第26話 奸計、弐、参
翌日早朝。”神々の盟約”調停時の約定通り、”神国”ブリーンの求めに応じた”戦女神の国”アイルの海軍艦隊がイオニア海へと派遣された。
アイトリア勢の主力である”闇夜の軍勢”が駐留するコリントスのドドナとは目と鼻の先である。
残る盟約行使の監視として、また解体破棄される闇夜の海軍艦隊を見届ける為でもあった。
前衛は、アイル最新鋭母艦ブルーナ・ボーニャを旗艦とする一個艦隊。指揮官は”アイル女神の一柱”ヴァハ将軍。
その約10里後ろに、女王モリガンの座する艦隊総旗艦イシュモニアが、参謀長ゴブニュ、リル海軍提督ら率いる三個艦隊を従え控えていた。
次の日の夜。前衛旗艦艦橋に伝令が届くと、将軍ヴァハは驚きの表情を見せた。
「ナニっ!? ニュクスが来ただとっ!」
それは、ドドナに駐留する”闇夜の軍勢”から警護の騎士を一人だけ伴い、アイル前衛艦隊旗艦に”夜の女神”ニュクスが直々に訪れたという知らせだった。
思わず副官のルゴスと目を合わせ訝しむヴァハ。しかし、彼女は思い直すと伝令兵に静かに伝えた。
「よかろう。通せ……」
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程なく、大剣を携える赤毛の女騎士を伴い、アイトリア”夜の女神”ニュクスが姿を現した。
盟約によって和解休戦がなされたとは言え、準戦時体制である。そんな中、出向いてきた軍艦には似つかわしくない華美な洋装であった。
ニュクスはヴァハに相対するとカーテシーで礼を表した。広がるスカートを手で摘んで持ち上げ、右脚を後ろに軸足を折った。そして、少し大げさとも思える程に頭を傾げた。
「これはこれはヴァハ将軍。いやアイル女神ヴァハ殿。お手を煩わせ申し訳ない……」
それに対し、ヴァハも多少なりとも嫌味を含ませ答えた。
「ニュクス殿。このような所に女王自ら足を運ばれるとは、どういった風の吹き回しか?」
「いやいや、そうおっしゃいますな。此度の事で和解はしたものの、このまま皆様と物別れと言うのも、如何なものかと思いまして……」
「と、言われますと?」
「確かにアイトリアとテッサリアで揉めはしましたが、そもそもは身内の喧嘩。そのような事にケルトとカルヤラの皆様までも巻き込んでしまった事。些か心苦しいものがありましてな……」
「ほう……」
「本来であれば、エレボス王が自ら挨拶に参るのも吝かではないのですが、如何せん新たなアイトリアの準備で忙しい身……」
「確かに、エレボス王は次元を違えて再構築された己が王国世界へ、一足先に旅立たれた御様子」
「さすがはヴァハ殿。王が纏う神霊力の気配の有無で、既に気付いておられましたか……」
「ま、それが私の役目でありますゆえ」
「そうそう、そこでちょっと問題がありましてな……」
「問題?」
「はい……」
そう伏し目がちにニュクスは視線を逸らすと、艦橋の窓から見えるアイル前衛艦隊の列に目を遣った。
「それにしても、壮観な眺めでありますこと。さすがは”怒いかれる赤い鬣”と謳われるヴァハ将軍の艦隊。この艦も素晴らしい……」
「我がアイルが誇る最新鋭空母ですからな」
「最新鋭空母?」
「ええ。詳細は教えれませんが、グリフォン騎兵隊の母艦でもあります」
「グリフォンが……。そうですか……」
そこでニュクスは思案に耽るよう黙り込んだ。
「ニュクス殿。如何為された?」
「いえ、お恥ずかしい話ではありますが……。エレボス王が留守の今。彼の”闇の軍”も私が預かっている状態……」
「それは、さぞかし大変で御座いましょうな」
「私直属の軍であれば、このような事はないのですが……」
「このような事?」
「何分、気の荒い粗雑な者が多く、ほとほと手を焼いております……」
「それは心中お察しする」
「我らが”闇夜”に属する眷族らは、特に末端の者達ともなると獣の気配に敏感……」
「なるほど。我が艦に乗船しているグリフォンが問題と言うわけですな?」
「いえいえ、問題などとは。ただ、いらぬ揉め事を起こさぬ為にも、艦隊を南に移してはいただけませぬかと……」
「南に? 遠ざけるのではなく?」
「はい……」
この話の件くだり。終始遜って見せるニュクスに、ヴァハは不信感を抱かずにはいられなかった。
しかし、何を言い出すかと構えてはいたものの、出て来た要求が拍子抜けであった。
現在、ケルトを背に”闇夜の軍勢”が駐留するドドナから北西1里に位置するアイル前衛艦隊。その位置を遠ざけるならまだしも、距離を保ったままで南側へ移動しろと言うのだ。
半島のように突き出た地形のコリントス。その突端一帯がドドナの森林地帯であるのだが、北東部から東へと広がる僅かな平地に”闇夜の軍勢”は駐留している。
そして、その森林地帯の奥深くにある”柘榴の森”コリントス・ゲート。そこから徐々にではあるが、闇夜の民でもある軍勢は、次元を跨いで新たなアイトリアへと移りつつあった。
それは闇のエレボス王の時と同様に、ドドナから減ってゆく気配をヴァハは察知していた。
そもそも、森の中に入ってしまえば、その一軍の姿を捉える事は出来ない。
万が一、森を抜けてケルトへ軍を動かすにも船が居る。また、大洋ポトスを挟む北のヴァニラ・フィールズも同様である。
既に先日。ヴァハが見守る中、”闇夜の軍勢”が誇る海軍艦隊は破棄された。
それでも納得がいかないヴァハがいた。
「ニュクス殿。南に艦隊を動かすのは構わないが、距離を保ったままでは意味が無いのではないか?」
「いえいえ、問題はグリフォンの気配。南であれば森が壁となって、獣の気配を和らげてくれましょう……」
「成る程。そう言う事であれば致し方ない」
そうニュクスの要求に答えるヴァハに、一抹の不安を覚える副官のルゴス。
しかし、彼の進言を遮るように将軍ヴァハは言葉を繋いだ。
「だが、ニュクス殿。艦隊は南ではなく南西でも宜しいか?」
それは、万が一に備え、直ぐにイオニア海を北上してケルトの防衛線を張れる位置であった。
「ええ、構いませぬ。南と言ったのは方便。要は森が獣の匂いを消し去ってくれれば良いのです」
「承知した。今夜中に艦隊は南西に移動させましょう」
「ヴァハ将軍。お気遣い大変嬉しく感謝致します」
再びニュクスは、やや大げさにカーテシーを行いヴァハに礼を表した。そして、思い出すように続けた。
「そうそう。そう言えば、あの御礼も、まだでしたな……」
「あの御礼?」
「そう。我が”闇夜の皇女”娘エリスとアイル皇女ネヴァン殿の……。おや、聞いておりませぬか?」
それは、アイトリア”夜の女神”ニュクスの双子の妹。今はケルト四国の一つウェルの”月の女神”アリアン・ロッドを介して、二人の皇女が別れの謁見を行う話であった。
寝耳に水とは、まさにこの事である。アイルの軍港イシュモニアから海上へと出たヴァハ。彼女にとって陸との連絡は、定時の一日数回しか行われない。
その隙間を縫って起こる出来事を、彼女が逐一把握するには無理があった。
ニュクスが去った後。急ぎヴァハは監視艦隊総司令である女王モリガンへと伝令を飛ばした。
そしてまた、この日の深夜。闇夜に紛れながらドドナの、いや”柘榴の森”を盾に気配を隠し、神国ブリーンへと飛び立つ者たちがいた。
つづく