8-3
ヴァルカノの町の市場に紺色の給仕服に身を包んだミランダは居た。
青々とした野菜や魚を眺めながら今日の献立を考える。
「ミランダさん!今日は新鮮な魚が入ったよ!!」
「おや?今日は王女様は一緒じゃないのかい?」
魚屋のおじさんが、八百屋のおばちゃんが声を掛ける。
「はい、じっくりと見させていただきます。それとアイリ様は今日は工房でお留守番をされています」
ミランダは魚を一尾一尾吟味しながら、八百屋のおばちゃんに答える。
魚は氷のような冷気を放つ魔動具『レーゾー』の普及のおかげで、近くに海の無いヴァルカノでもほぼ新鮮な海魚を手に入れる事が出来るようになっていた。
「これなんてどうだい?頭は煮込んでスープの出汁になるし、身は肉厚で煮ても焼いても生でも食べられる代物だぜ」
魚屋のおじさんは、おそらくは今日の目玉の一品であろう大きな魚を掲げてミランダに見せる。
アイリとミランダだけでは食べきれないであろう。だが今はキングス工房で食事を共にしている。食事もクレスとミランダの2人で作っており、1人がどれくらいの量を食べるかはおおよそ分かっている。
まぁ、フィルとシンの2人で他4人と同程度食べるので単純に一人前で計算する事は出来なかったりするのだが。
この1尾ともう1品くらいあれば量は足りるだろう。
ミランダは魚屋お勧めの品と八百屋でいくつかの野菜を購入する。
王女の侍従長という事で初めて来た時は、物珍しさと緊張、そしてミランダがコンプレックスを抱いている鋭い目付きのせいで、店主達はなかなか声を掛けてくれなかった。だが半月もいればそれにも慣れ、今では気さくに世間話も出来るようになっていた。
「そういえばミランダさん。さっき古書店のじいさんが時間があったら寄ってくれと言ってたよ」
世間話の途中、魚屋のおじさんが思い出したようにミランダにそう伝える。
ほぼ毎日のようにこのくらいの時間帯に市場に来ているので、市場の人に伝言するだけで、わざわざ魔動工房へ赴く事無く用件を伝える事が出来るのだ。
「本当ですか!」
田舎とはいえヴァルカノはこの地方の領主が住んでおり、貴族も多い。その為に、王都までとはいかないが、この街には様々なものが集まる。
ミランダが古書店に頼んでいたものは、魔動王国時代の古文書の類である。うず高く積み上げられた古書の中から見つけたり、手に入れたりしたら連絡を欲しいと頼んでおいたのだ。
元々、古文書はそれほど多くは見つかっていない。魔動王国の滅亡と共にそのほとんどが失われている。
というのは建前で、実際は相当数が残っている。だがその大半が王家にあったものと同様に、王侯貴族の書庫などに密かに保管されているのだ。
個人的に解明出来れば、その内容を独占し、利益を得られると考えられているからだ。
とはいえシンのような特別な存在がいるならば別であるが、王立魔動研究所でさえ解読しきれないものをそう簡単には解読できる訳も無く、いつしか書庫の肥やしとなって忘れ去られていたりするのが現状なのだ。
貴族が没落したり、代替わりで遺産整理をしたりした際に、稀にその貴族が持っていた古文書が出回る事があるのだ。
王家に仕えるミランダはその事を知っていた為に根回しをしておいたのだ。まさかこんなに早くに連絡が来るとは思ってはいなかったが。
「わざわざありがとうございます。これから早速向かいま……あ、でもまずはこのお魚を置いてきませんと」
「工房だろ?あそこまで行ってまた戻ってきたら日が暮れちまうぞ。よし!うちの方で配達しておいてやるよ。ついでにその野菜も一緒にな」
魚屋のおじさんは気前良くミランダに伝える。向かい側の八百屋のおばちゃんは「相変わらず美人には弱いねぇ」と魚屋をからかう。
「ありがとうございます。本日はお言葉に甘えさせていただきます」
ミランダは魚屋の言葉に素直に甘える。
彼女には急いで古書店へ向かう必要があった。
決闘まで後2ヶ月半。決闘場所であるアルザイルとフォーガンの国境の町までの移動に約10日掛かるので、実質2ヶ月程しかない。
シルフィロードの方は順調に改修が進んでいる。来週には試作動が出来るだろう。
だがシンの方は芳しくない状況だ。解読の難しい魔動文明語の古文書を驚異的な速さで読んでいるが、魔動力に関する記述は今の所見つかっていない。
そもそもそんな記述があるのかも不明なので、多くの書物を集めるしかないのが現状なのだ。
時間が惜しいとばかりにミランダは2人に頭を下げた後、古書店へと急いだ。
古書店は市場の先、貴族街寄りに位置している。
特にここは貴族からの買い取りが多い為か、歴史書やら兵法書などの専門書が多く、あまり一般向けのものを扱っていない。
その為、店内に人の姿は無い。その代わりに通路にまで本が天井高く平積みされている。
ミランダがやってくると頭に申し訳程度に毛が残った老爺がすぐに顔を出す。
「ひょっひょっひょっ、もう来よったのか」
「お願いをしていた件ですよね!」
「うむ。まぁ、少々特殊なんじゃが……まぁ、見た方が早いじゃろう」
老爺はそう言うと背後の棚から数枚の紙を取り出す。
紙自体は色褪せているが、そこに書かれている魔動文明語はまるで書かれたばかりのように擦れも滲みも無い。
「本では無いのですね?」
「うむ。初めて来た男が大量に本を売りに来たのじゃが、それらの本の間の所々に混じっておったのじゃ。いくら魔動文明語で書かれてあるものとはいえ、これだけでは売り物になりゃせんから、お前さんの様に欲しがる人がいると助かるわい」
老爺がミランダに紙の束を差し出す。枚数にして10枚程。
「後はこいつじゃな」
紙の束の上に老爺は掌大の透明な水晶のような輝きを放つ宝石を置く。
「これは?」
ミランダが頼んでいたものは魔動王国時代の書物だけである。そもそも古書店なのに宝石が出てくるとはどういう意味なのか、ミランダはその意味を計りかねていた。
「その紙の束の挟まった本を売りに出した男が一緒に置いていったものじゃ。王家に連なるものが来たら、必要になるだろうから渡してくれと言われての。お前さんがここに来るという事を知っておったような口ぶりじゃったから知り合いかとも思ったのじゃが、知り合いなら直接渡すであろうし……」
ミランダが魔動王国時代の書物を集めている事は、それほど多くの人物には話していない。あまり公には出来ない事だと口止めし、更に口の堅そうな目の前の古書店の老爺のような人物にしか話をしていない。
どこでその男はこの話を聞き付けたのだろうか。
「しかし不思議な男じゃったな。貴族とも商人とも思えぬ雰囲気じゃった。言葉遣いは丁寧でしっかりとしたものじゃったが、その目には生気を感じんかった。若いのに老成している風に見えたの~」
ミランダは侍従長という立場上、一度でも会えば人の顔や性格をしっかりと記憶していた。更に詳しく男の顔立ちや体格など老爺の覚えている限りの外見上の特徴を聞いてみるが、それでも老爺の言うような男に覚えは無かった。
魔動王国語の紙の束と不思議な宝石。
何か裏がある気もするが、それがどういったものかは皆目見当はつかない。
けどもし何かしらの罠だったとしても、心配はしていない。
王都の危機を救ってくれた彼らならそんな罠などものともせず破ってくれるだろうと信じていたから。
*
その日、フィルは疲れ切っていた。
ユウは依頼の来た魔動具修理の方に回り、シンはアドモントの屋敷で共にシルフィロード用の武器の作製をしている。その為、朝からフィルだけでシルフィロードの改修作業を進めていた。その肉体的疲労も少なからずあったが、それ以上に疲労していたのは精神の方だ。
「うぅ~、あんなに怒る事無いのにぃ~」
ブツブツと文句を言いながら、フィルは今日一日の汗を流す為に風呂場へと向かう。
フィルの怒られた原因は午後の休憩時間に起きた。
今日はアイリが来ており、いつも通りクレスと共にお菓子作りに励んでいた。
そしてアイリが作った会心の出来の蒸しケーキを、余っているものと思ってついペロリと3つも食べてしまったのだった。
「せめてミランダさんがいれば、間に割って入ってくれたのになぁ~」
ミランダは2人がキッチンに詰めている間に夕飯の買い出しに行くと言って丁度悪く不在だった。
後から考えれば、それがその場に居なかったミランダとシンの分だったと気が付くが、フィルとしては目の前に美味しいものが残っていたのだから仕方が無い。
けれどそんな事はアイリには通用しない。
ミランダとシンが帰って来てアイリを宥めるまでの小一時間ほど、フィルは延々と説教され続けたのだ。ちなみにユウとクレスは自業自得だと言わんばかりに自分達の作業に戻って行ってしまった。
夕食の最中もずっと不機嫌そうな顔でフィルは睨み続けられていたので、精神的に既に一杯一杯であった。
疲れた表情のままフィルは脱衣所で服を投げ捨てるように脱ぎながら風呂場へと足を踏み入れる。
何も考えずに湯船に浸かればかなり癒されるはずだった。
「なっ?!」
思いがけず聞こえてきた声に「えっ?」と俯かせていた顔を上げると、そこには先客がいた。
どうやらあまりに疲れていた為、誰かが入っている事に気が付かなかったようだ。
「お、お前……」
声の主はシンだった。湯船の中からこちらを見つめる目は驚きに見開かれている。フィルにもその視線が何処を向いているのか理解する。
その顔を見てシンは「なんだ、フィルか」と言おうとしたが声を出せなかった。
確かにその顔は中性的な顔立ちのフィルのものだった。
だが視線を下げていくと、そこには少年には有り得ない胸の膨らみがささやかながら見て取れた。更に視線を下げると細身の腰が目に入り、柔らかそうな太股が目に入る。だがその付け根には男性特有のモノが見当たらなかった。
「うわきゃぁぁぁぁぁ~~~~~!!!!!!」
「うわわぁぁぁぁぁぁ~~~~~!!!!!!」
お互いが理解し把握した所で、共に悲鳴とも叫びともつかない声を上げる。
顔だけでなく全身を紅潮させたフィルがシンの視線から隠すようにしゃがみ込んで叫ぶ。
「な、なんでシンがいるのさぁ~~~!!!」
「先に入っていたのは俺の方だ!お前が勝手に入って来たんじゃないかっ!!」
今更ながら湯船の中で後ろを向くシンだが、バッチリ全て見てしまっていた。
「おい、どうした?」
「何があったの?」
ユウとクレスが叫び声を聞き付けて近付いてくる声が聞こえる。
「ユウ兄は来んなぁ~!!クレス姉はタオル持って来てぇ~~!!!」
普段の少年のようなフィルとは異なり、今のその声は今にも泣き出しそうな声だった。
「ちょっと!これはどういう事ですか、シン!!」
大きなタオルを持ってっきたクレスはしゃがみ込むフィルにタオルを覆うように掛けながらシンに問い詰める。
「待てっ!俺は悪くない!」
弁解しようとクレスの方へ顔を向けようとするが「こっちは向かないで下さい!」と言われてしまう。
「うぅ~、シンに全部見られたぁ~~。責任とれぇ~」
「シ~~ン~~~!!!!」
フィルの言葉にクレスが過剰に反応する。後ろを向いている為、その表情は分からないが恐ろしい事になっているのは、よく分かる。
「ちゃんと俺の話を聞けっ!!最初に入ってたのは俺の方で、そこにフィルの方が入って来たんだよ!!」
これが逆パターンならシンが非難されても仕方が無いが、今回は被害者である。まぁ、良いものは拝めさせて貰ったが。
「不可抗力だ!っていうかフィルもなんとか言えよ!!」
シンが必死に弁明すればする程、言い訳じみて、被害者であるはずのシンの方が悪いように見えてしまう。
「うん、ボクがボーッとしてて誰かが先に入ってる事に気付かずに入っちゃたから、悪いのはボクの方だよ」
ようやく落ち着きを取り戻しつつあるフィル本人の口からそう聞く事で、クレスの怒気が薄れていくのをシンは背中に感じていた。
「事情は分かりました。ほら、フィルも行きましょう」
ようやく納得したクレスがフィルを伴って浴室から出ていく。
シンはそこでようやく身体の緊張を解き安堵の溜息を吐く。
長く湯に浸かっていたせいで少々のぼせているはずなのだが、湯に浸かっていなかった部分は冷や汗により冷え切っていた。
「しかしまさかフィルが女だったとは気付かなかったな……」
一緒に働く事になってからフィルとはキングス工房で寝食を共にしているが、今まで全く気付かなかった。言動や行動が少年にしか見えなかったというのも理由の1つだ。
だが先程のフィルからは完全に少年らしさは消え去っていた。
恥ずかしさに紅潮させた顔。視線から守るように肢体を隠す姿。泣き出しそうな声。
どれも年頃の少女の反応だった。
先程の光景を思い出していたら、冷えていた身体も徐々に熱を持って顔も熱くなっていく。のぼせてきてしまったようだ。
だが男としての本能のせいで、もう暫くは風呂場から出るに出れない状態が続くのであった。
いつかやりたかったラッキースケベ。ようやく念願が叶いました。
GW集中投稿期間ということで、次回更新は5/2(土)0:00です。




