「RUINOUS-WORLD」 / 壊れた世界
それは”ガリアの戦い”と呼ばれる長い長い戦が、”キサルピナ戦役”によって終わりを迎える頃。
”VANILLA-FIELDS”東の村はずれに、ひとりの幼い少女がいました。名をマーニといい、彼女は誰も住まなくなっていた”ヨトゥンの森”の樵小屋で一人暮らしていました。
戦で故郷を追われ、両親とも生き別れになってしまったマーニ。
もしもの為にと父がくれた僅かな銀貨で麦を分けて貰い、パンを造り、野川で水を汲み、森の木の実や菜を集めて空腹を満たします。
確かに貧しく寂しい生活でしたが、すぐ目の前の木々にはリスの親子が、森に行けば鳥たちが、夜には数多の星達が彼女の相手をしてくれました。
そんなささやかな暮らしが、彼女は気に入ってもいました。もちろん、父や母の事も気にはなりましたが、続く戦が幼いマーニに故郷へ戻る事を許してはくれませんでした。
戦によってとりとめなく広がってしまった炎。
やがて、それはマーニの暮らす”ヨトゥンの森”にも及びます。
村を焼かれ、森すらも焼かれて逃げ惑う村人たち。
なけなしの財を奪われ命を落とす者。
最早、それは戦というより、盗賊と化した異端者たちが起こす悲劇でした。
もとより、何も持たないマーニは、命からがらではありましたが難を逃れます。
そして、成す術もなく再び家を追われた彼女は、ひとつ心に願うのでした。
「もう一度、あのふるさとの家に帰りたい……」
その思いだけを抱いて、マーニは再び命がけの旅に出ます。
戦火を避け、時にくぐり。勿論、それは楽なものではありませんでした。
夜空に輝く星だけを頼りに、彼女は懐かしい故郷、想い出の家を目指します。
季節は春が終わり、夏が過ぎ、秋を迎えていました。
ボロではありましたが、母の編んでくれた上着だけが寒さをしのいでくれました。
そんな或る晩の事。
ひとり焼け野原の岩陰で心細く野宿をしているマーニ。
そんな彼女の前に一匹の灰色狼が現れます。
戦で獲物がいなくなり、空腹を抱えての事でした。
「そう、おまえも、お腹がすいているのね……。少ないけど、貴方にもパンを分けてあげるね……」
そう言って彼女は、持っていた僅かなパンの残りの全てを狼に与えます。
狼は久しぶりの食事とばかり飛びつくと、あっという間にパンをたいらげます。
そうして、悲しげに彼女を見ると、夜空にひとつ鳴く声を残して姿を消しました。
遠い記憶をめざしてマーニの旅は続きます。
秋の枯れ葉に霜が降り、雪が舞い始めてもいました。
凍える手をさすりながら、あの母の暖かい温もりを思い出します。
その道中の事。
通り掛かった町の廃墟で、小さな泣き声が聞こえます。
おそるおそる瓦礫を越え、崩れた家の軒下を覗くマーニ。
するとそこには、自分よりもみすぼらしい布切れに包まれた小さな赤ん坊が、力なく弱く泣いているのでした。
彼女は母が編んでくれた上着を脱ぐと、赤ん坊を拾い上げ優しく包みます。
ぎこちなく抱きかかえる彼女の手は寒さに悴んでいましたが、息を吹きかけ吹きかけ温めては小さな赤子を抱き締めました。
見渡す限り遠く広がる枯れ野。また足を踏み出すマーニ。
どれだけの日々と時間が流れたのでしょう。
未だ目指す故郷は遠く、見えるのは薄っすらと雪に覆われ夕暮れに染まる荒野と枯野だけでした。
最早、手足の感覚も薄れ、息も絶え絶えのマーニ。
遠のく意識の中、その凍えた唇で一言だけを呟きます。
「神様……」
そうして、とうとう力尽き、小さな赤子を抱えたまま膝を落とすマーニ。
彼女は光を無くして枯れ果てた大地に、その身を預けて倒れ伏すしかなかったのでした。
それから陽も落ちて月が輝く真夜中の事。
雪の野に倒れ伏すマーニの傍らにハティの姿がありました。
あの旅の途中、マーニからパンを貰った灰色狼です。
ハティは凍てついた彼女達を見つけ出すと、首をもたげ天に向かって言います。
「神よ、なんと惨い世界なのか。叶うならば私の全てと引き換えに、この哀れな者達に僅かばかりのお慈悲を……」
するとどうでしょう。
そんな彼の前に
『漆黒の外套を纏う黒き女神』と『純白のベールを纏う白き女神』
が現れます。
彼らは問います。
「この世界、その哀れな者達と共に、夜の闇に消してしまおうか?」
神は問います。
「それとも、白い雪に全てを覆い、時すらも凍てつかせてしまおうか?」
その問いにハティが静かに答えます。
「叶うなら、いずれ安らかな時が訪れ、雪や氷を溶かし、この者達にも春が訪れる事を祈りたいと思います……」
そんな彼の言葉に白い女神が頷きます。
そして、ハティは女神と”約束の契り”を交わします。
月明かりに照らされる中、再びシンシンと降り始める雪。
それは冷たく優しくマーニと赤子を覆ってゆきます。
その傍らでハティもまた、女神と交わした約束に眠りへと着きます。
やがて、天から舞い落ちる綿雪と共に、女神の御使いである天使ルヴァたちが現れます。
彼らは降り積もる柔らかな雪の中から、マーニと赤子、そしてハティの魂を掌に掬うと、”彼の地”へと誘い夜空へと登り始めるのでした。
その翼のしなやかな翔きに舞う天使たちの羽。
そのどれもを白く煌めかせながら……。
◆・.。*†*。.・◆
月の真夜中。
雪の野に倒れ伏すマーニと赤子。
その傍らで四肢を構える灰色狼のハティに白き女神が静かに頷きます。
「灰色狼のハティ。貴方の望み叶えてあげましょう。しかし、その為には貴方たちにも、やって貰わねばならない事があります……」
「やらなければならないこと?」
「この荒れ果て、枯れつくした世界。昔、ここも豊かで平和な土地でした。しかし、あの長い戦争で、すっかりと変わり果ててしまいました。
大地を焼け野原にし、そして、海や空までも燃やし尽した炎は、私たちの世界を隔てる壁までも焼き払ってしまったのです。
このまま行けば、全ての世界は枯れ果て、やがては消えてなくなってしまうでしょう……」
「しかし、フェンリル皇帝は、聖女や魔法剣士らと共に死んだと聞きました?」
「確かに。それで世界は元に戻るとも思われました。しかし、そうはなりませんでした。
黒き帝国が完全に滅ぶまで、戦が続くうちに世界は壊れてしまったのです。
それはフェンリルが幾つもの異世界を強制的に繋げたことで、その長き間に多くの魂の移動が行われてしまったからに他なりません。
”魂の不可侵”が犯されたことによって、次元のバランスが狂ってしまったのです。
戦が終わり、その殆んどは元の世界へと戻って行きました。
しかし、その強い執着によって動けなくなった者。
あるいは、呪い人となって残った者。
そして、彷徨いとなってしまった者。
彼らも帰る事を望んでいます。
ただ、彼らを元の世界に返すには、彼らと契約を結ばねばなりません。
その為には、彼らが忘れ去った、隠されてしまった”血筋の紋章”を探すのです。
この私との約束が果たされた時。
世界はバランスを取り戻し、元の形へと分離され、それぞれに本来の姿を取り戻すでしょう。
そうして、あなたたちも望み通り、安住の地と安らかな時を得ることができるのです……」
「私の望み……」
「戦以降、私の力も弱まっています。私も僅かに残された”VANILLA-FIELDS”を守るため、”守護の眠り”に就かなければなりません」
「分かりました。この世界を元の姿に戻す為。安住の地と安らかな時を得る為。私は貴方との契りを交わしましょう」
「ありがとう。多くの生けるものが貴方達に期待してます……」
そう言って、弱くも優しい微笑みを浮かべる女神。
彼女は静かに右手を天に翳すと、ゆっくりと返した掌をハティに差し出します。
すると、彼女の掌から装飾の額縁を銀色に輝かせる一つの鏡が現れました。そして、霞のようにハティの傍らに滑り届きます。
それは”白き愛の女神”の国”VANILLA-FIELDS”に住む妖精のひとり、アイス・キュロスが姿を変えたものでした。
宙に浮いたままハティの肩口で鏡は静止すると、次に女神は微かな吐息をハティに吹きかけます。
その息吹はハティを撫でるように流れ巻き消えると、彼の前足、その右肩に炎のように赤く光る華の文様を浮かび上がらせるのでした。
その鏡に映った焼印のような文様に驚くハティ。
「こ、これは?」
驚くハティに女神が答えます。
「それは貴方の血筋の紋章。灼熱の地、”紅華の紋章”……」
そして、女神は眠るように倒れ伏す少女マーニの右頬を差します。
そこにはハティ同様、白く輝く羽の文様が浮かび上がっていました。
「彼女の頬の痣は、風の天使”白羽の紋章”……」
その女神の言葉を聞き、何かを思い出し掛けるように目を細めるハティ。
「紋章……。どこかで見たような気がする。いや、知っている。私はこれを知っている。何故? 何故、私は……」
そう言って、必死に何かを思い出そうとする彼に女神が促します。
「赤子の掌を御覧なさい」
もやもやとした霧のような面持ちで、促されるまま赤子の掌を見るハティ。
「右と左、それぞれの掌に華と羽の紋章が……」
「そう、元々あなたたちは同じ国の人間。その魂を持って生まれてきたもの。深い縁で結ばれているのです」
「私たちが……」
「何れ全てを思い出す時が来ます。それまでの間、あなたたちの魂を私の力で新たな器に繋ぎとめます。
そして、私の国。その都”VANILLA-TREE”へと招きましょう。
そこにある白亜の塔から、そこからなら、この壊れた世界”RUINOUS-WORLD”の全てを見渡すことが出来ます。
そして、そこにある”野原の書”が、あなたたちの行く手を指し示してくれるでしょう。
さあ、懐かしい故郷を、想い出の場所を、共に取り戻す旅へ出かけましょう……」
◆・.。*†*。.・◆
”VANILLA-FIELDS”。それは”白き愛の女神”エタニティの王国世界。
神代の時代。
古の神々は、それぞれに新世界を創造しました。
女神エタニティは、柘榴の森として残されていた”KHAOS”の中から神霊たちを引き連れ天地を創造します。
サルマスと共に時を創り、時は空間を広げて光や感覚を芽生えさせ
アルソナと共に大地を創り、大地は山や森、野原を育み、友が生まれて花や風となり
次に
ユリゼンと共に川や海を創り、海は水平線を掲げ、理性と秩序を生み出し
最後に
ルヴァと共に愛を満たし、”VANILLA-FIELDS”を覆いました。
そして
咲き乱れる白い花が絨毯のように敷き詰められた広大な野に、ひとつの木の苗木を植えます。
木は瞬く間に成長し、天にも届きそうな大木となります。
その白い葉を茂らせる太い枝々には、幾つもの家や宮殿、城が立ち並び、都”VANILLA-TREE”となりました。
”VANILLA-TREE”には、天地創造の後に天使となった神霊のサルマス、アルソナ、ユリゼン、ルヴァが。
また、女神と共に新天地を目指した民である妖精ヴェリールらが。
中でも何度も転生を繰り返し、天使のような白い羽を持った古いヴェリールたちが住んでいました。
彼らは死ぬと、その魂は北にある”ポホラの山”へと帰ります。
そこにある柘榴の森”リンツ・コート”に吸い込まれて消え、再び白き花”VANILLA”の蕾に宿り生まれ変わります。
花開き、その中からふわふわと舞い出た綿のようなヴェリールの幼生は
”VANILLA-FIELDS”のあちらこちらへと散らばり
ある者は透き通る羽を持った妖精となり
ある者は生きとし生けるものに精霊となって宿り
またある者は姿を人に変えて暮らし始めます。
ヴェリ-ルたちは、都”VANILLA-TREE”の周りに街や村を創り、山や野、海辺にも出て暮らし始めました。
それらは全て”VANILLA-TREE”の根で繋がり、記憶や愛など全てを共有する事が出来ました。
◆・.。*†*。.・◆
暫くして、明るく柔らかな光に温もりを覚えながら灰色狼は目を覚まします。
未だ夢うつつではありましたが、その視線の先には白く美しい衣服に身を包み、テラスで佇む少女の姿がありました。
朧げではありましたが、その遠くを見つめる姿が、幾分大人びても見えましたが、間違いなく雪の荒野に生き倒れた少女に違いありませんでした。
ふかふかの白く毛足の長い絨毯。白い壁は穏やかな眩さに包まれ、家具などの調度品も白を基調に揃えられていました。
その窓辺の外にあるテラスで、風に揺れる白いカーテンに見え隠れしながら、少女は外の風景を眺めていました。
どうやら女神の約束通り、自分たちは都”VANILLA-TREE”の宮殿”WHITE-GARDEN”にいるようでした。
ふと、正気を取り戻す狼。
--- そう言えば赤子は? ---
そう、少女と一緒にいた赤子の事を思い出し、彼は伏したまま部屋を見回します。
すると赤子の姿を見つけられずにいる狼に、誰かが親しげに話しかけます。
「気がついた? 大丈夫?」
その声の主を探すよう、四肢を伸ばして起き上がる狼。
「ほら、ここだよ、ここ……」
そう言って微笑みに変わる声の方向へ頭を持ち上げると、そこには翼をはためかせ宙を舞う妖精の姿がありました。
「おはよう、分からない? 僕だよ、僕……」
真っ白で天使のように柔らかな翼。
艶めき白く長い髪。
そして、その小さな腰には細い剣を携えています。
その騎士さながらの格好をした妖精。それは、この女神の世界”VANILLA-FIELDS”に住む妖精ヴェリールに生まれ変わった赤子の姿でした。
要点を得ないでいる狼に彼は言います。
「しょうがないな。ま、でも仕方ないか。おはよう”フローズン”」
「フローズン?」
その名を聞いて狼は、不思議な事に気付きます。
”フローズン”。確かにそれは自分の名前でした。
ただ、彼にはそれ以前、”ハティ”という名前で呼ばれていた記憶がありました。
しかし、いったい何時から”フローズン”と呼ばれるようになったのか?
その記憶はありませんでした。
「フローズン、そう”フローズン・スコル”。それが君の名前だろ? 僕の名前は”ホワイト・ベリー”。そう言えば僕が誰かも分かるだろ?」
「あの時の、赤子……」
「やっと分かってくれたみたいだね。あの時はありがとう。君が助けてくれたおかげで、僕はこうして生きている……」
そう、彼らには白き女神が新たな名前を与えていました。
そして、女神に新たな名前を与えられたもうひとり、テラスにいた”ヴァニス”が、二人の会話に気がついて部屋の中へと戻ってきます。
「おはよう、フローズン」
「おはよう……」
この後、フローズンはヴァニス達に雪の荒野での話や、白き女神との約束の話をするのでした。
そして、ヴァニスは彼に、灰色狼ではなく白狼になってる事や、肩の焼印や顔の痣は消え、それぞれが首飾りになった事を話しました。
そして、ホワイト・ベリーが言います。
「で、多分これが”野原の書”。でも、本を開いても……」
すると、部屋の暖炉の横に置いてある古い猫足テーブルから声が聞こえてきます。
その声の主。
それはテーブルの上に置かれていた銀の鏡。あの雪の荒野で女神の掌から現れた妖精アイス・キュロスでした。
彼女はホワイト・ベリー同様、天使の翼を持つ妖精に姿を変えると、ヴァニス達の輪に加わり言葉を続けます。
「そうよ、それが”VANILLA-FIELDS”で起こった出来事が記されている”野原の書”。この世界に住む妖精のヴェリールたちが、ずうっと昔から見たり聞いたりしたものが綴られている歴史書……」
再度、ホワイト・ベリーが問い直します。
「でも、本を開いてみたんだけど、どのページも真っ白なんだ……」
「それは、この世界”VANILLA-FIELDS”が不完全なせいなの。でも、直に元に戻るわ。そう、あなた達が”野原の書”に物語を取り戻すの……」
「僕たちが、物語を……?」
◆・.。*†*。.・◆
あれから、毎日のようにホワイト・ベリーは”野原の書”を開きました。
しかし、今日も開いた書の紙片は白く、転寝をしていた時の事。
部屋のテラスから緩やかに吹き込む春風が、物語のページをめくります……。