第36話 空へ
海竜ストリが起こした波の衝撃に大きく戦慄く甲板にあって、冷静にオネイロスが叫ぶ。
「ロッドバルっ!」
「ここに……」
「船の間隔を開けさせろ。密集してるとヤツに喰われるぞ……」
「それでは足の遅い船が、海竜に捕まってしまいますが……」
「多少は止むを得まい。それと、レヴィアを呼びなさい。こういう時の為にアレらを飼っているのだから……」
「共食い、ですか?」
鼻で一笑に付すオネイロス。
「あとビア将軍もな……」
「アイテール様直属の?」
「構わないでしょ? ワザワザ付いてきたのだから……」
「なるほど。かしこまりました……」
オネイロスから矢継ぎ早に指令が飛ぶ。
「イアトス将軍っ!」
「オネイロス提督。御采配を……」
待ちかねたように歩み寄るイアトス。それを受けて不遜な笑みを浮かべたオネイロス。
「貴様は手筈通り先遣隊を率いて先行するのだ。真の神の御業、ヤツらに思い知らせるがいい。私はロッドバルと共に海上艦隊を率いて地上軍を上陸させる」
「御意……」
「イアトス、首都ヴァニラ・ツリーで会おうぞっ!」
その命令を受けて素早く先遣隊旗艦へと下がるイアトス。
それとは対照的に物々しく活気を帯び交錯する甲板。
その中を船首へと歩みながらオネイロスが叫ぶ。
「者ども聞けえいっ! 今よりわが軍はヴァニラ・フィールズと交戦状態に入った。全軍、直ちに全速でノーア・トゥーンへ進軍せよっ!!」
そう大声を張り大陸を指し示すオネイロス。
彼女は更に満を持して大号令を飛ばす。
「飛行艦隊、前へっ!!」
その号令と共に天へと翳されたオネイロスの右手。そこから紫に燃える一筋の火柱が上がる。
それは船の帆柱の先端を超えると無数の火の玉となって弾け散り、まるで信号弾のように赤紫の煙を棚引かせた。
その合図を皮切りに、黒い軍艦の群れが再び一斉に陸を目指し始める。
そして、オネイロスの艦を中心に両翼に展開していた巨大戦艦計五隻が、海面を離れ宙へと浮上し始めるのだった。
艦隊の中でも一際大きな船体に、引きずられるよう海水が幾つもの巨大な滝となって雨を降らせる。
更に、その巨船に続くよう、後続の中型や小型の艦艇数十隻もが浮上し始めた。
またもオネイロスが狂気に満ちた嘲笑に叫ぶ。
「よいかっ! キュベレーの七砦を悉く焼き払い、エタニティの白き大地を赤き炎で染めるのだっ!!」
轟音と共に次々と離水し、中空で艦列を形成し始める飛行艦艇。
それは一旦海中へと身を翻し、船底から敵を狙っていた海竜ストリにも見て取る事が出来た。
水中から見る目の前の海面から次々と船影が消えてゆく。
ストリは敵艦を水中から真っ二つに打ち砕くと空を見上げた。
「飛行船。いや、飛行戦艦だと……。しかも、あの巨体を……」
ストリの驚きは尤もなものだった。
闇夜の軍艦の多さには百歩譲る所があったとしても、あれ程の飛行艦を有するのは納得がいかなかった。
通常であれば一隻の飛行船が安定して空を飛ぶには、風の精霊魔術を使いこなす十人の神官か、同クラスの魔導士が必要とされた。
更に、それを戦場に投入する場合。魔法防御壁を張り巡らせる為、更に十人分の霊力が必要なのだ。
しかも、目の前に聳える飛行船と見紛う巨大戦艦となれば、その倍、いや三倍の人員が必要となる。
その各巨大戦艦に艦列を組むよう中型艦、小型艦が付き従う。おそらく五個艦隊に護衛という布陣であろう。
そうなれば、少なく見積もっても千人を超える神官や魔導士が居るということになる。
しかし、そんな話は聞いたことが無かった。
各王国が抱える神官魔導士は、多くても精々百かそこらである。
王や王都の守りを考慮すれば、目の前に浮かんでいる艦隊の数は、ストリの理解を遥かに超えていた。
呆然とするストリ。
すると、彼女の頭上を行くオネイロスの艦影と重なるよう、逆光の中に黒い影が踊った。
突如、ストリ目掛けて降下する影。
それは大きく翼を開くと咆哮を上げた。
その確かな輪郭。それは間違いなく同族である成竜の影であった。
距離が近づき、顔を確認出来るよりも早く、影が先に雄叫びをあげる。
「ストリ・イシェボおおおおお!!」
「貴様っ! レヴィアかっ!?」
そう言葉を交わすや否や、二頭の竜は交差し刃を交えたかに見えた。
しかし、その瞬間。迎え撃ったストリの左目に鋭い痛みが走る。
押されつつも、痛みを堪えて海上の中空に留まるストリ。
その仁王立ちする彼女の左目には、己が瞳奥深くに剣を突き立てる敵将ビアの姿があった。
目の激痛をも通り越え、怒りに激高するストリ。
「ドラゴン・スレイヤーだとおおおっ!!」
竜神族に普通の剣や武器類は役に立たない。体表は鉄よりも硬い鱗で覆われ、それが眼球であったとしても生まれ持った魔法防御壁で覆われている。
それらを貫くには、アダマス鋼を鍛錬し、特殊な魔法印を埋め込む魔術加工された剣でなくてはならない。
そして言うに及ばず、ビア将軍の剣は対ドラゴン用のキラーブレイドだった。
ストリは大きく頭を鞭打つように跳ね上げると、剣ごとビア将軍を振り払った。
「レヴィアっ、貴様あああああっ!!」
宙に舞ったビアを背に受け取ると、嘲笑うかにレヴィアが言う。
「まんまとハマったな、ストリよ……」
「あろうことかドラゴン・スレイヤーと組むとは、どこまでも見下げ果てたヤツ!」
「ストリよ、要は勝てばイイのよ、勝てば……」
「裏切者のオマエに相応しい理屈だな」
「残念だが、思い出話をしている暇はない、互いにな……」
そう言ってレヴィアは空に顎を向けストリを促した。
流れる左目からの流血も構わず、残る右目を空へと振り向けるストリ。
その視線の先には、一路ノーアトゥーンを目指し低空飛行するオネイロスの艦と群がる黒い海上艦隊があった。
が、それとは別に動き出した、上空高く灯台砦をも飛び越えてゆくであろうあの先遣四艦隊があった。
しかも、その一軍の後衛には、もうひとつの成竜の姿が見えた。
「まさか、雷竜ヴェルーンか?」
「そのまさかさ。それに、その先。先頭を見ろ……」
「あれは、スフィンクス!?」
「そう。カタロニアのスフィンクス。シュセブ・アンクだ……」
「あんな者まで、何故?」
「簡単な話だ。今回、エレボスは本気だってことさ。こんな所で小競り合いをしてる場合じゃないだろ? 俺も使われてるだけだ。お前の足止めにな……」
レヴィアの言葉を聞いてビア将軍が反発する。
「キサマ、何のつもりだ? 逃す気か?」
レヴィアが返す。
「調子に乗るなよ小僧……」
そう言ってビアを睨み付けるレヴィア。
再び彼はストリに問う。
「さて、どうする? 俺もオマエと真面に遣り合うほど己惚れちゃあいない。最低限の義理を果たしているだけだ……」
例え相手がドラゴン・スレイヤーであろうと、また相手が二人であろうと、人化し剣士と姿を変えれば負ける気のしないストリではあった。
しかし、今はそれより、この状況をノーア・トゥーンの大灯台砦の指揮官である盟友ヴェラに伝え、ヴァニラ・フィールズ全砦に伝令させるのが先決と彼女も思わずにはいられなかった。
つづく