6-2
漆黒の鉄巨人を眼前に捉え、ソーディは怯む事無く剣を構える。
背後に居るアイリッシュ王女とその侍従長のミランダを命を掛けて護ろうと誓ってはいるが、その威容の前では人間一人の命など虫ケラ以下の儚いものにしか感じられない。
「ここは私が食い止めます。王女様はその間に早くお逃げ下さい!」
魔動機兵、それも戦闘用ともなれば、その戦闘力は騎士100人にも匹敵すると言われている。ソーディ一人ではその歩みを止める事さえ不可能だろう。
だが退く訳にはいかない。たとえここで命を散らせる事となったとしても。
王国兵として、王女の護衛として、そして騎士の誇りに賭けて、ソーディは最後の最後まで抵抗を続ける覚悟であった。
グランダルクの巨大な足が振り上げられる。
ソーディは剣を持つ手に力を込め、腰を落として、最下段で剣を構える。
一矢でも報いる為に最大の力を持って踏み潰そうと迫るその足に剣を振り上げる。
激しい衝撃音。
だが音とは裏腹にソーディの手には手応えすら感じられない。いや、そもそも剣は目標に当たる事無く空振りに終わっている。
理由はすぐに分かった。
先程まで影を落としていた漆黒は白銀へと入れ替わっている。白銀に輝く巨大な騎士・シルフィロードの姿だった。
間一髪。
白き矢となって駆け抜けたシルフィロードは、ソーディを踏み潰そうとしていたグランダルクに回し蹴りを放ち、横方向へと吹き飛ばしていた。
背後から直線的に向かっていた為、そのまま突撃すれば、アイリ達の居る方向へ倒してしまう。それを回避するためにグランダルクの直前で腰を回転させ、右足で魔動タンクの側面を蹴り抜いた。
重量級が吹き飛ぶ程の衝撃のおかげでシルフィロードも加速が中和され、その場に降り立つ。
『アイリ!早く逃げろって言っただろっ!!』
「シンさん……」
シルフィロードから発せられたシンの声に、アイリは両手で口元を押さえて泣き出しそうになるのを堪える。
(ああ、やっぱりシンさんは私を護ってくれる王子様です)
『ソーディさん、2人を早く連れて行ってくれ!』
感涙しかけているアイリを尻目に、シンはソーディにそれだけを頼むと、鋭い視線をグランダルクが吹き飛んだ方へ向ける。
相手は現存する最高硬度を誇るアダマス鋼の鎧甲で全身を覆われている。この程度ではダメージすら無いだろう。誰かが乗っていれば気絶なりなんなりで動きが止まることもあり得るが、無人である以上、それは望めない。
停止させる方法は背中に背負っている魔動タンクを壊すか切り離すかして魔動力の供給を断つしかない。
先程の回し蹴りもそれを狙って魔動タンクを蹴ったのだが、どうやらかなり頑丈に固定されているらしい。瓦礫を押しのけてグランダルクが立ち上がる。
「クレス、もう少し激しく動くけど大丈夫か?」
先程の一撃はクレスが操っていた時とは比べられない程、段違いのスピードだった。もしシンが動き出す前に注意を促してくれなければ、舌を噛んでしまったかもしれない。急激な加減速は、操縦席の周囲に張り巡らせた魔動筋がかなり緩和してくれたおかげで、多少きつくはあったが、耐えられない程ではなかった。だが今のシンの言葉を聞く限り、まだ全速では無いのだろう。
シンの迷惑になりたくない一心で気丈に「大丈夫」と振る舞う。
実際に心の方は一人で対峙した時のような恐怖心は湧いては来なかった。それどころか、シンと密着して温もりを感じているおかげか、安心感さえ抱いていた。
この2年の間、クレスの知る限りではシンは格闘技や剣技の修業をしていたり、実際に使っている所を見た事が無い。けれど今のシンからは戦い慣れしたような雰囲気が出ているように思えた。
魔動王国語を読める事といい、失った記憶に戦いの記憶でも刻まれていたのだろうか。
それらの事が安心感に繋がっているのだとクレスは勝手に解釈する。
だが、当のシン本人には当然の事ながらそんな経験など無い。
平和な現代日本に住んでいた高校生のシンには戦争を経験した事も無く、他人との関わりも積極的でなかった為、殴り合いの喧嘩の経験も無い。
家に引き籠っている事の方が多かったので、運動らしい運動の経験も無い。
記憶しているのはテレビの格闘技番組やアニメ等で見た様々な動作である。
だが魔動力はそれを良い方に導いてくれる。
魔動機兵の魔動制御装置はかなり優秀なようで本人が経験していなくても、心にその動作を思い浮かべるだけで、その動作に最も近い行動プログラムを選択し、実行してくれる。
先程のような高速突進からの空中回し蹴りなど、現実で出来る人間はそれほど居ないだろう。
だが、シルフィロードならば現実離れした荒唐無稽と思われるような動きでも可能な気がした。
だからシンは臆する事無く、再びグランダルクへ攻撃を仕掛ける。
無人機が相手であればフェイントも不要とばかりにグランダルクに向けて真っ直ぐ走り、幅跳びのようにその頭上を飛び越える。
空中で体を反転させながらその背後に着地し、ガラ空きの魔動タンクへと手を掛ける。メイン魔動力炉と肩部の魔動力炉の力を全開放して、フルパワーで引き剥がそうとする。
グランダルクはまるで嫌がるように体を振り回し、シルフィロードを引き離そうとする。ただの防衛プログラムなのだろうが、それはどこか意志のある人間の仕草のようにも見える。
シンは掴む事に固執せずに、振り落とされる前に自分から手を離し、振り回された遠心力を利用して、離れるように着地する。
グランダルクがシルフィロードを正面に捉える。
明確な意思など存在しない無人機の為、シルフィロードを敵として認識したわけではないだろう。だが障害物として排除しなければいけない対象物だとは認識されたようである。
先程までの単純な動きと異なり、足を肩幅程度まで開き、肘を曲げた状態で両腕を胸の前まで上げる。大地にどっしりと構えたファイティングポーズ。
その構えにシンは警戒して一瞬動きを止める。
これまでが移動モードだとすれば、構えをとった今の状態は戦闘モードといった所なのだろう。
先程のように簡単に背後を取る事は出来ず、恐らく反撃もあるだろう。
シンは自然と笑顔を浮かべる。
(ようやく異世界物の主人公らしい展開になってきたじゃねぇか!)
初めての実戦による恐怖より、溢れるほどの歓喜と興奮の方が上回っていた。
シルフィロードが三度駆ける。
回り込むようにして、再び背中の魔動タンクに手を伸ばす。
しかし今度は、その手は届かない。振り向き様に放たれたグランダルクの裏拳により左手が弾かれる。
手首から先が砕かれて弾け飛ぶが、お構い無しに更に一歩踏み込み、右肘をがら空きになっていた背中に突き刺す。
右肘の鎧甲が砕けるが、突き刺した魔動タンクにも亀裂が走る。
試作品な上に魔動機兵に取り付けるような代物ではないとユウが言っていたので、もしかしたらと思っていたが、案の定、魔動タンクを覆っているのはアダマス鋼では無いようだ。最初に蹴り飛ばした側面もへこんで歪んでいた。
相手が動き回り反撃してくる以上、背中に取り付いて魔動タンクを外すという作戦はかなり難しい。
かといってグランダルクの四肢を破壊して身動きを取れなくするというのも、アダマス鋼の鎧甲がある限り、現実的ではない。
やはり一番可能性があるのは魔動タンクそのものを破壊する事。
最低でもグランダルクの側面まで回り込まなければいけないが、シルフィロードのスピードがあればそれも不可能ではないだろう。
問題は操縦者が耐えられるかどうかだ。
この2年間で済し崩し的ながら体が鍛えられたシンにはまだ少し余裕があるが、一緒に乗るクレスは動きが止まる毎に荒い息を吐いて、なんとか呼吸を整えようとしている。限界は近そうだった。
今から降ろそうかとも思ったが、もしそんな事をすれば、グランダルクの餌食になってしまうだろう。
最初に降ろしておくべきだったと今更思うがもう遅い。あの時はアイリ達を助けるために時間が無かったのもある。ならば我慢してもらうしかない。
「クレス、もう少し我慢してくれ」
シンはそれだけ言うと、返事も聞かずに動き出す。
グランダルクが振り回す腕を掻い潜り、先程肘鉄を見舞った箇所へ右回し蹴り。そのまま回転して後ろ回し蹴りでもう一撃を加える。
体勢を立て直す前に一歩だけ後ろに下がってから勢いをつけて今度は左肘を抉り込む。
攻撃をする方もされる方も、激突音の度に金属が砕け、その破片が飛び散る。
間合いを離そうとした直後、振り返りながら繰り出されたグランダルクの拳を身を低くしてかわすが、そこへ膝が飛んでくる。
咄嗟にシルフィロードは壊された左腕を前に出しガードする。だが、圧倒的なパワーの前にガードごとシルフィロードは吹き飛ばされる。
勢いに身を任せて遥か後方まで飛ばされながら、十分に間合いが離れた所で体勢を整えて地面へと降り立つ。
「きっつ……」
シンは苦悶の表情を浮かべる。
高速機動機は操縦者を選ぶというが、確かにこれ程の加減速を常に受けていては、どんなに鍛えていても長時間の戦闘は行えそうにない。
特に、攻撃を受けてしまうと自らの意図しない方向の衝撃が襲うので、負担は大きくなる。
現に今も戦い始めてから時間にして5分も経ったかどうかであるが、シンの息はかなり上がっている。
横目でクレスを見ると、顔を青くしてぜーぜーと苦しそうに息を吐いている。
クレスの背中を優しく撫でて、息を整えるのを補助する。
(もう限界だな。後2回、いや後1回でなんとかするしかないな)
作戦を考えるにしても時間に余裕は無い。
こうしている間にもグランダルクはどんどん近付いてくる。
「こうなったら最後に無茶をするぞ。耐えてくれよ」
それはクレスに、自分に、そしてシルフィロードに言い聞かせるように呟く。
クレスからの返事は無いが、しがみつく腕に力が入る。
グランダルクが間近まで迫る。
(まだだ。もう少し……)
グランダルクが走ってくる勢いで肩を突き出す。そのままショルダータックルをぶちかますつもりのようだ。
(後1歩……後半歩…………今だっ!!)
ギリギリまで引き付けてからシルフィロードはそれまで溜めに溜めた足の力を一気に解放する。
グランダルクがシルフィロードを捉える。だが衝撃も音も何もしない。
捉えたのは残像。
完全に当たったと思われた攻撃を回避され、グランダルクの体が泳ぐ。
ほんの僅かだけ体をずらして渾身の一撃をいなしたシルフィロードは最大パワーで魔動タンクの底部を右腕でアッパー気味に殴りつける。だが魔動タンクは外れる気配が無い。
だがシンもそれは承知の上。
今の一撃で右腕の肘先まで破壊されるが、それに構う事無く今度は左の膝を底部に叩き込む。
膝を覆う鎧甲が砕けるが、その代わりに重量級のグランダルクの体が宙に舞う。
続いて右足を跳ね上げる。脛が砕けるが、まるでボールでも蹴るように、重量感溢れる漆黒の機体は空へと高々と舞い上がる。
空中で一瞬だけ静止した後、魔動タンクが重いおかげでうまく背中を下にした状態で落下してくる。
魔動タンクを覆うカバーの一部が破壊されて、その内部機構が露出している。
シンは視点をそこに定める。
「こいつでぇぇぇぇっっっ!!」
気合いに呼応するように、首に掛けていたエメラルドティアーが、シンの魔動力を受けて炎の揺らめきのような緑色の光に包まれる。
緑光の揺らめきはシンを、そしてクレスを包み、操縦席をも包み込む。更には魔動フレームを通してシルフィロードの全身を覆っていく。
鎧甲の隙間からまるで炎が噴き出しかのように緑光が揺らめく。
「終わりだぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
裂帛の気合と共にシルフィロードが落下するグランダルクへ向けて飛び上がる。
手首を破壊されたおかげで鋭利な刃物のように尖った左腕を翳し、緑色の尾を引いてシルフィロードは迫る。
この一撃に全てを込めて。
「キレイ……」
グランダルクにより蹂躙され、絶望と悲しみに満たされつつあるこの場で、アイリのその呟きは不謹慎にも捉えられ兼ねない。
だがそれを咎める者はいない。
彼女が王女だからでは無い。皆が同じような感想を抱いていたからだ。
シルフィロードが放つ緑光は、遠くから戦況を見守っていたアイリ達の目には、まるで天を貫き、暗雲を吹き飛ばす一筋の稲妻に見えた。
逃げていた者達も逃げ出すのを忘れ、緑光の柱を眺めている。
光はどこか春の日差しのような暖かみを感じさせ、それでいて圧倒的な存在感も感じる。
轟音が響くと同時に光は消失。続いて2度目の轟音。
暖かな雰囲気は消え去り、周囲に不安という名の空気が流れる。
「シンさん……」
アイリが祈るように呟く。
その肩をミランダが優しく支える。
「きっと大丈夫です。シン様を信じましょう」
ミランダに顔を向けるとそう言って頷く。
さらに視線を動かすといつの間にかミランダの隣に来ていたユウと目が合う。
ユウは何も言わず、ゆっくりと頷く。
それだけでユウの思いも一緒なのだと分かる。
アイリは再び正面を向いて緑光が消えた先を見つめる。
シンが無事戻ってくると信じて。
*
シンはこの一撃に全てを賭けていた。
度重なる高速移動による重圧でシンは息をするのさえ辛かった。クレスは耐えられず、既に意識を失ってぐったりとしている。
シルフィロードも半壊していて最後の一撃の衝撃に耐えられるかも疑問が残っている。
だがこれで止まらなければ、もうグランダルクを止める事は出来ないだろう。
肺に残っていた全ての息を吐き出すように叫びながら、シンはただ1点、魔動タンクの内部が剥き出しになった箇所にシルフィロードの左腕を突き刺す。
重力とグランダルクの自重により落下の速度が増した所に、フルパワーで下から突き上げる。
金属が潰れ、砕ける音が周囲に響く。
メキメキという音と共にシルフィロードの左腕が肩口まで魔動タンクの中へめり込んでいく。
次の瞬間、操縦席と自分達を覆っていた緑光が、突然の停電のように、消え失せる。
同時にシンの内側に宿っていた力が抜け落ちていき、疲労感が襲い掛かる。
重なり合うように2機の魔動機兵が地面に落下する。
落下の衝撃により魔動タンクに突き刺さっていた左腕は肩で折れ、両足はグランダルクの体に押し潰され、膝から下が粉々になる。
操縦者の安全を確保するために堅牢に造られた胴部だけが原型を留めて大地を転がる。
シルフィロードが完全に動けなくなったのは、誰の目から見ても明らかだった。
一方のグランダルクは見た目だけはほぼ無傷と言えた。
最後の一撃でも完全に魔動タンクを破壊出来なかったのか、グランダルクは立ち上がろうと蠢いている。だが、流石にアダマス鋼の鎧甲でも落下の衝撃を和らげる事は出来ず、各関節部や魔動フレームに損傷を負っているようだった。
立ち上がれずに足掻いている内にその動きは緩慢になり、遂に完全に動きを停止する。
「終わったようだね」
ユウは静かになった戦場を見つめ、そう呟くと、シルフィロードの胴部へと走り出す。
「これでようやく…終わったの…ですね……」
アイリはドレスが汚れるのも気にせず地面へとへたり込む。ユウのように駆け寄ってシンの安否を確認したかったが、極度の緊張から解放されたせいか、腰が抜けたように立ち上がる事が出来なかった。
「お疲れ様でした。やはり姫様の仰る通り、シン様はやって下さいましたね」
「はい。シンさんは私の騎士様ですから」
優しく肩を支えてくれるミランダにアイリは満面の笑みでそう答えた。
視線を戻すとユウがシルフィロードの胸部へ辿り着いた頃であった。
ユウは搭乗口強制解放装置に手を掛けようとして、既にそれが解放されているのに気づき、シンが中に入る時に使用したのだと思い至る。
「シン!クレス!2人とも大丈夫だったか!?」
ユウは操縦席に体を潜り込ませながら声を掛ける。だが返事は無い。
まさかと思いつつ急いで操縦席まで顔を伸ばす。
「……まったく。満足そうな顔して寝やがって……」
操縦席でややにやけ顔で眠るシン。そしてそれに寄り添うように安心した表情で眠るクレス。
2人とも胸元が規則正しく上下しているので、単に気を失っているだけのようだ。
ライトで周囲を照らしても血のような跡は無いので、命にも別状は無いのだろう。
「救護が来るまでそっとしておいてやるか」
ユウは柔らかな表情で2人を眺めた後、そっと外へと出る。
アイリ達にも大丈夫だという事を知らせる為、そちらに向けて腕で丸を作る。
後は待つだけだ。
ユウは座り込み、そっとボロボロとなりつつも原型を留めている胸部に手を当てる。
「2人を護ってくれてありがとうな」
意志の無い機械であるシルフィロードがそれに返事をする事は無い。だが、ユウは満足そうな笑みを浮かべて見つめ続けた。
ようやくロボットものらしい展開に。
決着回ということもあり分量は少し多めになってます。
次回、3/25(水)0:00更新予定




