10-2
アイリは今、人生で最大の窮地に陥っていた。
手を後ろ手で縛られ、椅子に固定されて座らされている。
隣を見れば同じように捕らわれているミランダの姿があり、足元には手と足を縛られ猿轡を噛まされて床に寝そべって気絶しているシンの姿がある。
自分達をこんな目に合わせた相手に罵詈雑言をぶつけた結果、殴られて黙らされてしまったのだ。
王女として毅然とした態度は取っているが、今の状況に内心では恐怖に震えて泣き叫びたい衝動に駆られていた。
けれどそんな弱みは見せられないし、見せたくもない。
自分達を誘拐した山賊団なんかには絶対に屈しないと心に誓って恐怖を無理矢理抑え込む。
今まで何度も助けてくれた信頼する人物は今は一緒に囚われの身であり、意識を失って足元で倒れている。
助けが来るかも分からない状況の中、いつも助けられてばかりの自分に今、何が出来るのか。そして何をすべきなのか。
考える。
そして今自分が置かれている状況の把握に努める。
どこか山小屋のような建物の中。
見える範囲には同じ部屋の中に人相の悪い男が2人いる。直接の見張りなのだろうが、人質が静かなので部屋にあるテーブルの上でカードゲームに興じている。
窓の外には作業用魔動機兵が2体あるのが見える。
作業用魔動機兵は頭部に当たる部分が無く操縦者が丸見えなので、今は誰も乗っていないのは一目で分かる。
これが今見張りをする2人のもので、他に誰もいなければ、機を見て窓から逃げ出し魔動機兵を奪って逃げる事も出来るかもしれない。
けどそれは楽観的過ぎるだろう。
普通に考えればこの部屋の外や屋外にも更に数人の見張りが居るだろうし、魔動機兵も2体だけとは限らない。
それにシンは魔動力を使えないので、魔動機兵を奪えてもアイリかミランダが操縦する事となる。もし他の魔動機兵に追い掛けられれば、操縦経験の無い2人ではすぐに追いつかれてしまうだろう。
ならば走って山の中に逃げ込むべきか?
裏手にある山へ入ってしまえば、木々や岩などで魔動機兵ではその大きさが邪魔となるので追っては来れない。
ただ山に入るにもリスクがある。
この山小屋が街からどの位置にあるのか分からない以上、街に向かえず遭難する可能性がある。
だがそれ以上に整地されていない山は起伏が激しく障害物が多い。身体を鍛えていない基本体力が低い彼女達では、シンの足手まといになるのは確実だ。
シン一人なら逃げ切れる可能性はあるが、シンが2人を置いて行くなんて事はまず間違い無くありえないだろう。
シンのことだから体力が一番無いアイリを背負ってでも一緒に逃げる事を選ぶはずだ。
そうなれば移動に時間が掛かって追いつかれるか、体力が尽きて追いつかれるか。どちらにしろ逃げ切る事は出来ないだろう。
なので独自に逃げる事は本当の最後の手段として考える。
シンならば他の手段を考え付くかもしれないが、気絶している上に喋る事が出来ないのではその考えを聞く事は出来ない。それ以前に見張りの目の前で堂々と逃げ出す相談など出来る訳も無いのだが。
1人で考えられるのはこの程度だろうか。
あまりに稚拙な考えしか浮かばず、気持ちで抑えていた恐怖と不安が再び湧き上がりかけて泣き出したくなってくる。
頭を振って恐怖と不安を押し戻していると、何故このような状況になったのかが脳裏を過ぎる。
アイリはこの状況に陥る数日前を思い返していた。
*
その日、アイリの元に1つの報告が届く。
「アイリッシュ王女。ご報告があります」
アイリ直属の護衛の騎士の1人、ソーディがアイリの前に跪き頭を垂れる。
「何か火急の知らせのようですね」
「はい。近隣の諸侯よりこの近くに悪名高いマッドネイル山賊団が姿を現すようになったという知らせが入りました」
マッドネイル山賊団は、王都でも度々その名が騒がせていた悪名高い山賊団だった。
魔動革命以前から街道を通る行商を魔動機兵を使って襲うという方法をとっており、王国兵の精鋭でもその対処に窮していたのだ。
魔動革命以後、行商の護衛に魔動機兵が使われたり、機動力の高い魔動機馬が使われるようになった事もあり、王都ではその名を聞く事は殆ど無くなっていたが、どうやら狩り場を魔動機兵の数がまだ少ない田舎へと移していたようだ。
王都近郊より身入りは少ないが、魔動機兵の護衛が居ない分、安全に略奪行為が行えるのだろう。
「その者達の行方は分かっているのですか?」
「いえ。この近くに潜伏しているのは間違いないようですが、詳しい場所は分かっておりません」
「そうですか」
アイリは少し悩んだ後、自分の考えをソーディへと告げる。
「それではソーディさん。アークスさんと共にこの街、いえ周辺の町からも有志を募って山狩りの準備をして下さい。被害が出る前に彼らを捕えて下さい。領主様にも話は届いていると思いますが、私の方からもお話しておきます」
「お、お言葉ですが、我らはアイリッシュ王女の護衛です。王女の側を離れる訳には……」
とはいえこの街に来てから彼女の周りに危険が及んだ事は無い。
この街の住人も穏やかで気さくな性格の人物ばかりという事もあり、街の中ではそこまで気を張る事も無かった。
「大丈夫です。シンさんやキングス工房の皆さんも居ますので、街の中に居る分には安全だと思います。それにこのような知らせを受けて動かなかったとなれば、こちらの領主様や貴族の方々に示しがつきません。これは王女である私からの命令だと思って下さい。」
「承知致しました。すぐに手配致します」
ソーディは渋々ながらもアイリの言葉に従う。彼とアークスにとって王女の命令は絶対なのだ。
優しい彼女がこんなこと言う事など無いだろうが、彼女に死ねと命令されれば死ぬ覚悟くらいはあるのだ。
それにアイリには信頼出来る人物が居る。
王国祭の時も飛んで来た瓦礫からアイリの命を救ったのは、彼女の目の前に居た護衛のソーディでは無く、騎士でも護衛でも何でも無いシンであった。
最近では剣の稽古をつける事もしばしばあり、見た事も無いその独特の動きに才能を感じてもいる。
彼ならば何があっても王女を守ってくれるだろうと理由も無くソーディも信頼していた。
そしてアイリッシュ王女の名の元、その日の昼までには50人程の先遣偵察隊が編成され、周辺の調査が行われた。
翌日。
ヴァルカノの町は朝から緊迫した空気が張り詰めていた。
アイリッシュ王女直属の騎士であるアークスとソーディを筆頭にマッドネイル山賊団を追い詰める為の山狩りが行われようとしていたからだ。
たった1日で掻き集めたにも関わらず、周辺の町から集まった騎士は100人、腕に覚えのある有志が100人、既に斥候として周辺調査を行っている者を含めれば総勢250人にもなる。
マッドネイル山賊団の手口を知っている者もいるようで、作業用とはいえ10機もの魔動機兵まで用意されていた。
「騎士2名を含む4人体制での行動を厳守!相手は山賊とはいえ王都でも悪評が広まっている奴らだ。気を抜くなよ!!」
巨漢のアークスの檄に、集まった200人が一斉に声を上げる。
アークスに続き清楚なドレスに身を包んだアイリが姿を現す。
「皆様、突然のお願いに集まって頂きありがとうございます。そして皆様なら今日にも山賊の脅威を打ち払ってくれるものと信じています」
男というのは単純なもので可愛い王女が登場しただけで全体の士気が急上昇する。
アイリの演説の裏で見送り兼アイリの護衛として付いてきていたシンにアークスは深々と頭を下げる。
「ではシン殿。アイリッシュ王女の事、宜しく頼む」
「まぁ、あんた達の代わりになれるだけの実力はまだ無いけど、やれるだけの事はやるさ」
シンはアークスとソーディには時々剣の稽古を付けて貰っているので、その実力が自分なんかより格段に上だというのをよく知っていた。
「いや、シン殿には才があります。多少、筋力に不安がありますが、もっと研鑽を積めば良い剣士となれるでしょう」
筋力に関しては恐らく魔動力の副次効果の影響と思われるので、こればかりは仕方が無い。
だが良い剣士になると言われれば、それが例えお世辞でも少しばかり嬉しくなってしまう。
「アークス。そろそろ我らも出発するぞ」
横から細身の剣士、ソーディが声を掛けてくる。
「うむ。それでは後の事は頼む」
2人はシン、そしてその背後から歩いてくるアイリに向けて一礼した後、山へと向かっていく。
その後ろ姿を眺めながらアイリはギュッとシンの腕を掴んでくる。
今日は邪険にはしない。
アイリの顔には先程までの王女としての毅然とした表情では無く、不安な表情を浮かべていたから。
「大丈夫…ですよね……」
半数が騎士とはいえ相手は王都でも名を轟かせていた大悪党である。
王女として“信じている”という言葉を使いはしたが、心配なのは変わりは無い。
「皆に信じるって言ったんだろ?だったら言葉通りに信じてやればいいさ。それがきっと力になってくれるさ」
シンはアイリの不安を取り去るように優しく頭を撫でる。
マッドネイル山賊団の実力も規模も分からない彼には気休め程度の事しか言う事が出来なかった。
そして事件はその帰り道に起こった。
山狩り部隊を見送り、シンはアイリとミランダと共にキングス工房へと向かっていた。
護衛であるアークスとソーディがいない以上、工房の仲間がいる方が安心出来ると思ったからだ。
「シンさん。今日のオヤツはどんなものがいいですか?」
「そうだなぁ。最近は甘いものが続いてるからしょっぱいものが食べたい気分だな」
「え?オヤツですよ?スイーツですよ??」
どうやらアイリにはオヤツ=甘味としか思っていないようだ。醤油ダレの団子や塩を利かせた野菜チップスもオヤツとして扱うという事を今度教えてやる必要がある。
「んじゃ、今日はクレスに頼んでそっち方面に挑戦してみればいいよ」
今日のオヤツについてなど、他愛ない会話をしながら歩いている。
キングス工房は街外れにあるということもあり、近付くにつれて人通りが少なくなっていく。そして完全に周囲に彼ら以外の人が居なくなったタイミングで彼らは現れた。
「こんな田舎にこの国の王女様が居るって話は聞いてたが、まさか本当にいるとはなぁ~」
「噂以上に可愛い顔だなぁ~」
「幼女と巨乳…もとい王女と侍女だ……」
シン達の前に立ち塞がったのはニヤついた笑顔を浮かべる柄の悪そうな3人の男。一様に獣の毛皮で出来たベストのような服を着て、その手には剣やらナイフやらの獲物を持っている。
シンはアイリとミランダを守るように彼女達の前に出て腰に差していた刀を構える。
「俺達が近くに居る事を知りながら護衛がこんな弱そうな奴1人とはな。舐められたものだ」
リーダー格らしい男が大仰に頭を抱えてみせる。
隙だらけだが、他の2人が警戒しているので動くに動けない。
「さて、ではここで王女を攫って騎士共を黙らせねぇとな」
彼の口ぶりから彼らがマッドネイル山賊団であり、山狩りを中止させる為にアイリを狙ってきたということが分かる。
王女という立場から、その理由以外でもアイリには人質としての利用価値があるのだ。
「まさかもう街に入り込んでいたなんて」
ミランダが驚きの声を上げるか、シンはそれほど驚かなかった。
ヴァルカノの町は田舎とはいえ、この周辺地域の中では最も大きい町である。交易も盛んだし、何よりこの辺りで唯一の魔動工房があるので他からの人の出入りは激しいといえるだろう。
明確な身分証明書の無いこの世界では、似顔絵の書かれた手配書でもない限り、どのような人物が街に入ったかなど知る術は無い。
マッドネイル山賊団が潜伏しているという話が出た時点で、既に山賊の一味が街に入り込んでいてもおかしくは無かった。
「黙ってアイリを渡すと思ってるのかっ!?」
シンが刀を両手に構えて駆け出す。幼女とか巨乳とか先程から危険そうな発言をしていたナイフを持つ男に向けて横薙ぎの一閃。
見た目、細身で薄い刀であるから男は簡単に防げると思ったのだろう。ナイフでシンの斬撃を受け止めようとする。
だがシンの刀は硬化すれば見た目以上の重さになるアダマス鋼で作られているのだ。その重量は両手剣並み。
勢いの乗った重い刀はナイフ程度、しかも片手持ちで防げるようなものではない。ナイフの刃を砕き、その腹部にめり込む。
殺してしまわないようにと峰を返しているが、骨の2、3本は折れただろう。
「ちっ、油断しやがって!」
1人が一撃で戦闘不能に陥ったのを見て、リーダー格の男も背負っていた剣を構える。
状況はまだシンの方の分が悪い。最初は相手が油断していてくれたおかげで何とか一撃を見舞う事が出来たが、シンはまだ1ヶ月程度しか剣術を習っていない素人だ。いくらアークスとソーディに筋が良いと褒められていても、高が知れている。
だが山賊達がそれを知っているわけもなく、警戒するようにジリジリとシンとの間合いを計っている。
(この膠着状態なら逃げれるか?)
シンが2人を引き付ける事が出来ているのなら、アイリとミランダの逃げる時間くらいは確保出来るだろう。2人が安全の場所まで逃げれば、シンも無理に戦わずに逃げの戦法を取る事も出来る。
「2人とも街へ逃げ……」
「きゃ~っ!!!」
「ひ、姫様に触れるな!!」
考えをまとめ、背後の2人へ逃げるように伝えようとした矢先に、アイリの悲鳴とミランダの抵抗する声が聞こえる。
シンが慌ててそちらに振り向くとどこから現れたのか、更に3人の山賊がアイリとミランダを羽交い絞めにしていた。
「へっへっへっ、伏兵は常に考えておくべきだぜ。さぁ、武器を捨てな」
2人が捕まってしまった以上、シンには山賊の言葉に従う以外、出来ることは無かった。
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