第22話 隻眼の海竜
詰所を出ると、ウーゼルは通りを港沿いに東へと向かった。
途中、丘から街へと抜け出た三叉路も通り過ぎ、道は岩と砂が混じる海岸へと変わっていた。
「ウーゼル。で、ストリって誰なんだ?」
歩きながら、再度ユランが聞き尋ねた。
「竜だよ、竜!」
それを聞いて、ユランとフィンは得心したように顔を見合わせた。
「でも、ウーゼル。あの声が竜のものだって私達も気付いたけど、どうして名前まで分かるの?」
不思議そうに尋ねるフィン。
ウーゼルは振り返ると得意気に語り始めた。
「ドラゴン・スペルだよ……」
それは先にも述べたが、古より竜神族に受け継がれて来た彼ら独自の言語。また彼らが魔法を使う時に使われる言葉でもあった。
◆・.。*†*。.・◆
縄張り意識の強い竜神族において、その嘶きには自身の存在を他に知らせるだけでなく、個人情報とも言うべき其々の個体情報が魔法印として組み込まれ、同族には読み取る事が出来た。
「だから、名前が分かるのさ」
その話を聞いて、二人はウーゼルが竜神族の王子である事を思い出した。
カザナスから此の方。普段は人間の子供の姿でいるウーゼルに馴れ、その事をすっかりと忘れてしまっていた。
思い起こせば、あのカザナス内戦の時。生竜にメタモルフォーゼしたウーゼルと共に幾度となく戦い、危機を脱した事も思い出した。
改めてユランとフィンは、この少年は紛れもなく竜神の一員であり、姿形とは相容れない力を秘めているのだと認識した。
「ウーゼル、すごぉ~い!」
「エッへん!」
照れながらも多少は威張って見せたウーゼルではあったが、直ぐ様声のトーンを落とした。
「だけど……」
「どうしたウーゼル?」
「あの声、とても悲しそうだった……」
「悲しそう?」
「うん。泣いているように聞こえた……」
そう言ってウーゼルも悲しげに目を伏せると、また歩きだした。
そんな彼の言葉と後姿に、ユランとフィンは無意識ではあったが、この造られた異世界"ゲート世界"に隠される何か哀しみのようなものに触れたように感じた。
海岸線は大きく左に孤を描き、いくらもしない内に開けた入江に辿り着いた。
その海原の先。そこには丘の上からは見えなかったが、小さな浮島が切り絵の様に黒くまどろんでいた。
変わらず暗い夜空に浮かぶ月の揺らめき。四方は色濃く青く塗りつぶされ、その入江と孤島の影に輪郭を見るだけだった。
「誰も居ないな……」
「この辺りから聞こえたと思ったんけど……」
ユランとフィンは目を凝らし、暗闇に沈む砂浜を見回した。
ウーゼルはと言うと。静かに波打つ濃紺の海に向かって仁王立ちし、瞼を閉じ何か呪文めいた言葉を呟いているようだった。
「ウーゼル?」
そのらしからぬ様子に気付いたフィンが話し掛けた。
すると、ウーゼルは大きく一呼吸したかと思うと、先に夜空に響き渡った嘶き同様、その小さな体からは想像も出来ないような咆哮を上げるのだった。
それは夜の空気を割って震わせ、水平線をも突き抜けてゆくように海を走った。
そして、その振動は穏やかだった波をざわつかせると、音叉のように膨れ上がり、海岸一帯をも共鳴させた。
ウーゼルが上げた突然の咆哮と、入江を包みこむ地響きにも似た振動に驚くユランとフィン。
そんな彼らを他所に、ウーゼルはジッと海を見詰め続けていた。
尾を引くような振動は、暫くして潮が引くように海の彼方へと消えていった。波は何事も無かったように凪いでゆくかに思えた。
しかし、その瞬間。静まり返ろうとしていた波間から、ドンッ! と言う重い爆発音と共に水柱が吹き上がった。
弾け飛び、スコールのように降りしきる水飛沫。
その黒々と打ち付ける雨音の中。ユランたちが見上げる夜空には、ウーゼルの呼び声に答えるよう咆哮を返し、月を背に大きく翼を広げる成竜の姿があった。
白い揺らめきに、その巨躯のシルエットを重ね、銀色に光る輪郭線を宙に浮かべる海竜。
それは覆いかぶさるかにユランたちの頭上へ迫ると、蒼く燃えるような隻眼で彼らを見下ろした。
「私を呼んだのは、お前達か?」
その圧倒的な威圧感に呆然と見上げ、言葉を失うユランたち。
カザナスの内戦でも成竜と間近に対峙した事はあったが、この竜が内から放つ霊質量はその比では無かった。まさに神聖なる気高さ、威厳そのものであった。
「お前達、この世界の者ではないな……。お前達は何者だ? 私の問いに答えよ……」
目に見えぬ圧迫感に押され、無意識に後ずさるユランとフィン。二人は本能的に剣へと手を掛けた。
その仕草を見て竜は続けた。
「逆賊ヴェルーンの手の者か?」
そう言って、満身に殺気を燃え上がらせる海竜は、地響きと共に海岸へと降り立った。
そして、うねる様に迫ると迸る戦意を持って威嚇した。
「待って、僕らは敵じゃありません」
ウーゼルであった。
彼は怯むことなく海竜の前に歩み出ると、毅然と口を開いた。
「我が名はウーゼル。スラフの竜神族、リュブリャナの王リグラフとモードの子」
「モードの子だと……」
海竜は訝しげに呟くと一笑に付した。
「愚か者め。ドラゴン・スペルを使えるからと言って、リュブリャナの王族でもあったこの私に、そんな嘘が通ずるとでも思ったか?」
「王族……。でも、嘘じゃないですっ!」
そんなウーゼルに取り合おうともせず、海竜は言葉を続けた。
「事もあろうか、我等が水竜の女王モードの名を軽々しく口にするとは、ただでは済まされんぞっ!」
「そんな、本当ですっ!」
食い下がるウーゼルを睨むよう海竜が顔を寄せる。
「よいか小僧。リグラフとモードの子はドライグ。”赤い火竜”のドライグよ。その乳母でもあった私が、名を知らぬとでも思ったか?」
「ドライグ兄さんを知ってるの?」
「兄さんだと……」
海竜はウーゼルの意外な言葉に多少の驚きを見せた。
「僕は弟のウーゼルです。大戦の後に生まれたから、会ったことは無いんだけど……」
「なんと……」
海竜は思った。確かに、竜神族は数百年に一度しか子を産まぬ。そして、あの”ガリアの戦い”からの月日を数えれば、新たな子が、ドライグの弟が存在してもおかしくは無かった。
俄かには信じられぬ海竜は更に問い質した。
「では、その証拠を、証しを見せよ……」
「証拠……」
「そう。ドラゴン・スペルなど竜族であれば誰でも使える。裏切り者でもな。そして、竜神族の名も知って当然の事。お前が王族の子である証しを立てよ……」
ウーゼルは困った。他の種族のように紋章を持たぬ竜神族に於いて、第三者に自らが王族である事の証明は困難であった。
例え親の特徴や生まれ故郷であるキエフ神殿の話をしたとしても、この母程に長く年を重ね、用心深い牝の海竜を納得させるには既出の如く不十分にしか思えなかった。
本来。他世界を渡り歩き、個々に安住の地を見つける竜神族である。殆んど群れを為す事が無い彼らに出自など意味を持たず、己が力のみに因って地位を示すような所があった。
それ故に、その血筋を証明する手立てがあるとすれば、その血族の誰かを介して認識する他無かった。
「さあ、どうした小僧?」
--- セマグル様、どうしたら ---
そう、ウーゼルは心の中で惑うしかなかった。そして、何とも言えぬ自身への悔しさが込み上げた。
兄に会いたい一心に、勢い勇んでスラフを出たものの、ユランとフィンの足手纏いにだけはなるまいと思っていた。
カザナス内戦でも共に戦いはしたが、海竜レヴィアには歯が立たなかった。
あの時の挫折感を払拭する為にも、この旅でこそはと密かに胸の内に期するものがあった。それ故の歯がゆさに、思わず悔し涙が浮かぶ。
その零れ落ちた滴に打たれてか、ウーゼルが携える鞄の中に居たリーロが顔を出した。
そして、返答を求め迫る隻眼の海竜に気付くと小さく一鳴きした。
「リーロ!? お前、どうしてここに?」
リーロの顔を見て、途端に殺気を失せて行く海竜。
彼女は成竜の姿をみるみるうちに人へと、女剣士へと変えていった。その変容とリーロを知っているような素振りに皆は驚いた。
リーロは怯える様子もなく女剣士の元へと駆け寄った。
紺碧に輝く氷雪の鎧を纏う女剣士は、それを当然の如く迎え抱き上げた。
「お前達。このリ-ロ、いや、柘榴の妖精を何処で手に入れた?」
「リーロは、カザナスを出る時にセマグル様が……」
「セマグルが……」
未だウーゼルの話に懐疑的な海竜の女剣士。
「そう虐めるな。ストリ・イシェヴォ……」
フィンが口を開いた。
「証明が必要なら、僕がしよう……」
突然、馴れなれしい口調で話し掛けるフィンに、再び表情を強張らせる女剣士。
「娘。どうして私の名を知っている?」
「ストリ・イシェヴォ。僕だよ……」
そう言って、フィンは瞼を閉じると白く淡い輝きに包まれた。
ユラユラと立ち上る、そよ風にも似た輝きは、フィンの頭上で形を為すと人の姿を映し出した。
そのフィンの背後に浮かび上がった美しく華奢な少年の顔に、イシェヴォと呼ばれる海竜の女剣士は目を奪われた。
「貴方は、メル・ホワイト・プリンス……」
そのストリの言葉を聞いて、神霊体として再び姿を現した妖精族の王子は、優しく微笑むと霧の様に姿を消して行った。
”柘榴の森”の妖精リーロ。ヴァニラ・フィールズの王子メル。
彼らの存在を目の当たりにした海竜の女剣士ストリは、全てを悟ったかのように表情を和らげると大きく息を一つ吐いた。
そうして、目の前に居るユランとフィン、ウーゼル。遥かな時を越えて訪れた三人の姿を残された右目で見詰めると、懐かしく古い友人を迎えるが如く想いを言葉に表すのだった。
「聖者たちよ、待っていたぞ……」
つづく