第37話 燃える大灯台砦
”魔の帳の三騎士”が一人、夢魔を操る赤毛の女騎士”悪夢のオネイロス”。
彼女が率いる闇夜の”黒き軍勢”は、ヴァニラ・フィールズのキュベレー大地に配された七砦の第一関門。その南方港湾商業都市ノーア・トゥーンの”大灯台砦”を奇襲した。
”神々の盟約”を破棄し、その大半の戦力を何処からか集結させ、闇夜が口火を切った戦いの趨勢は火を見るより明らかだった。
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荒れ狂い押し寄せる黒き群れの進軍。
燃え落ちる大灯台砦。
虚を突かれた”白き軍勢”の一翼。愛の女神エタニティの王国ヴァニラ・フィールズ。
その大灯台砦の騎士達は為す術もなく死体の山となっていった。
戦いの勝敗は瞬く間に決したかに見える中。
砦の副官である騎士イデアは、塔の最上階にある円卓の間で最後の抵抗を試みていた。
それは、この砦を守る"白き騎士団"の中にあって、副官という責任感がそうさせたのかもしれない。
魔の刃に切り裂かれ、瀕死の状態ながらも剣を杖に膝を起こすイデア。
彼は冷めやらぬ抵抗の視線を向け続けた。
そんなイデアにオネイロスが言う。
「まともに立ち上がる力も残ってないくせに。そろそろホワイト・ガーデンへのゲートを教えてもらえるかしら……?」
「馬鹿な……」
イデアは血が滲む唇で微かに笑みを浮かべると、静かに首を横に振った。
キュベレーの各七砦は、女神エタニティがいる首都ホワイト・ツリーへ、その宮殿ホワイト・ガーデンへと通じる"CHAOS-GATE / ケイオス・ゲート"と呼ばれる空間転移門で繋がれていた。
それ故、ゲートの通り抜けを許す事は、ヴァニラ・フィールズ全軍の敗北を意味する。それだけは死守せねばならなかった。
「往生際が悪いようね。ま、私は構わないのだけどね……」
そう言って、悪意に満ちた微笑を湛えるオネイロスは、謳う様に続けた。
「もとより、ゲートなど無くとも、この国の砦を悉く燃やし尽くし、白い大地を赤く血に染めるまで……」
嬲るように攻め立てるオネイロス。
彼女の戦い様の一部始終を、出る幕無しと脇で傍観していた魔導師ロッドバルが呟く。
「オネイロス卿にも、困ったものだ……」
普段は謀略や策略を好んで使うオネイロスであった。が、ひとたび戦場で剣を抜き放つと、その生来の血の気の多さからか、我を忘れて殺戮と血飛沫を求める残忍さがあった。
そんなオネイロスをロッドバルは嫌いではなかった。しかし、それは闇夜の女王ニュクス、ひいてはその娘である魔女エリスの意向には適わぬモノでもあった。
今回の侵攻作戦の詳細を立案したのはエリスだった。
ニュクスが闇夜の王エレボスに諫言した時。これをもって開戦を決意した。
そもそも、ガリア世界で起こった”古の神々と新しき神々”の不毛な戦い。
その休戦協定である”神々の盟約”が結ばれるに至ったのは、ケルト神アルビオンとカルヤラの女神エタニティが持つ”封神の指輪”の出現による所が大きい。
ただ、戦力差で見たとしても、ブリーン・スクォーラ・ウェル・アイルからなるケルト四国、更にヴァニラ・フィールズを合わせたテッサリアの兵力は闇夜の軍勢を凌駕していた。
それらを考慮した時。エレボス王ら”黒き王国勢”は休戦を余儀なくされ、女王ニュクスは臍を噛むしかなかった。
その忌々《いまいま》しき彼我の戦力差を埋めるべく、姦計を張り巡らせ立案されたのが今回の侵攻作戦であった。
そして、この作戦の成否は速やかな軍団の侵攻にあった。ケルト四国が疑心暗鬼にまとまり切らぬ内、ヴァニラ・フィールズの首都陥落を目していたのだ。
既にノーア・トゥーンの大灯台砦を落とした”黒き大軍勢”は、幾手にも分裂し次なる砦へと魔の手を伸ばしていた。
ヴァニラ・フィールズただ一国を相手にするならば、その戦力差は逆転する。
おそらく侵攻作戦初動に於いて、彼の国の戦力を大部分で削ぎ落とす事は間違いない。また、ケルトの援軍が駆け付けるにも相当の時間を要するに違いなかった。
そうであれば、オネイロスのやる通り、幾分の楽しみも仕方ないとロッドバルは考えていた。
「さて、坊やとのお遊びもここまで。そろそろ、死んでくれる?」
その滑らかな口調とは裏腹に、ジリジリと震えを伴って膨れ上がるオネイロスの殺意。
最早、今し方まで聞こえていた仲間の騎士達の声や海竜ストリの咆哮も途絶えた。
四方で昇る黒い煙を窓の外に見るイデア。
--- これまでか ---
そんなイデアを見下ろし、薔薇と十字架に彩られた鋼鉄の鞘から魔剣を引き抜くオネイロス。
その剣が上段に振り翳された時。
背後からの叫びと共に呪文の声が円卓の間に木霊した。
「させないっ! jaa-nuoliっ!」
傷つきながらも、剣を握る左手を支えにオネイロスに向かって放ち翳される右の掌と呪文。
その勢いを駆って撓る細い指先。
そこから打ち出される水蒸気の塊。
それは瞬時に氷結すると弾け飛んだ。
呪文に熱を奪われ放たれた塊は、腕組みをして壁に凭れていたロッドバルの目前で無数の氷の矢に姿を変えた。
そして、オネイロスの首元から背中にかけて鈍い音と共に突き刺さった。
イデアが叫ぶ。
「ヴェラ!」
それは"水の白魔術"を操る女騎士。砦の指揮官であり"フィヨルドの騎士"の称号を持つ七騎士の一人ヴェラの一撃だった。
ただ、既に彼女も血に塗れ、折れた剣を携えるのがやっとの状態だった。
「イデアっ!」
そう言って彼女は歩を部屋の中に入れようとした。
すると、氷の矢に首を射抜かれた筈のオネイロスが、不気味な笑みを零すのを見てイデアが叫んだ。
「ヴェラっ! 来るな! 逃げるんだ!」
その言葉にヴェラは困惑した。
確かに、まだ脇には魔導師らしき黒装束の大男はいたが、敵の総大将たる魔の女騎士に致命傷を与えた。
何より彼を残して逃げる事は考えられなかった。
「ふぅぅん……」
そう鼻で嘲笑うように小さく呟くオネイロス。
彼女は首に刺さる氷の矢に構いもせず、ゆっくりとヴェラに向かって上体を振り向けた。
そして、品定めをするようにヴェラを一瞥すると、俄かに嬉々として言葉を繋いだ。
「なるほど……。この男、貴方の恋人ね……」
見透かすようなオネイロスの言葉以上にヴェラは驚いた。
オネイロスが喋る短い間に氷の矢は蒸発するように消え失せていった。
裂けていた首の傷口も瞬く間に塞がってゆく。
傷口の再生を確かめるように首を撫で、ゆっくりと捻るオネイロス。
「それはそうとロッドバル。貴方も見ているだけじゃなくて、何かしたら……」
「これは失礼。せっかくの楽しみを邪魔しちゃ悪いと思ってね……」
「楽しみ?」
そう言って、再び悪意に満ちた微笑を浮かべ、剣を鞘に収めるオネイロス。
「そうね。じゃあ、こういうのはどうかしら……」
オネイロスは静かに左手の人差し指を、片膝で辛うじて体を支えるイデアに差し向けた。
すると、その指先が赤紫色に一瞬小さく燃え上がった。かと思うと、炎は一本の棘の矢となって跳ね上がるようにイデアの胸に突き刺さった。
血を吐き出し、刺さる胸の矢を握りしめながら後ろに倒れ崩れるイデア。
「そんな……。イデアっ!」
ヴェラの絶望が悲鳴を上げる。
ヴェラはロッドバルの存在は愚か、オネイロスをも掻き分けるようイデアの元に駆け寄った。
剣も投げ捨て戦いを忘れるかに彼女は、イデアを抱きかかえると彼の名を呼んだ。
そんなヴェラの姿を憐れむように見下ろすオネイロスが冷ややかに口を開く。
「下手に抜かない方がいいわよ。その棘の矢は特別製なの。抜けばその男、死は愚か、魂が砕け散っちゃうわよ。そう、この世から消えて無くなるの。
知っているのよ、お前たちヴェリール族の事を……。死しても魂は新しい肉体に転生するってこと。過去の記憶と想いを携えて繰り返し転生するってことをね。
魂を砕かずにその矢を抜くのは如何な女神にも不可能。その男を助けたければ、さあ、ゲートの在り処を教えて……」
悪魔のように問いかけるオネイロスの言葉に、息も絶え絶えのイデアが微かに口を開く。
「ダメだ、ヴェラ……」
「イデア……」
「さぁ、どうする?」
「ああ、女神よ……」
葛藤に震えるヴェラの頬に思わず涙が伝う。
消えそうな意識の中。イデアはヴェラの傷ついた頬を指先で触れると最後に優しく微笑んだ。
「ヴェラ、君と永遠にあれ……」
そう言い残して、刺さるオネイロスの矢を自ら胸の深くに突き刺した。
騎士として、友として、また愛する者の足手まといになる事を自ら拒んだのだ。
息絶えるイデアの血飛沫を浴びてヴェラは茫然とした。
オネイロスが吐き捨てる。
「ふっ、愚かなっ! なんて愚かな男!」
イデアの体を抱き涙するヴェラに構わず、オネイロスは言葉を続けた。
「さあ、今度は貴方の番。さあ……、オマエは何を望むの?」
「……」
言葉なく、涙で曇らせながらも怒りの瞳を向けるヴェラ。
「どうやら、その気はないようね……」
オネイロスはロッドバルに向き直ると、呆れ果てるように視線を合わせた。
そして、彼の小さな同意に頷くと、静寂で渇きに満ちる言葉を綴った。
「じゃぁ、貴方も死になさいっ!」
再び、今度はヴェラに向かって放たれる棘の矢。
額を打ち貫かれ、イデアと折り重なるように倒れ伏すヴェラ。
「でもね、それはただの毒矢。貴方は好きなだけ転生し、繰り返し生まれ変わるといいわ。そして、転生も出来ず朽ち果てて行くその男の魂と共に、悪夢の中で彷徨い続けるといいっ!!」
そう言い残すと、オネイロスは高らかに狂気に満ちた笑い声を響かせたのだった。怪しく深紅に波打つマントを大きく翻して……。
つづく