1-3
「シン。少し良いかな?」
夕飯も終わりクレスが帰った後、ユウが両手にホットミルクの入ったコップを手に声を掛けてくる。
「あ、はい」
プラモ作りを続けるくらいしかやることの無いシンに拒否する理由は無かった。
コップの1つを受け取りつつ、居間の椅子に座る。
ユウはクレスより2つ、シンよりも4つも上だ。
シンが世話になっているこの家の家主であり、キングス工房の魔動技師である。
シンがこの世界に来てから、正確にはこの家で世話になり始めてから、もう1週間が過ぎようとしていた。
ユウはその大半を工房で過ごしていた。
この工房は町で唯一、魔動具を修理できる場所だ。
この町にある魔動具の数はそれほど多くないとはいえ、壊れたものを直せるのがここ1つだけ、更に言えば1人だけであれば、その修理に時間が掛かるのも当然だった。
当初、シンは世話になっている恩を返すためにも何か手伝えないかと工房を覗きに行ったこともあるが、知識も技術も無い素人が手を出せるようなものではなかった為、諦めた。修理用魔動具が使えなかったというのも要因の1つだったが。
向かい側に座ったユウは神妙な面持ちでホットミルクをすする。
長い沈黙。
少し良いかと聞いてきたにも関わらずユウは沈黙を続けたまま。
その表情はどこから切り出そうか迷っている感じだった。
シンは察した。
ここがこの町唯一の魔動具工房とはいえ、毎日のように魔動具が壊れ、その修理依頼が来るわけではないし、来たとしても一朝一夕で修理出来るものでもない。
従業員という扱いのクレスも実質、心配だからという理由で家事手伝いに来ているだけで、給料らしきものは受け取っていないという話だった。
(儲かってるようには思えなかったけど、やっぱり……)
話を切り出しそうに無いユウを気遣い、シンは自分の口でユウが言いたい事を伝える事にした。
「ゴメン。食い扶持が増えて大変なんだよな。明日になったら荷物をまとめて…っていってもプラモだけか。明日には出るよ」
仕方が無い事だ。
この数日間、彼の好意に甘えていただけなのだ。
現実というのは異世界であろうと、いや、異世界だからこそ厳しいのだ。
いや知らない場所に身一つで放り出されたにも関わらず、住む所と食べる事に不自由しなかったのは僥倖と言えるだろう。
物語のようにとんとん拍子に進む方がおかしいのだ。あれはあくまで空想であり現実ではないのだ。
これで話は終わりという風にシンが立ち上がろうとする。
「一体、君は何を言ってるんだ?」
「え、あ、いや、俺のせいで家計が苦しくなってるって……」
シンの言葉を途中で遮り、怒気すらはらんだ声をユウは上げる。
「誰がそんな事を言った!いつまでも居て良いと言ったのは僕だぞ!!というか君を追い出したなんて聞いたらクレスがなんて言うか分かったもんじゃない!!」
普段、温厚そうな表情と物言いの為、その迫力は凄まじかった。
「1人増えた所で心配されるほど、この工房は落ちぶれちゃいないぞ!ちょっとこっち来い!!」
シンは腕を掴まれ無理矢理立たせる。
「僕の両親は幼い頃に亡くなった。そしてこの工房を営んでいた魔動技師である祖父に引き取られた」
強引に引き摺られながらも、唐突に過去話を切り出された事に、シンは意味も分からないまま、黙って聞いていた。
「僕は暇さえあれば工房に行き、飽きる事無く祖父の仕事を眺めていた。10歳を越えた頃には簡単なものであれば魔動具の修理を手伝えるようになっていた」
ユウに連れて来られたのは工房だった。
工房は天井までの高さが10m程あり、床には簡素なテーブルと椅子、そして廃材やらなにやらが転がっている、かなり広い場所だ。木造の住居とは異なり、鉄骨で作られた頑丈な造りをしている。体育館や工場といった感じだろうか。
その一番奥に、布に覆われた大きな何かがあった。
「僕は祖父を尊敬している。だから数年前に祖父が亡くなった時、僕は工房と共にコレを受け継いだ」
ユウは真っ直ぐにそこまで進み、布に手を掛けると、勢い良くその布を剥ぎ取った。
「シンが記憶を失っていて、自分の事でまだ精一杯だと思ってたから言い出しにくかっただけなんだけど、口で説明するより見せた方が早いだろう」
「こ、これはっ!」
シンは目を瞠る。
それはシンの身長より少し大きいくらい。一見するとただの鉄の塊のように見える。だが、シンにはそれが何かはっきりと認識出来ていた。
プラモデルはそれぞれの部位毎に作られるように説明書に書かれてある。
脚部であれば脚部、腕部なら腕部が、それと分かる程度まで成形されてから次の部位の組立工程へと移る。
だから分かった。だから驚愕した。だから興奮した。
「これは…ロボッ……いや魔動機兵の胸部…なのか」
よく見ればその脇には組み立て途中なのだろうか脚部のように見えるものが横たわっている。
「祖父は若い頃、王立魔動研究所にいた事があるらしい。その際に何かの偶然で一冊の古文書を手に入れたそうだ。その古文書には魔動機兵の作製方法が書かれていたという。その頃の祖父は野心家だったらしく、自分の手柄にしたくて家に持ち帰ってしまったそうだ。そして時間をかけて少しずつ解読し、造っていたんだ。恐らく50年以上は作業しているだろう」
作業機械の面が大きい魔動機兵だが、その機構は複雑で高度な技術と知識が必要である。
現在では各国が精力を傾けて魔動機兵の修復に取り掛かっている。
フォーガン王国では王立魔動研究所に高名な学者と多くの技術者を集めて研究を続けている。
その研究所でも年に数体が修復できれば良い方である。
それも作業機械のような魔動機兵の中では比較的簡単な構造のものばかり。
魔動王国時代に兵器として使われていたようなものは未だ修復の目処も立っていないのが実情だった。
つまり片田舎の地方の町の個人が経営する魔動具工房で扱うような代物ではないのだ。
運搬用であろうと農耕用であろうと、国立研究所まで行かなければ修理する事さえままならない。
それほど魔動機兵というものは特別なのだ。
しかしユウは言った。
“造っていた”と。
修理や修復ではない。
“造っていた”と言ったのだ。
「祖父の遺志を受け継いでコレを完成させる。それが僕の夢だ。そしてその為にはこの古文書を完全に解読しなければいけない」
ユウが何をして何をやりたいのかは分かった。
だがシンには自分にそのことを話す意図が分からなかった。
「シンは自分が無能だって言ってたよね知識も経験も、そして魔動力も無い無能だって」
ユウの言葉に頷く。だからこそ居候の身が心苦しかったのだ。
クレスのやる事を少し手伝うか、プラモを作る事しか出来なかったから。
だからユウが神妙な面持ちで話を切り出した時に、自分勝手に迷惑しているのだと思ったのだ。
「君は無能なんかじゃないよ。記憶はともかくとしてもその頭には魔動王国の知識が詰まっているんだ」
ユウが何を言っているか分からない。
(魔動王国の知識?俺は異世界人だ。この世界の知識なんて持って無い。ましてや500年も前に栄えた文明の知識を持ってるなんてありえない)
そんなことはありえないと首を横に振るシンの前にユウは一冊の書物を見せる。
「これは祖父が持っていた古文書だ。魔動王国語で書かれたこれをシンは読めるはずだ」
シンは先程と同じように首を横に振……ろうとして出来なかった。
その古文書の表紙に書かれていた文字が読めてしまった。理解出来てしまった。
ユウが嘘を言っていなければ、これは500年前の文字だ。しかも滅びて途絶えた文字だ。国中を探してもこの文字を読める人間は少数であり、その半分でも解読している人間は更に限られてくる。おそらく世界中探しても全てを解読している者はいないだろう。
そんな言葉をシンは読むことが出来、その内容を理解する事が出来た。
「……魔動機兵…開発計画ファイル……No.9……」
表紙には、そう日本語で書かれていた。
無いものは造ればいい。
この世界にシンが望むようなロボットが無いのであれば造れば良い。
だが異世界から来ただけの、天才科学者でもなければロボット工学を学んでいたわけでもない一介の高校生である自分にはその知識も技術も無い。
到底、不可能な事だった。だから諦めていた。
だが今、シンの目の前は何かが開けたような感覚だった。
「やっぱり記憶が無いと言っても魔動王国語の知識は残っているみたいだね」
ユウは1人で納得したように頷く。
「シンが持っていた唯一の荷物、たしかプラモとか言ったか。あれにかかれてあった文字が魔法王国語で、それを事も無げに読んでいたから、まさかとは思っていたけれど」
魔動王国語。
それは500年前に隆盛を誇った魔動王国で使われていた言葉だ。
現存している魔動王国時代の書物のほぼ全てが魔動王国語で書かれてあり、魔動具に刻まれている文字も同様だった。
しかし王国の滅亡と共に魔動王国語も世界から消え失せた。
現在、各国の高名な学者が解読を進めているが、その多くは今だ解明されていない。
「…けど、なんで日本語が……」
シンは『魔動機兵開発計画ファイル No.9』と書かれた古文書をぺらぺらと流し読みしてみる。
平仮名と片仮名、数字にアルファベット、そして漢字。
それはシンには見慣れた、しかしこの世界では見慣れない文字の羅列だった。
所々、専門用語や固有名詞の意味が分からない部分があったが、概要は理解出来た。
そして最後の方のページには、おそらく完成予想図だろうイラストが描かれている。それを見た瞬間、シンはおそらくこの異世界に来て一番興奮したのではないだろうか。
そのイラストは作業用魔動機兵とは一線を画していた。
操縦席は完全に胸部の内側に収まり、その上には人の顔のような仮面と兜が乗っている。
流れるように丸みを帯びた肩からはスラっとした細長い腕が伸びている。
腰から下もこれで重量を支えられるのか心配なくらい細身で、もしレイピアのような刺突剣を持たせたなら西洋の騎士というイメージだった。
作業用のような無骨さを廃した、とても美しいフォルムだった。
「シルフィロード……」
シンがポツリと呟く。
その名は『爆走機鋼ガンフォーミュラ』のライバルメカの名前だった。なんとなく雰囲気が似ていた為、無意識の内に零れ出た名前だった。
「シルフィロードか。いい名だな」
ユウはそれがこの古文書、いや開発書に書かれた名前だと思ったのだろう。
「シン、この魔動機兵を、シルフィロードを完成させる手伝いをして欲しい。君はもしかすると学者だったのかもしれない。それだけの知識を持っているなら場合によっては国立魔動研究所か、他国のそれに類する組織の一員なのかもしれない。もし記憶が戻って、帰るべき場所があることを思い出したら帰ってもいい。だからそれまでの間、僕に力を貸して欲しい」
ユウはシンに対し深々と頭を下げる。
「えっ、あっ、ちょっ……」
シンは戸惑っていた。
自分より大人で自分より何でも出来ると思っていた年上の人物が、みっともないくらいに必死に無能な自分の力が必要だから貸して欲しいと頭を下げている。
シンにとってこれははじめての経験だったかもしれない。
これまでいたシンの周囲の大人とはユウは違った。
ユウはシンの事を子供や格下なんて思っていない。対等か自分より上だと思って接してくれている。
だから素直に思った。
(この人の力になりたい。この人に力を借りたい。この人の夢と俺自身が望むもののために)
「どれだけ力になれるか分かりません。多分、邪魔する事の方が多いかもしれません。それでもよければ力を貸します…いや、違うな…俺にユウさんの手伝いをさせてください!お願いします!!」
ユウよりも更に深くシンは頭を下げる。
自分は格上なんかじゃない。願われたから了承するような立場には無い。
だから願う。
自分より上だと思っていた人が自分を対等以上として見てくれるから。
「よろしく頼むよ、シン」
「はい。よろしくお願いします」
右手を差し出すユウにシンも応える。
「あ、そうだ。これだけは言っておかなきゃ。明日、というかこれからは敬語は使わないこと。ずっとそんな調子だと疲れるだろ?まだ会って1週間かもしれなけど、僕とクレスはシンの事を家族とか兄弟のように思ってるんだからさ」
「うん」
年上に対するコンプレックスが無くなったわけではない。
けれど対等の関係を築こうとする彼らになら、コンプレックスを感じる事は無いだろう。
だからシンも2人を対等の立場として見る努力をするつもりだった。
ようやく序章が終わり。
次回からが本編です。