6-3
シンは見慣れない白い天井を見上げていた。
ここがどこなのか。なぜこんな所に寝ているのか。
目覚めて間もない頭は状況の理解を放棄しているようで、考えがまとまらない。
「…シン……」
自分を呼ぶ声が聞こえる。
どこかで聞いた事のある懐かしい女性の声。
寝ている自分のすぐ脇から聞こえてきた声の主に視線を向けようとした所で、右手が暖かく包み込まれる。
声の主に手を握られたのだろうと理解する。
そういえば幼い頃に高熱を出して倒れた時も、今と似たような事があったのを思い出す。
あの時、優しく手を握ってくれたのは……
「ねえ…さ…ん……」
シンは小さく呟く。
声を出した事で考える事を放棄していた頭から霧が晴れていく。
ぼやけていた視界が鮮明となり、手を握っていた声の主の姿をはっきりと捉える。
「あ…クレス……」
赤い髪の女性が、髪と同じくらい赤い双眸でシンを見つめている。
「よ、よかった…目が覚めて……」
今にも泣き出しそうな表情でクレスは握っていたシンの手を更に力強く握り締める。
「ここは?」
「王都の病院です。丸1日目が覚めないから凄く心配だったんですよ。あ、今、先生を呼んできますね」
手から温もりが離れ、クレスが慌てた様子で病室を出ていく。
その後ろ姿を見る限り、どうやら大きな怪我などはないようで安心する。
シンは自分の体の状態も確かめる。多少、擦傷や打ち身はあるが、全身が気怠い程度で大した怪我はしていない。
最後の落下の衝撃は凄まじかった。それを最後にシンの記憶は無いので、恐らくその際に気絶したのだろう。だが、あの衝撃でも大した怪我をしていないという事は、操縦席周りを操縦者保護を重視したのが、功を奏したようだ。
その後、シンは医者から簡単に診察を受けた後、体調が戻るまで数日入院する事を勧められた。
丸1日寝ていたというが、疲れが取れている様子は無く、正直に言って今は歩くのも億劫なので、シンは素直に入院する事にした。
ベッド脇には窓がある為、そこから王都を眺める事が出来た。
昨日の事が嘘のように平穏な空気が流れている。
(そういえば結局、屋台回り出来なかったな……)
王国祭は今日で終わりを迎える。いや、そもそも昨日の今日で何事も無く続けているかは疑問だが、どちらにしても祭りを楽しむ事は不可能だろう。
そんな事を考えながら、シンは全身の気怠さを身を任せてまどろみの中に意識を落としていくのだった。
翌日。
シンが目を覚ました事を聞いたアイリが病室へやってきた…のだが、その姿を見て、シンは固まる。
「シンさ~ん。目が覚めて良かったですぅ~」
シンの元気そうな姿を見たアイリはいつも通りに飛び付いてくる。
硬直していた事、そしてベットの上だった事もあり、避ける事が出来ずにアイリに捕まってしまう。
「え、え~っと、あの、その……」
どう言えば良いのか言葉が出ず、説明を求めるようにミランダに視線だけを送る。
「と、殿方はこういう恰好が好きだとユウ様が姫様に……。私は…その、姫様の命で仕方なく……」
真っ赤になって俯くミランダと腕に抱き付いて満面の笑みを浮かべるアイリの着ている服は同じデザインのものだった。
ナース服である。
しかもピンク色でミニスカという、実用性の無いコスプレ衣装である。
この病院を見る限り、仕事着としての看護服は清潔な白色で動きやすいロングパンツである。それは男女とも変わらない。
その事からコスプレ衣装だと判断する事が出来た。
太股までを覆う白いストッキングとピンクのミニスカの間には肌色の絶対領域が垣間見える。
特にミランダはスカート丈の長いメイド服を着ている姿しか見た事が無かった為、新鮮ではある。
「っていうかこういうのを止めるのがミランダさんの役目でしょっ!!」
確かにちょっと嬉しいが、思い掛けないまさかの事態にシンはツッコミを入れるしかなかった。
そもそもの原因であるユウを睨むが、壁の方を向いて口笛を吹く真似事をして誤魔化そうとしている。
「シンさんはこういう恰好は嫌いでしたか?」
抱き付いているアイリが上目遣いで尋ねてくる。
こんな風に可愛らしい顔で更に目を潤わせながら迫って来られると、嫌と言えなくなり、
「い、いや、似合っているとは思うが……」
ついそう答えてしまう。
きっとミランダも今と似たような感じで迫られたのだろうと、心の中でシンはミランダに合掌する。
ガタッと隣に居たクレスがいきなり立ち上がる。
「わ、私もそれに着替えてきます!」
クレスの琴線に何かが触れたのだろう。
「わあ、こら!クレスも対抗しなくて良いからっ!!」
慌てて空いている方の手でクレスの手を掴む。その向こうではユウが壁に向かって声を殺して笑っているのが見える。
(クソッ、後で覚えてろよ、ユウ!!)
心の中で恨みを溜めつつ、シンはどうやってこの場を収めれば良いか考える。
普段ならミランダが諫めて収めてくれるのだが、恥ずかしそうに両手でスカートの裾を押さえて俯いている現状ではそれは望めない。
何か皆の関心を引く物事や話題を出さなければ今の状況は収まりそうにない。
そこで1つ思い出す。
「そ、そうだ。俺、魔動具を…魔動機兵を動かせたんだぜ!」
「え、えっと、シン様。い、いきなり何を当たり前の事を言ってらっしゃるのですか?」
シンのその言葉にミランダは恥ずかしさも忘れて不思議そうな顔をする。アイリもシンの顔を見上げながら小首を傾げている。
そういえばこの2人には自分に魔動力が無い事を教えていなかったのだとシンは思い出す。
「そ、そうでした。どうして急に使えるようになったんですか?!」
事情を知っているクレスがシンに詰め寄る。ついさっきまでシンをからかって笑っていたユウも顔を向き直し、シンにとっては重大な事柄だという事をアイリとミランダに教える。
「シンは魔動力を持たない特殊な体質らしくて、これまで魔動具すら扱う事が出来なかったんだよ」
ユウの言葉に目を丸くするアイリとミランダ。
「そうだったんですか?」
「そのような方がいらっしゃるなんて初耳です」
2人ともかなり驚いている。
王女とその侍従長である2人は、ユウやクレスより多くの人間と接しているだろう。それでも会った事が無いという事は、この世界には魔動力を持たない人間は相当珍しいのだろう。
「正直、俺もどうして使えるようになったのか分からない。あの時といえば……」
シンは言葉を一旦止めて、クレスの顔、いやその唇をつい見つめてしまう。
シンからのの視線とその時の事を思い出し、クレスも頬を染めてつい目を逸らしてしまう。
アイリは何かを敏感に察したのだろう。掴んでいたシンの腕を更に力強く抱きかかえる。
「ま、まぁ、そういう訳でこれでようやく俺も力仕事以外でユウの手伝いが出来るようになったし、何かの時はシルフィロードに俺が乗る事も…」
「それは無理じゃな」
シンの言葉を遮って部屋の入り口から白衣を着た老爺が入ってくる。
「騒がしいから他の患者に迷惑になると注意をしに来たのじゃが、タイミングが良かったのやら悪かったのやら……」
老人は昨日シンを診察した担当医師だった。
「先生。無理っていうのはどういう意味ですか?」
クレスが尋ねる。
「そのままの意味じゃ。ほれ、ちょっとそれを触ってみるが良い」
老医師はシンに緑色の石は投げて寄越す。
シンはその石を見慣れていた。ジルグラムだ。四角い形なので恐らく装飾品として加工されたものだろう。
シンの手の中にある緑色の石は、陽の光を反射して輝いている。だが、ただそれだけ。魔動力を現す波紋は出ていない。
試しにアイリが触った所、波紋はちゃんと広がっている。
「昨日の診察で魔動力が無くなっている事には気が付いてはおった。入院を勧めたのも魔動力が無いという異常の為じゃ。じゃが今の話を聞いて得心が言ったわい」
老医師によれば50年近く前に一度だけ、シンと同じように魔動力を持たない人物を診た事があるとの事だった。
どれほどの確率かは分からないが、異邦人であるシンとは別に、そういう人間も稀に生まれてくるのが分かっただけ収穫と言えた。
「魔動力とは血のようなものじゃ。自分の体から生み出され体中を駆け回っておる。例え意識が無くても魔動力は反応するのじゃ。元々から無かったのであれば、ある方が異常だったという事じゃろう。つまり今の状態が正常。それに元気が有り余ってるようじゃし、もう退院して良いぞ」
そう言うと老医師は去り際にコスプレナース2人の姿を目に焼き付けて、「眼福眼福」と呟いてから去っていく。
どうやらそのうちの一人がこの国の王女だとは流石に気付かなかったようだ。
まぁ、魔動力を持たない珍しい人間とはいえ、どこの馬の骨とも知れない無能男の腕にナース服を着て抱きついているのだ。似ているとは思っても本人だとは流石に思わなかったのだろう。
「ひ、姫様!もう私は我慢の限界です!!シン様も退院される事ですし、お話はまた明日という事で、本日はもう帰りましょう!!」
どうやら先程の老医師の視線のせいで自分の格好を思い出したのだろう。ミランダはそう言うとシンの腕からアイリを引き剥がし始める。
「そうだな。それに俺もあの後の事を色々聞きたいし」
ミランダが引き剥がしに掛かった事をこれ幸いとばかりにアイリの腕をやんわりと引き剥がそうとする。
気絶して以降、どうなったのかシンは未だ詳しく知らされていない。グランダルクが停止したということは聞いたが、暴走の原因やその後の処理の事などは知らされていない。シンだけでなくユウとクレスも詳しくは知らされていなかった。
「分かりました。では明日、改めて皆さんの所へ遣いを出しますね」
シンとミランダによる引き剥がし工作によってアイリは渋々シンから体を離すと、ミランダに連れられて部屋を出て行こうとする。だがシンは思い出したかのようにアイリを引き止める。
「ちょっと待った。1つこれだけは言わせてくれ。明日はちゃんと普通の格好で頼むぞ」
シンはそう釘を刺すのであった。
シンが退院した翌日。
アイリが説明の場として指定したのは、王国祭の間、シン達にあてがわれた工房倉庫だった。
そこには無残な姿のシルフィロード、その胸部だけが転がっていた。
「なんか俺が初めてこいつの姿をユウに見せられた時を思い出すな」
あの時はここまでボロボロでも無く、周囲に手足のフレームが置いてあった。
「けれど一からやり直しって訳じゃない。一度完成させたのもあるし、今回の事で欠点とかも色々と分かったしね。シンとクレスには操縦した経験を生かしてアドバイスをしてくれれば、もっと改良出来るだろう」
「はい。私もこれで少しはお手伝い出来ますね」
ユウの言葉にクレスは嬉しそうに返事をする。
ユウの言う通り、これまでの経験を生かせばシルフィロードの2号機は更にスペックが上昇するだろう。
開発書に書かれてあるスペックにどれだけ近付けるか、正直楽しみではあるが、シンとしては少し不服である。
数日前はシルフィロードを手足のように動かせたのに、今では再び無能になってしまったのだから。
「皆さん、遅くなって申し訳ありません」
ミランダを伴いアイリが姿を表す。
釘を刺したのが功を奏したのか、アイリ達は普段通りの格好であった。
「改めましてこの国の危機を救って頂いた事、父王に代わり感謝致します。父王は皆さんとの謁見を望まれていましたが、皆さん、堅苦しいのは苦手だと思いましたので、私から礼を述べるという事でお断りしておきました」
未だ作法に慣れていないシンにとっては助かる話だった。
そしてシンの中で、まだ顔すら見た事のないフォーガン王が愛娘に頭が上がらない親バカなイメージになりつつある。
「それでは早速ですが、今回の事故についてお話させて頂きます」
アイリの言葉に頷いたミランダが詳細を話し始める。
「今回の事故はグランダルクに装着された試作品であります魔動タンクに残っていました魔動力が勝手に注がれて制御回路が勝手に動いたのだと魔動研究所より報告を受けました」
魔動タンクが原因であるということは掴んでいるが詳細はまだ調査中ということであった。何しろ原因である魔動タンクはシンとシルフィロードの手によって半壊しているのだ。
被害を食い止める為に仕方が無い事ではあったが、このような状態では原因を突き止めるのは難しいだろう。
「それからこれは昨日の事になりますが、王国祭の最終日は中庭は閉鎖され中止となりました。流石に魔動機兵2機の戦闘の跡は酷い状態でしたので」
あんな事があったのだからそれが普通だろうし、しょうがない事だろう。
復旧には短くても数ヶ月は要するという話だった。
ミランダが一通りの報告を終えると1歩下がり、今度はアイリが話し始める。
「今後の事ですが、魔動機兵自体に暴走という危険性が無い上に、今回の事で有用性も確認出来た為、戦闘用魔動機兵は数多く生産される事となるでしょう」
「それはやはりアルザイル帝国の存在が影響してるんだろう?」
ユウの言葉にアイリはゆっくりと頷く。
元来、魔動機兵は戦いの為に作られた魔動具である。先日の戦いを見れば、誰もがあの力を望むであろう。特に戦争となれば尚更。強大な力はあって困るものではない。
防衛に特化したグランダルクと遊撃に特化したシルフィロード。
同じ魔動機兵でもコンセプトはまるで異なる。
王立魔動研究でシルフィロードのような高速機を一から作るよりユウ達から助力を得た方が、時間的にも費用的にも楽だと判断したのだろう。
「アルザイル帝国軍は今も国境線に滞在しているそうです。今回の事がどう伝わるかはまだ分かりませんが、良くも悪くも事態は動くと思われます」
魔動機兵を脅威と捉え、部隊を引き揚げるのか。それとも暴走事故による混乱を好機と捉え、攻勢に出てくるのか。
暴走というトラブルが無ければ、戦闘用魔動機兵の存在があるだけで脅威を感じただろう。
だが原因が魔動機兵側に無いとしても、暴走事故が起きた事実は変わらない。
この事がどう影響するかは、その時になってみないと分からない。
だからこそ魔動機兵の量産という話が浮上してくる。牽制の為にも、防衛の為にも。
いや王立魔動研究所はそうなると既に予想していて、量産を前提とした魔動機兵を造り出したとも考えられる。
「まぁ、その辺の事は軍のお偉いさんの判断に任せりゃいいんじゃないか?俺達が今考えても仕方ない事だろ」
シンの言葉の通りである。
アイリは王女だとはいえ、軍部への権限があるわけではないし、シン達は軍人では無くただの魔動工房の技師と従業員である。
他国との戦争に深入りする理由も関わる理由も無い。
「それもそうですね。ですが魔動研究所から何かしらのアプローチがあることだけは覚えておいて下さい」
3人は頷く。
基本的に王国祭で発表された技術については情報を開示する事が義務付けられている。当然、シルフィロードに使われた技術も提供しなければならない。
とはいえシルフィロードの作製に真新しい技術はほとんど存在しない。ユウが考え付いた魔動フレームの伝達効率上昇の技術は既に、王立魔動研究所もグランダルクに実装していた。あるとすれば各部に小型魔動力炉を設置して出力上昇と伝達効率上昇を図った程度であり、技術提供をした所でキングス工房に不利になる事は少ないだろう。
「それと今回の実績を踏まえまして、これからも王家は皆さんへ助力する事となりました。繋ぎ役は私が務めますので、改めて宜しくお願い致します」
魔動機兵を作り上げ、王立魔動研究所製の魔動機兵とも渡り合い、王都が破壊されるのを阻止した功績は高く評価されたのだろう。
シルフィロードの2号機を作製するにも、後ろ盾の有る無しで大分変わってくる。
「それは僕達にとっても助かるので、改めてこちらも宜しくお願いします」
ユウは右手を胸に添えて深々と頭を下げる。
「これで王女である私からは以上です…というわけで……」
先程までの威厳はどこへやら。王女モードから乙女モードとなったアイリは両手を広げると年相応の笑顔を向けてシンへと駆け寄る。
「何が“というわけで”だっ!!いきなり抱きつこうとするんじゃないっ!!」
腕のリーチの長さを生かして正面からアイリの肩を掴んで、その行為を阻止する。
「だって王国祭も終わってしまい、シンさんはヴァルカノに戻ってしまうじゃないですか。ですからそれまでにいっぱいシンさん分を蓄えておきたいんですよ~」
確かに王都とヴァルカノの町はかなり離れている。
魔動騎馬があるといってもそうそう簡単に往復出来るような距離では無い。
寂しそうに目を伏せながら言われて、シンは一瞬、それならば、と思い掛けてしまう。その結果、僅かに手の力が緩み、アイリの接近を許してしまう。
「はう~、やっぱりシンさんの胸は安らぎます~♪」
しっかりと両腕で抱き付き、シンの胸に頬を摺り寄せる。
「コラ~!何をやってるんですか、シンは!!」
クレスが頬を膨らませる。
「って怒られるのは俺なのかよ!!」
ミランダはその光景を暖かな微笑みで眺めている。
その様子からミランダに助けを求めるのは不可能。
視線を横に移せば、そこにはニヤニヤしているユウがいる。こっちも助ける気が無いのが一目で分かる。
「シンさ~ん♪」
「シン~!!!」
両者の板挟みに遭いながらシンは天を仰ぐ。
(ああ、神よ。魔動力という奇跡より先に、どうかこの2人を何とか出来るコミュ力を俺に与えて下さい)
こうしてシン達にとって初めての激動の王国祭は終わりを迎えるのだった。
王国祭絡みのエピローグ的なものですが、アイリの暴走のおかげで文量がこれまでの1.5倍近くになっていますww
次回、3/29(日)0:00に更新します




