夜景と、突然の招待
私は今、神戸の夜景を眺めている。
ただひとり、ぼんやりと。
北公園のベンチに、腰掛けて。
帰らなくてはならないと、頭の隅で誰かが言うのだが
私は、帰りたくなかった。
永遠に、この美しい夜景を眺めていたかった。
だが…
私を追い立てるように、小雨が降ってきた。
加えて今日は風が強い。
吹きつけてくる風に雨が合わさり、
私はやれやれと思いながら腰を上げた。
鞄から折り畳み傘を取り出しながら、自分に向かって心の中でつぶやく。
ま、橋を渡っている間だけでも、夜景と海を見よう…
もう、見ることはないだろうから。
人通りの少ない、というか私以外に人が見あたらない橋を、私は三宮に向かって歩いた。
折り畳み傘は風で壊れそうだったので、畳んでしまった。
細かい細かい雨粒が、私を包んでゆく。
向こう岸にある観覧車の電光掲示板が、『ようこそ神戸へ』という文字を浮かび上がらせたのが見えた。
私は「さよなら、神戸」とつぶやいた。
その時。
とんっ
と
右肩に重みのある何かが触れた。
私が驚いて両肩をびくんと上げると、
「こんばんは。驚かせてしまい、すみません」
低めで、それでいてはっきりとした男の人の声だった。
私はおそるおそる首だけ右後ろへと向け…
ている間、いろいろな憶測が頭の中を飛び交う。
逃げた方がいいよね、逃げた方がいいよね?!?
心の中は焦りでいっぱいなのに、体が動かない。
首を動かして見えたのは、まず視界の下端に(私と比べて)大きな手。それから…
海のような深みのある青色と、輝く金色。
その両眼と目が合った瞬間、私の思考は、ぱったりと停止した。
「アスカ様、ですね?」
彼の声で、やっと我に返る。
なぜこの人は、私の名を…?
「お迎えにあがりました。今宵のパーティーへ、お連れいたします」
彼は私の肩から手を離すと、自分の胸に当て、優雅にお辞儀をした。
「!?」
えーと……………
はい?
私が彼の口から飛び出す言葉に目を白黒させていると、
彼はそんな私を気にもとめず、
いつの間にか私の横の道路に停まっていた小ぶりな黒塗りの車のドアを開いた。
「さあ、お乗り下さい」
ちょっと待った。
ちょっとでいいから。
誰ですかあなたは どこに連れて行く気ですか パーティーってなんですか ………
私が溢れる疑問を整理して口にしようとしていると、彼がこちらに歩み寄ってきた。
「すみません、説明不足でしたね…
なにせ“こちら”の方と話したことがあまりないもので…どうかご容赦下さい」
そして丁寧なお辞儀をすると、
私の目の前に、細かい装飾のなされた白い封筒を差し出した。
「こちらが招待状です」
私はおそるおそる受け取り、深紅の蝋が押された封筒を開けた。
中には、確かに招待状が入っていた。
『アスカ殿、貴殿を私のパーティーへ招待申し上げる。ぜひ、来られたし』
……何時代?
見慣れない、いや聞き慣れない言葉遣いに戸惑いつつ招待状から顔を上げると、そこには私を見つめる青と金の瞳。
私はやっと、いきなり私に声をかけてきたこの男の人を、落ち着いて観察できた。
黒い(コートではなくどうみても)外套を着ているため中の服は見えないが、長いブーツの中にズボンをたくし込んでいるのは分かった。
少し癖のある黒髪と、白い肌。
身長は、私より頭一つ分くらい高い。
つまり、危険そうではないが、怪しさ満点
絶対、逃げた方がいい。
「あの、私、そんなパーティーなんかに呼ばれるような身分じゃありませんし、その、本当に身に覚えがないので、ええと、その、ご辞退申し上げたいで…」
「いえいえ、あの方はあなた様をご招待なさりました。間違いありません」
瞬時に遮られた。
「でもあの、私こんな格好ですし…」
大学に出かけていける程度の身繕いしかしていない自分を見下ろす。
「差し支えありません、あなたがいらっしゃること。それこそが重要であり、必要なことなのです」
怪しい。
どこへ連れて行かれるやらわからない。
だけど。
だけ、ど。
私は自分の中で好奇心が膨らむのを押さえられない。
夏休みの鬱々とした日々。
何か刺激が欲しくて、今日ここに来た。
目の前には、涼しげな顔立ちをしたオッドアイの美青年。
この世界に飽き飽きしていた私は、
冒険してみよう、いや、冒険してみたい!
その一念で、ロンドンのタクシー風のこじゃれた車に乗ることを、決意したのだった…




