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目を覚ますと見覚えの無い天井が見える。
綺麗な木目の天井は、どこか温もりを感じる。
病院のような染みの無い白一色の天井でもなく、自宅のタイル張りの天井でも無い。
確か幼い頃に泊まった祖父母の昔ながらの日本家屋の天井がこんな感じだったのを思い出す。
部屋の中には仄かに灯りが揺らめいている。
蛍光灯のような明るい灯りではない。
首を動かすと、壁に掛けられた飾台の上で蝋燭が揺らめいているのを見つける。
(確か自分は……)
混濁していた意識が徐々に正常へと戻っていく。
(確か新作のプラモを買いに行ったんだっけ)
彼の住む街は田舎だった。
数年前に市町村合併で市になったが、住所の表記が変わっただけで、街そのものが何か変わったわけではない。
本屋に入荷する新刊は発売日の翌日、下手をすると数日後にしか入荷しないし、あまりメジャーでないものは取り寄せないと入荷さえしない。
少し足を伸ばせば大型のブックセンターがあるが、そこまで行くのにも車で30分近くはかかる。
玩具屋も似たようなものだ。
いつ潰れてもおかしくなさそうな個人経営で、店の8割は変身ベルトや版権物の人形など子供用の商品で埋まっている。
彼が求めるものは殆ど手に入れられない。
だから彼は欲しいものを手に入れるための労力を惜しまず、電車を乗り継ぎ、大型の模型店へと足を運ぶ。
そして資金の許す限り、買い込むのだ。
ロボットのプラモデルを。
「あ、目が覚めたようですね」
唐突に声を掛けられる。
その声は女性のものだったが、母親でも姉でもない、聞き覚えの無い声だった。
強いて言うなら、彼の好きなロボットアニメに出てくるヒロインのようなアニメ声だった。
「大丈夫ですか?まだぼーっとしてるようですけど」
彼の視界の女性の顔が入り込んでくる。
声色から想像した通りの可愛らしい少女だった。
生まれつきこういう色なのだろう。赤みを帯びたポニーテールは無理矢理赤く染めたような下品さはなく、同じ色の瞳と相まって、より一層、その少女の可愛らしさを引き立てていた。
「名前、分かりますか?」
少女が尋ねる。
赤毛の少女などアニメの中でしか見たことが無いため、目の前の少女に会うのは初めてだ。当然、名前など知らない。
そう言い掛けてから気付く。これは彼女の名前を知っているかという意味ではなく、彼自身が自分の名前を言えるかどうかという意味だ。
意識が混濁していたり、記憶が混乱している場合の常套句のようなものだ。
「シン…タロウ……。リンドウシンタロウ……」
掠れた声で答える。そこで彼、竜胆慎太郎は喉がカラカラに渇いている事に気付く。
少女はその事に気付いたのか、水差しを口に差し入れ、ゆっくりと飲ませてくれる。
「リンドウシンタロウさんですか、珍しいお名前ですね」
「言い難いようだったらシンでいいよ。姉貴や母親にはそう呼ばれてたし」
喉が潤い、ようやくまともに喋れるようになる。
「分かりました。シンさんですね。私はクレス・パーシヴァル。クレスと呼んでください」
見た目と名前は外国人だけど、喋っている言葉は流暢な日本語。
日本なのは間違いなそうだが、何故こういう状況になっているのか、シンは記憶を遡る。
(確か俺はプラモを買いに行って、そこで限定版の……)
「そうだ!俺のプラモ!!」
ガバっと跳ねるように上半身を起こし、周囲を見渡す。大型模型店のロゴ入りの紙袋の姿は無い。
がっくりと肩を落とし項垂れる。
「マ、マジか……」
うっすらと涙が溢れてくる。
ただのプラモデルなら、買い直すことは出来る。その分余計に金が掛かるので、良いとは言えないが。
だが今回買ったのは完全限定生産品だ。
シンの最も好きなロボットアニメ『爆走機鋼ガンフォーミュラ』の主人公機・ヴァルガリオンの10分の1モデルで、全高は80cmにもなる。
原作者がアニメ版のロボット監修と共に基本フレームから完全再現した代物で、そのパーツ数は1万を越えるとも噂されていた。
当然、限定の為、価格もプラモデルとしては目を疑うような金額である。
「あれの為にお年玉も毎月のこずかいも貯めて、欲しいプラモを泣く泣く諦めて我慢し続けたのに……」
「あ、あのシンさん?」
クレスの言葉に顔を上げる。
いつの間にかシンの目からはボロボロと涙が溢れていた。
「もしかして、あのお荷物はとても大事なものだったのですか?」
シンは声を発する事も出来ずコクコクと頷く。
「実はあのお荷物はユウが、あ、ユウっていうのはこの家の家主で、彼が興味深いといって持っていって……」
クレスの言葉を最後まで聞くことなく、シンは勢い良くベッドから降りると脇目も振らず、部屋のドアを開け放つ。
ドアの先は居間なのだろうか、暖炉の炎が揺らめく生活感のある部屋だった。
だがシンはそんな周囲の風景など目に入らない。
目に入るのは分厚い本を片手にランナーについたままのパーツをしげしげと眺める金髪の青年の姿のみ。
「おい、てめぇ!俺のプラモを返しやがれ!!」
瞳に大粒の涙を溜め、シンは青年に向けて怒声を放つ。
「おっ、ようやくお目覚めか。ゴメン、ちょっと見せてもらってたよ」
シンの怒鳴り声を涼風のように流しながら金髪の青年は笑顔を向ける。
「いや~、本当は君が起きるまで待ちたかったんだけど、あまりにも繊細で緻密なものだから待ちきれなくてね。けどすごく難解な魔法王国語で書かれてるものだから解読が全く進まなくて。あ、それはそうと服くらい着たらどうだい?クレスが真っ赤な顔をして後ろを向いてるんだけど」
そこまで言われて初めてシンは自分がトランクス1枚のみっともない姿だと気付く。
「き、着替えるからちょっと待て。いいか、もうそれに触るなよ!!」
慌てて部屋へ戻る。
途中、ぎゅっと目を瞑ったまま「着替えはベットの脇に置いてあります」と言うクレスに礼を言いつつ部屋の扉を閉める。
ベッドの脇に綺麗に畳んで置いてあったのは自分が着ていた服ではなかった。
柔らかな布で出来たゆったりとした上下で、ジャージみたいな感じである。
きっと汚れたりしていたから洗濯でもしてくれたのだろうと深く考えない。
今は人の物を勝手に触ったあの男に文句を言うのが先だ。
急いで着替えを終えたシンを金髪の青年は笑顔で迎える。
机の上は先程と変わりが無い。どうやら言いつけ通り、プラモに触ってはいなかったようだ。
「だから言ったじゃないですか。彼の目が覚めるまで待ちましょうって」
クレスが湯気の立つコップを青年の座るテーブルに置く。
「シンさんもこちらにどうぞ」
クレスの柔らかな笑みに毒気を抜かれたシンは促されるままに青年の向かい側に座る。
「温かいミルクです、どうぞ」
「あ、ありがとう」
目の前に置かれたコップから漂う甘い香りが鼻腔をくすぐる。
一口すすると甘さが口の中に広がり、脳に糖分が染み渡る。
そのおかげかどうかは分からないが、シンは少し落ち着きを取り戻した。
「自己紹介が遅れたけど、僕はユウ・キングスロウ。一応、魔動技師をやってるよ」
聞き慣れない言葉があった気がしたが、シンもまずは挨拶をする。
「竜胆慎太郎…シンでいいです。え~っと、その、さっきはいきなり怒鳴ったりしてすみませんでした」
「いえ、大事なものだったんですからあれくらい怒って当然です。もう!ユウは興味あるものを見つけるとすぐ後先考えなくなるんだから!」
クレスが口を尖らせてユウをたしなめる。
本人はお姉さんぶっているつもりなのだろうが、声が声なので妹が出来の悪い兄に注意しているようにしか聞こえない。
怒られている当のユウは苦笑いを浮かべて頭をポリポリと掻いている。
きっといつもこんな感じなのだろう。
自分もプラモの事になると見境無くなるから、人事のようには思えなかった。
もし逆の立場だったら、きっと自分も同じ事をしただろうと考えると、なんとなく共感を覚える。
「いや、俺もその気持ちは良く分かるから」
「うんうん、そうだよねそうだよね!あれを見て興奮しない技師なんていないって!魔法王国語で書かれた書物があるからきっと発掘品なんだろうけど、保存状態は良いし……」
「ちょっと待って!」
ユウはシンが共感してくれた事が嬉しいのか、怒涛のように喋りはじめるが、途中でクレスが遮る。
「まずはシンさんがなんであんなところに倒れてたか聞くのが先でしょ」
ユウが「ゴメンゴメン」とクレスに謝る姿を見ながら、シンは、その言葉でプラモを買った帰りにどこかで意識を失ったのだと気付く。
限定生産の為、仕入れされる数量もごく僅か。その為、シンは昨日の夜から徹夜で並んでいたのだ。
おそらく購入出来た安心感で緊張の糸が途切れてしまったのだろう。
どういう経緯なのかは記憶が曖昧だが、この場所にいるという事は、目の前の流暢な日本語を喋る外国人の2人が、倒れていた自分をわざわざ家にまで連れてきて介抱してくれたという事なのだろう・
「とりあえず、なんで倒れてたかの辺りは意識が朦朧としててあまり覚えてないんだけど、介抱してくれたって事でいいんだよね?ありがとう」
シンは机に額をつけんばかりに頭を下げる。
どのような状況で意識を失ったかは定かではないが、そんな状態だったなら、財布やプラモを盗まれて、放置されても文句は言えない状況だった。
良い人に巡り合えた事に感謝をする。
「あ、頭を上げてください。当然のことをしただけですから。それにあのままにしていたら野盗や狼に襲われていたでしょうから」
クレスが困ったようにオロオロとしているのでシンはゆっくりと頭を上げる。
本当は土下座までしたい気分だったが、そこまですると逆に引かれそうな気がしたのでやめる事にした。
先程からやけに聞き慣れない言葉が聞こえている気がするが、きっと日本語の解釈を間違えているだけだろう。
現代日本の狼は絶滅危惧種のはずだ。きっと野良犬の事を言っているのだろう。
「あ、そうだ。ちょっと電話借りていいかな?親に連絡しないと心配してるかも」
腕時計を見ると夜の9時を越えた辺りだ。流石にそろそろ帰るなり連絡するなりしないと怒られてしまいそうだ。
「デンワ?えっと聞いたことが無い名前だけど、それは魔動具の一種かな?」
ユウが首を傾げる。
「電話だよ電話。えっと…テレフォン」
英語の授業は苦手だが、この程度の単語くらいは日常的にも使われているので知っているつもりだ。
だがユウもクレスもそれがどういうものなのか分からないのか、頭にハテナマークを浮かべて首を傾げるだけだった。
(いくら田舎だって言っても日本だぞ?なんで知らないんだよ??)
「あぁ、電話はもういいよ。ここがどこか教えてください。まだ電車は動いてるだろうし」
まだ記憶が混乱しているのだろうと思ったユウは自分の住むこの街を詳しく説明する事にする。
「ここはフォーガン王国の王都から少し離れた所にある、大陸一高いイフリ山の麓のヴァルカノの町だよ」
今度はシンが首を捻る番だった。
さっきまでの会話は、日本語と外国語のちょっとした間違いや解釈の違いだと説明できた。
だが今、聞いた言葉は全く理解できない単語が多数あった。
(王国?大陸一??)
「え、えっともう一度言ってもらっていいですか?」
聞き取れなかったと思ったユウは今度は区切りながら、ゆっくりと現在地を伝える。
「フォーガン王国にある一番高い山、イフリ山。その麓にあるヴァルカノの町。ちなみにここは『キングス工房』と言って僕の住居兼魔動具工房だよ」
シンの頭は一瞬、真っ白になり、続いて混沌とした何かが駆け抜ける。
目を見開いたまま、近くの窓へと近付く。
窓の外は既に暗い。
街灯らしい光は見当たらない。かなり遠くに弱い光が見えるが、暗闇の中ではそれが何の光なのかまでは判別出来ない。
事ここに至って、シンはようやく部屋の中を見回す。
床や壁、天井の全てが木の板張りで、部屋の4角と中央には皮を剥いだ丸みを帯びた幹をそのまま柱としている。
レンガ造りの暖炉と相まってログハウスを想像させる。
蛍光灯かと思っていた光は天井から下がったランタンからだが、その光は炎の揺らめきでも蛍光灯の輝きでもない不思議な光を放っていた。
シンは混乱する頭をフル回転させ、現状の把握に努める。
(俺は竜胆慎太郎。16歳。日本人の普通の高校生。趣味はプラモ作り。家族構成は両親と4つ上の姉の4人家族)
自身の記憶は確かに間違っていないし、失ってもいない。
(ここはフォーガンって国のヴァルカノとかいう町?目の前にいる2人はクレスとユウって言ったっけ。そしてこの家はユウの魔動具工房??)
そこでシンの脳はパンクした。
意識が朦朧とし、貧血を起こしたかのようにばたりと床に倒れ込む。
慌てた表情で何かを叫んでいる可愛らしい少女の顔を最後にシンの意識は途絶えた。
そして翌日の朝。
シンがここが自分の住んでいた町どころか日本、いや地球という星でさえ無い事を知る事となるのであった。
初投稿です。
ゆっくりめで進めていきたいと思いますのでよろしくお願いします