第1話 セルリアの丘
暗く霧深い森の小川。ゆっくりと流されるゴンドラの中。何処とも知れぬ長い夢の中から目覚め、ぼんやりと瞼を開く竜騎士ユラン。
フラッシュバックのように流れた見知らぬ戦場。そして、城や祭壇。
「今のは……? あの赤毛の女騎士、どこかで……」
横たわる彼の胸の上で妖精リーロが、忙しなく辺りを見回してはキツネリスのような尾で頬を撫でていた。
「おはよう、リーロ……」
故郷である竜神族末裔の国スラフ・カザナスから旅立つ時。神霊セマグルから預かった柘榴の森の妖精。
未だ、その柘榴の森の中なのか?
辺りは夜のようにひっそりと暗く、鬱蒼と湿度を帯びる白い靄に包まれていた。
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ユランは覚めやらぬ夢を思い返していた。
見た事も無い燃える砦の風景。
また、会ったこともない騎士たちの戦い。
怪しげに棘の魔力を行使する赤毛の女騎士。
「……」
竜王カザナスと神霊セマグルに”炎の剣”を託されたユラン。
彼は次元壁で隔離された旧ガリア世界のアイル・ダーナ。その北方にある魔法四都フィンジアスに剣を届ける為、仲間と共に旅に出た。
それは”ガリアの戦い”が終結した時。いつか”白き軍勢”の元に転生した聖者が帰還する為。その用意された”ゲート世界”を旅するというものだった。
いつの間にか眠りに就いて、どのぐらいの時間が経ったのだろう。
スラフ・カザナスの”柘榴の森”リュブリャナ。
その奥底に隠されたキエフの黄金神殿。
そこに掛かる”竜の橋”。
その下を何処とも知れない異世界へと繋がる大河が流れていた。
そこで仲間と共にゴンドラに乗り込み、彼らは暗闇へと入った。
「ナカマ……」
何か大切なものを忘れているように呟いたユラン。
「そうだっ!」
そこでユランは我に返った。
共にゴンドラに乗って旅に出た幼馴染でもある女騎士フィン・ウゴール。竜神王リグラフの子ウーゼル。彼らの存在を思い出した。
ただ、彼らはユランの傍らで未だ夢の中にいた。
「フィン! おいっ、ウーゼル!」
眠い眼を擦りながら体を起こすウーゼル。
「あれ? ユラン……。まだ暗いよ……」
「なぁに寝ぼけてんだウーゼルっ!」
そんな二人を余所に、次第に靄を抜けて行く舟先。そこに現れた景色に見惚れるフィン。
「ユラン。ここは……?」
「分からない……。でも、俺よりもヴァニラ・フィールズの、ヴェリール族の転生者である君のほうが分かるんじゃないのか?」
そこには夜空の下に広がる丘陵一面を埋め尽くすよう、萌黄色の仄かな光を湛えてセルリアの花が咲き乱れていた。
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黒い薔薇の花びらのように打ち寄せる波が
泡立つ蒼い鎖に繋がれる入江の海岸。
漆黒の空にも映えるセルリアの花は
灯台の見える海沿いの丘で
萌黄の花びらと赤紫色の花冠に
仄かな光を湛え咲き乱れる。
熱を奪い擦り抜けてゆく夜風。
ふれる花びらのなびき。
氷のように溶けてゆく瞳は
涼やかに灯る光の渦に埋もれる。
そして
その頬をも濡らすぬくもりに
ゆったりと全てが染められる時。
(その抗いもせぬ間に)
嘆きの囁きは忍び込む。
果てようの無いなめらかな
例えようも無い全て。
やがて
それは胸の内をさらい
そっと
想い出の中へと閉じ込める……。
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花咲き乱れる美しい幻想郷に暫し見惚れるユラン達。ここは既に故郷であるスラフ・カザナスから遠く、遥か異世界に足を踏み入れているようだった。
優しい河の流れは、知らぬ間にゴンドラを岸へと寄り添わせていた。
船べりを跨ぎ降り、岸から丘陵へと向かうユラン達。
そして、緩やかに広がる萌黄色の絨毯を登り切ると、星降る夜空に紛れた。
開ける視界。
そこには遠く、ぼんやりと横たわる港町の明かり。そして、暗く沈む入江の海岸が見えた。
「灯台……」
フィンが静かに呟いた。
闇の中。何処を照らす訳でもなく、入江の小高い先端に蒼く滲んだ灯が浮かんでいる。
その岸壁の陰影手前にゆるやかな曲線を描いて、オレンジ色に明るく土色の港街が横たわっている。
黄色や淡い緑色にも見える瞬きの膨らみは、幻想的な異国の趣を湛えていた。
「街まで、結構あるな……」
セルリアの花が途絶える先。微かに道らしきモノは見えたが、遠く街まで暗さの生い茂る森が広がっていた。
そんなユランの言葉に、好奇心に満ちた顔でウーゼルが言う。
「とりあえず、行ってみよおっ!」
実際、他に何か当てがある訳でもない。
ユランたちは星降るセルリアの丘を下り、港街へと向かうのだった。
つづく