ろす。
「おらっ、さっさと行くぞ」
「はい。ですが最後に2人にお別れの挨拶だけさせて下さい」
男は何も言わない。それを同意と受け取り、アイリはミランダとシンに近付く。
「ミランダ。これまで長い間、こんな私に仕えてくれてありがとうございます。私が居なくなった後、王家とキングス工房の繋ぎはあなたにお任せします。お願いしましたよ」
アイリは無理に笑顔を向ける。
「ひ、姫様……」
ミランダはそんな願いなど聞けないとばかりに首を振る。だがアイリの固い決意の表情を変える事は出来ない。
「シンさん……」
そして今度はシンへと顔を向ける。
「おい、アイリ!諦めんのはまだはや……んんぅ」
シンの言葉は途中で遮られる。アイリの小さな唇によって。
「…これが私にとって最初で最後の大好きな人へのキスです。こんな気持ちにさせてくれてありがとうございます。そしてさようなら……私の事は忘れてくださっても良いですからね……」
アイリは笑顔でシンへの最後の思いを告げる。
そしてゆっくりとその顔が離れ、そしてその姿も扉の奥へと消えていこうとする。
その後姿を眺めながらシンは怒りに震えていた。
何が任せる。何がお願いするだ。
自分の仕事をミランダさんに押し付けてるだけじゃないか。
何が最初で最後だ。
あんな悲しい口付けが最後だなんて許せる訳無いだろ。
何がありがとうだ。
礼を言われるような事を俺は何にもしてねぇ。
何がさようならだ。
あんな無理矢理作った笑顔なんて向けられたら忘れられる訳が無いだろう。
シンは心の中でアイリに対し怒りをぶつけていた。
そして次に自分に対して怒りがこみ上げてくる。
碌に剣の訓練もしていなかったのに少し煽てられただけで何を強いと勘違いしたのか。
笑顔の可愛い彼女に何故このようなブサイクで切なそうな笑顔をさせているのか。
何故悲しそうなあの背中を見送る事しか出来ないのか。
俺は一体、何をやってるんだよ。
自分に好意を抱いている女性1人守れないのか。
好きな女性の1人すらも守ることが出来ないのか。
シンはここで自分がアイリの事を好きなのだと明確に意識する。
いやアイリだけではない。
すぐ隣に居る優しさと強さを持つミランダも、初めて友人と呼べる存在のユウも、初めて憧れを抱いたクレスも、少年と少女の魅力を併せ持つフィルも、みんなみんな大切で大好きで大事な仲間達だ。
シンはこれまで難しく考え過ぎだったのだ。
異性としてとか友人としてなんてものはただの理屈付けに過ぎず、恋だとか愛だとかは結果にしか過ぎない。
結論を言ってしまえば元々から選択肢は2つしか無かった。
好きか嫌いか。
好きだから守りたいし助けたいし一緒に居たい。
だから好きなのに「さようなら」といって去って行こうとするアイリに、そう言わせてしまった自分に腹が立ち、頭にくる。
「こんな所でサヨナラになんてさせねぇ!!!」
怒りと共にアイリとのキスによって発動した魔動力が体中に湧き上がる。
シンは縛られたまま器用に立ち上がり、腰に吊るしていた四角い平らな箱に手を添える。
それはアドモントがシンの意見を聞いて作り出したもの。見た目がただの箱なので山賊達も何か分からないので取り上げる事無くそのままにしておかれたもの。
カシュという乾いた音と共に箱は真ん中から割れ、中から折り畳まれていたグリップと引鉄が飛び出す。
それは拳銃に似ていた。
だがそれはシンだけが分かる形。
この世界は火薬が発達していないので銃が存在していない。あるのは機械式のボウガンがせいぜいだ。
だから誰もこれが武器だとは思わなかったのだろう。
この銃も構造的には機械式ボウガンと似たようなもので、魔動筋の瞬発的な伸縮で内蔵されたドングリ型に加工した金属の弾丸を撃ち出すという代物だった。
そもそも本物の銃の構造なんて良く分かっていないので、参考にしたのはプラモ売り場でよく見かけるスプリング式のモデルガンだ。
けれどスプリングなんかとは桁の違う反発力を持つ魔動筋と金属の弾丸を使っているので、当たり所が悪ければ人を殺しかねない殺傷力があるだろう。
シンは後ろ手で引鉄に指を掛けながら、魔動力で強化された脚力で、縛られたまま見張りの男へ体当たりをする。
まさかこのような状態で体当たりされるとは思わなかった見張りの男は、たまらずシンと共に床に倒れる。
シンはその上に飛び乗り、銃口を男の腹に押し当てて躊躇する事無く引鉄を引く。
乾いた音と共に弾丸が撃ち出され、男の腹を貫く。
「あがっ」
腹を貫かれた痛みに悶える男の腰からナイフを抜き取り、自分とミランダを拘束していたロープを断ち切る。
「シ、シン様……これは……」
「話は後。今はアイリを助ける事が先だ!!」
シンが今すべきなのは自分に起きた事を説明する事ではなく、連れて行かれたアイリを助け、この場から全員無事に逃げ出す事。
腹を押さえて悶える見張りの顎を蹴りつけて意識を飛ばしてからアイリの出て行った扉を蹴破り、廊下へと出る。
そこには既にその姿は見当たらない。だが廊下の角にある窓の向こうでその姿を見つける事が出来た。
シン達3人を攫った内のリーダー格らしき男があの時と同じようなニヤケ顔を浮かべている。その隣を今にも泣き出しそうな苦しそうな表情のアイリが歩いている。
「ミランダさん!ショートカットするよ!!」
シンは廊下を走り、勢いのまま窓へと突っ込む。そして銃を撃ってガラスを割った後、先程の扉と同様に蹴破る。割れ残ったガラスの破片がシンの身体に傷をつけるが、この程度の痛みなど今は気にならなかった。
「アイリィィィィィィィィィーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
力の限り叫ぶ。
その声にハッと振り返るアイリ。
そして声の主の姿を見て、これまで我慢していたものが決壊し溢れ出しそうになる。
折角、決意して別れたというのにシンはそれを許してくれない。それどころかどうやってか知らないが拘束を解き、助けにまで来てくれた。
「シンさん。私は大丈夫ですから、ミランダを連れて逃げてください!!」
けれど状況は良くない。
周囲は敵だらけでアイリもミランダもシンの足手纏いでしかない。
だがアイリが人質として残れば2人だけならば無事に逃がす事は出来るだろう。
しかしシンはアイリのそんな考えなどお構い無しに周囲に敵しかいないかのようにアイリにだけ視線を向けて叫ぶように問い掛ける。
「お前は本当にそれを望んでいるのか!」
アイリの胸に苦しさと痛みが広がる。
本当なら助け出して欲しい。本当なら離れたくない。けどそんな身勝手な我侭で大事な人の命を危険には晒したくない。
「お前なら俺がどういう性格でどういう行動をとるか分かるだろう!!」
シンはアイリを見捨てたりしないだろう。
好きだから、ずっと見ていたから、彼がどうするか分かる。
大切な人を助けたい、護りたいという気持ちはアイリと一緒だと理解しているから。
「お前は俺にとってアイリッシュという王女なんかじゃない!アイリっていう大切な1人の女の子なんだ!!」
その言葉を聞いた瞬間、アイリの王女としての仮面が剥がれ落ちていく。
「た、助けて…助けて下さい!!……やっぱり私、さよならなんてしたくないですっ!!」
その大きな瞳からはボロボロと大粒の涙が零れ落ち、アイリの口から本音が漏れる。
「ああ、当たり前だ!!あんな別れ方に納得なんて出来るかっ!!絶対に俺がお前を助けるっ!!!」
アイリはその言葉に嗚咽を漏らしながら頷く。
「けっ、黙って聞いてりゃとんだ茶番だな。女の前だからって格好つけてんじゃねぇ!てめぇには武器もねぇしこっちには人質も居るんだ。お前には…ぐわぁっ」
リーダーの口上に付き合う義理は無い。シンは彼が喋っている途中で躊躇する事無く銃の引鉄を引いた。
銃弾は狙い違わずリーダー格の右腕を撃ち貫く。致命傷ではないが怯ませるには十分だった。
「走れアイリ!!」
そう叫ぶと同時にシンはアイリに向かって走り寄る。その言葉に反応してアイリも呻くリーダーの腕から逃げるようにシンへ向かって走り出す。
そしてアイリの差し出した手を掴み、シンはアイリを引っ張るように抱き寄せる。
「シンさん!シンさん!!シンさん!!!シンさぁ~ん!!!!」
シンにしっかりと抱き締められながら、アイリは恥も外聞も無くその胸で泣きじゃくる。
「姫様!シン様!」
追いついたミランダが安心したような表情で抱き合う2人を見つめる。
だがまだ安心出来る状況ではない。
シンは周囲を見回し、状況の確認をする。
正面には怒りの表情を浮かべるリーダーとその背後に3人の山賊がいる。左右と背後にもそれぞれ数人の山賊が彼らを取り囲んでいた。更に山賊達の包囲の奥では今にも魔動機兵が動き出そうとしていた。
「てめぇ!!よくもやりやがったな!!!ぶち殺してやるっ!!!!」
怒りを露にしたリーダーの一声で山賊達全員から殺気が溢れる。
その剥き出しの殺気を感じ取ったのか、アイリは更に力強くシンに抱きつき、ミランダまでもがシンの背中に隠れるようにしがみつく。
状況だけ見ると攫われた時より悪い。あの時より人数が多い上にその後ろには2機の魔動機兵まで立ち塞がっている。
だが、シンは冷静だった。殺気に怯む事も、恐怖に脅える事も無い。ただ冷静に状況を確認する。
「ミランダさん。アイリを頼みます」
シンはアイリをミランダに預けると、空を指でなぞる。
指の先から魔動力の光が漏れ出て、シンは眼前の空中に1つの図形を描いてゆく。
それは上部両端が円から飛び出た不恰好な五芒星。それは物質転送の魔動陣。
物質転送の魔動陣の発動はユウが実験をして失敗に終わっている。
今のシンにはそれは失敗して当然だと理解していた。
どうやら魔動力をその身に宿すたびに魔動力に対しての理解力が深まっていくようだ。
おかげで物質転送魔動陣の本質を理解した。本質と言ってもそう難しいものではない。
本に書かれてあった理論そのものに間違いは無い。ただ単純に魔動力の質が低かったから失敗しただけなのだ。
魔動陣には魔動具のように力を増幅させる為の魔動力炉が備わっていない。
血によって薄められているこの世界の人間の魔動力では力が足りなかったのだ。
だが魔動輝石から直接純粋な魔動力を得ている今のシンならば、魔動陣を発動させるのに十分な力がある。
だから失敗などしないと確信を得ていた。
そして些細な戯れのおかげで、今この場を切る抜けるのに必要な力を呼び寄せる事が出来る。
「俺の想いに答えろ!来いっ!シルフィロォォォォーーーードォォォォォォーーーーーー!!!!!」
魔動力の光で描かれた魔動陣が一際輝き、次の瞬間、目の前には銀色に輝く1機の魔動機兵が彼らの前に降り立っていた。
これまで1話3部構成で進めてきましたが、今回は流石に纏まりきれませんでした。
なのでもう1回だけ続きます。
次回は5/31(日)0:00に更新予定です。




