第19話 道化師
言葉の通り、メルはこの"ゲート世界"の街に土地勘があるようだった。
暗く続く石畳の路地を歩き慣れているかのように、幾つもの裏道を迷う事無く進んでいった。
「ユラン。変わって無ければ、この先に詰所がある……」
「変わってなければ?」
「ああ。港湾警備の騎士達や行商人がいた仮宿さ……」
無邪気に歩くウーゼルとは対照的に、矛盾と疑問を蓄積させていたユラン。
たまらず質問が口を突いて出た。
「プリンス・メル。貴方は、この街を知ってるのか?」
メルは微妙に苦笑いを浮かべた。ただ、先刻の妙な気配とやらから遠ざかったのか、その表情は幾分和らいでいた。
「焦らなくても、詰所に着いたら話すよ・・・」
◆・.。*†*。.・◆
それは古のヴァニラ・フィールズ、キュベレー大地の南。大灯台砦があったフィヨルドの港湾都市ノーア・トゥーン。
その記憶をメルは辿っていた。
しかし、路地の角を曲がった所で、メルがはたと足を止めた。
そして、やはり感覚を研ぎ澄ますように辺りを警戒すると、腰に携えた剣の鞘に静かに手を置いた。
「えっ? メル!?」
「ユラン。何か居る……」
「何か?」
メルは不思議な力の波動を感じ取ってもいた。
「ああ。それに、この道、さっき通ったところだ……」
「えっ?」
ユランはウーゼルと顔を見合わせた。
緊張を走らせるメルとは裏腹にウーゼルがぶっきら棒に言った。
「道、間違ったんじゃないのぉ?」
ユランも疑心暗鬼に尋ねた。
「プリンス・メル。本当に合っているのか?」
だがメルには確信があった。嘗て、この港街を何度も訪れては歩いた街並み。間違える筈は無いと。
それでも、今目の前にする道は先刻通った筈の路地であった。
「いや、間違いない。でも、この道は……」
だとするとやはり、この町は自分が知っているものとは違うのか?
メルはゆっくり身構えると剣の柄を握りしめた。
その時だった。ウーゼルが枯れたような驚きの声を上げる。
「ぅっ! ア、アレっ!」
「アレ?」
その声に釣られて振りかえるユラン。
すると、今し方通ったばかりの道先をウーゼルが戦慄き指差していた。
そこには、蒼い月明かりに半身を照らされ色濃く影を帯びる、奇妙な出で立ちの道化師が彼らを見詰めるように佇んでいた。
左右を石造りの家に挟まれ、一際に暗く影に埋もれる石畳の路地。
その突き当たりの石壁を背にし、月明かりに照らされながら蒼く黒く浮かび上がる道化師の氷雪幾何学模様。
ユランはメル同様に身構えると”炎の剣”に手を掛けた。同時に一抹の不安が彼の脳裏を過る。
--- 聖者として覚醒していない自分に、神剣のあるべき力は使いこなせない ---
それでも、敵かもしれぬ怪しげな相手を目前に、その攻撃を凌ぐことぐらいならばと、彼は剣を鞘から抜き放とうとした。
「待てユラン……」
意を決するユランをメルが制止する。その以外な言葉に躊躇するかのような沈黙。
すると、メルは道化師から視線をそらす事無く、呟くように口を開いた。
「敵じゃ、ないのか……?」
「そうなのか、メル?」
問うユラン。
メルは湧く疑念に思慮深く考えを巡らせた。
というのも、間違いなく道に迷ったのは道化師の仕業であった。先に感じた時空を歪ませるような波動と同じもの、それを道化師からも感じ取る事が出来た。
しかし、そこに魔の気配や殺気は無く、だとすれば、何故に彼は我らの行く手を阻むのか。
もし仮に、この道化師が自分の預かり知らぬ新手の障害だとすると、この旅は些か厄介な事になるとメルは感じていた。
ヴェリール王家・古の王子メルの記憶。それは、この旅する”ゲート世界”が、かつてのヴァニラ・フィールズ、その港街ノーア・トゥーンである事を示していた。
しかし、そこに現れた道化師の存在にメルの確信は揺らいでいた。
今にも剣を抜かんと対峙するユランにも、メルの呟きにも道化師は無言のままだった。
しびれを切らすというよりは、膠着する疑問の打開を図るべく、毅然とした口調でメルが語りかける。
「道化師よ、何故我らの行く手を妨げる?」
問いかけに道化師は無言のままだった。
構わずメルは言葉を繋いだ。
「ここは”フィヨルドの騎士”ヴェラの港街。ノーア・トゥーンではないのか?」
しかし、その問い掛けにも道化師は静寂で、奥底の見えぬ瞳を暗く向けるだけだった。
するとその時。
遠ざかっていた筈のパレードの音楽か、それとも帰りの人波であろうか。葬列を思わせるような重々しい音色が、緊張感に覆われるユランたちの静寂を壊すように裏路地へと滑りこんできた。
一瞬、その雑踏に気を奪われたかと思うと、今度は獣の遠吠えにも似た低く嘶く声が夜空に木霊した。
次の瞬間、目の前にいた道化師は、後形も無く姿を消していた。
「ま、また、消えた……」
繰り返す不可思議に呆気にとられ、驚嘆に呟くウーゼル。
ユランはというと、驚きよりも緊張から解き放たれ大きく息をついた。
確かめるように辺りを見回すメル。
そして、先に通った筈の道は、港へと繋がる通りに姿を戻していた。
「どういうことだ……」
”ゲート世界”。それは”ガリアの戦い”で死したヴェリール王国の”白き騎士団”。その七騎士の魂を軸に、奇跡の石”リア・ファル”の力を持って創造された七つの異世界。
新たなる戦いに備え、転生した聖者たちが帰るべき場所。ヴァニラ・フィールズへと続く空間転移門を繋いだ”柘榴の森の迷宮”。
それ故に、その世界の一つ一つが七騎士に纏わる。即ち、かつてのヴァニラ・フィールズ七砦の街。その世界が反映されるであろう事は、古の王子であるメルにも予想出来た。
ただ、マーリンが示唆した通り。最早、女神エタニティの力も薄れ。過ぎ去った数百年という時の流れは、当初予定していた安全な帰還の道たる”ゲート世界”を変容させているのだと思わせた。
「ユラン。やはり僕の知っている世界とは多少違うみたいだ……」
若干の疲れも感じているのか、険しい表情に戻っているメルを見て、ユランも口を揃えた。
「そうらしいな……」
「とにかく詰所に行ってみよう。チョット自信無くしたけどね……」
「構わないさ……」
そう言って彼らは、再び古の記憶を頼りに、一時の安息を求めて港の仮宿を目指した。
つづく