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人魚

作者: 小兎イチ
掲載日:2025/12/03


 ある捻くれた男が町を歩く。名を泥田棒ノ助といい、盗みを生業にしていた。基本は一人で行動しているが、人の家に入る時に協力する仲間がいた。

 「や、棒ノ助。気をつけろよ、最近は鎌鼬やらぬりかべやら雷獣やらが出るらしいぞ」

 「馬鹿かガキじゃああるまいし、そんな妖怪だなんて俺あ信じないよ。それに、雷獣に至っては穴熊に小細工をしたものだろうが」

 棒ノ助は妖怪やら幽霊の類を一切信じない物質主義者だった。

 金が第一、精神は二の次。それが信条だった。その言葉通りどれだけ美しい女がいたとしても金品を強奪し、場合によっては殺すことさえあった。しかし棒ノ助はこれまた逃げ足が早く緊急事態が起きてもサッサとその場から消えてしまうため、町では妖怪の仕業などと言われていた。これも棒ノ助が妖怪を信じない理由の一つだった。

 そのくせしっかりと女体は好きであり大人はもちろん子供まで好んでいる変態で足がつくため手は出さないが、見かける度にめちゃくちゃにしてやりたいと思っていた。

 こんな棒ノ助だが表向きは芸者をしており、なんでもどんな鳥でも鳴き声を真似することができ、それで鳥を呼び出したりで人気を博していた。


 夜、最近の棒ノ助は山で活動する。棒ノ助は誰かに見つかり手柄を分けることになったら不味いと、毎日陽が沈む頃に財宝を探しに来ているのだ。

 そんなある日、ここらは探し尽くしたと違う地点に行くと、昼間は鳥が低く飛んでおり雨が降るのではと言われていたのが嘘のように綺麗な月光に晒され光る池を見つけた。棒ノ助は「池に金銀財宝が沈んでいるんだ!」と思い駆け足で池に近寄った。するとそこには、さらりと艶めき月明かりを少し反射している黒い髪、雪ほど白い潤った肌、細い三日月型の眉、本数は然程多くはないが一本一本が長い睫毛、品の良い高い鼻、血色・形と共に良い唇と世界でも群を抜く美女である小野小町、楊貴妃、ファラオ(どれも実際に見たことはないが)よりも断然美しい十七、八に見える少女が居た。しかし、完璧な容姿と思えた少女に一つだけ違和を感じた。池の真ん中にある岩に腰掛けているのはまあ良い。そうではなく、脚が魚のようだったのだ。

 そこには人魚がいた。


 最初はただその美しさに見惚れていたがその脚に気が付き、踏み鋤を構えた。棒ノ助はにやけた顔と恐怖の顔が混ざり合い、棒ノ助自身が妖怪の類なのではないかと疑われてしまうような表情になっていた。

 「あれや、貴方は誰でしょうか?」

 人魚は青と黒の硝子のような大きい眼で真っ直ぐと棒ノ助を見た。音の振動による雑音も無く、透き通ったような美しい声であった。そんな声を聞くと、幾ら捻くれ、曲がった心をした外道だろうが非道だろうが何でも答えてしまうのではないかと思わせた。事実、棒ノ助は答えてしまった。

 「へえ、私は盗みを生業としております泥田棒ノ助と言います。もしや貴方様は人魚であられますか」

 人魚はそれを聞き、キョトンという音が実際に聞こえてくかのような顔をした。棒ノ助は言わなくても良いことに気がつき「しまった」と口にした。しかし人魚は微笑み、両の手を前に出して落ち着いてという動作をした。

 「貴方は盗人であるのですね。大丈夫。私も長く生きています。今更盗人如きに思うものはありません。そして、如何にも私が人魚です。この池に住んでいるので断言できます。ここに金銀財宝はありません」

 棒ノ助は少し落胆したがすぐに顔を上げ、ジィッと人魚を見つめた。

 この人魚は実に美しい。見せ物小屋に売れるは無論、お殿様のお手付き女中としても持っていけば褒美を貰える。殺したって良い。端麗な瞳、月光に反射し煌めく鱗、血だって飲めば長寿・不老不死になれると流言蜚語で買わせれば良い。何が金銀財宝は無いだ。お主自身が立派な宝ではあらぬか。

 この発想は大して中傷できぬものである。恐らく、元々身分の高い人間以外は全員が同じように思うだろう。そして、実際に人魚に遭遇した人間皆がそう思ったのだろう。人魚はそれを見透かしていた。

 「棒ノ助さん。もしやとは思いますが私を捕まえ、更には殺傷までしようとお考えなのではありませぬか」

 棒ノ助は慌てて答えた。

 「そうです」

 棒ノ助は瞬間、その場を離れようと振り返り全力で脚を回転──させなかった。

 ジッと人魚を見つめたままだった。

 「あれやれや、どこへ行こうとお考えになったのですか?ああ、お答えしなくても大丈夫です。もう少し御一緒致しましょう?」

 棒ノ助は、先程とは違い二十八程に見え、発せられた妖艶な声に腹を空かせたアカメの如く釣られそうになった。耐えた、が池に近づいていた。二歩、一尺程。小股ではあるが確実に進んでいた。不安になり周りを見ると、蛙、鹿、狐、狸、兎、よくは見えないが何らかの鳥、それ等全てが人魚の方を見ていた。棒ノ助はもう一度人魚の方を見ると先程の動物達が作用し、ここが楽園に見えた。思わず涙が零れ、膝をついてしまう。

 「どうされたのですか?さあ、お立ちになって。夢にも見ぬ素晴らしいことを──」

 これ以上は耐えられない。棒ノ助はそう思った。柔らかく優しい声。人魚が月を背にすると影になる筈が、ハッキリとその見た目が分かる。月よりも美しいと。しかし棒ノ助は進まなかった。──否、進めていなかった。膝をついていたお陰でバタリと前に倒れ、頭だけで人魚を見ながら泣いていた。

 ああ、なんと美しいのだろう。だから文献では会ってしまったら恐ろしいと感じるように醜く、面妖に描かれていたのか。子供も大人も近づかないように。棒ノ助はしばし考えた。

 ──何故その者は人魚の事柄を書き記す事ができたのだ?絵師が山に来て人魚を見つけ、人魚に戻って来るので描かせて下さいとお願いをし、本にするために一度街まで降りてから殺されたとでも言うのか?棒ノ助は雷が落ちたかのように脳だけでなく全身の神経が冴え渡った。

 「人魚様、人魚様は私めのような人間を見つけたらどうなさっているのですか」

 「安心して下さい。私は食事は滅多にしません。少しばかり遊び気に入れば大切に、誠に残念ではありますが気に入る事ができないようであれば知り合いの河童の元に」

 「河童?なんと、この世界では河童もいるのですか」

 「ええ、ええ、いますとも。時に棒ノ助さん、貴方は河童の鳴き声を聴いた事がありますか?──ああ、存在を聞いているのに聴いたことがある訳ないですよね。こんな感じに。quax quax」

 今度は指を三本立て、向かって左上を向きながら鳴いた。その姿は宛ら六、七歳の少女だった。

 「人魚様、私は先程から人魚様のお姿、年齢が変わっているように見えます。それも何かの妖術なのですか」

 「いいえ、貴方の心がそうさせているのです。貴方の欲が私の見た目を都合よく変化させているのです。原理?そんなのが分かったら妖怪はいませんよ」

 それもそうだと棒ノ助は納得してしまった。しかし、今の会話で大分冷静になれた。棒ノ助はどうすれば助かるかを考える。

 踏み鋤はまだ近くに転がっている、殺すか。だが、近づけばきっと池に引き込まれる。朝になるまで待つか?いや、朝になったからなんだというのだ。誰かが来るというのは諦めるべきだろう。誰も来ないためにこんな山奥に来たのだから。そういえば、先程人魚は「気に入れば大切に」と言っていた。もう元の場所に帰るのは無理かもしれないが生きることはできる。いや寧ろそれは正しく良いことなのではないだろうかこんなに美しい人魚様の下で一生を終えることができるなんて幸せ人類の幸せ耳を千切られようが目を潰されようが舌を抜かれようがそれが全てあの柔らかそうな手で行われれば幸せこのために生きていた精神作用は全て人魚様に向き神経は人魚様になりああ私は全てが人魚様に

 ──ドスの効いた土の味がし、棒ノ助は目が覚めた。


 「いい加減にお立ちになったらどうですの?」

 腕を組み如何にも不服そうにしている人魚を前にした棒ノ助は文字通り大地を噛み締め、しゃがみ込み、椋鳥の鳴き真似をした。椋鳥というのは集団行動するもので、大量の椋鳥が集まってきた。羽ばたく音と木々を揺らす音は相当に大きく、周りの動物達も何匹か目が覚めたようで蛙が人魚とは逆方向に跳ねるのが見えた。

 棒ノ助は考え、あることを思いついた。

 身体を自由に動かせる程に自意識をはっきりとさせれば逃げられるのではないか。そのためには爆発的な刺激が必要だが周りにはなかった。色々と起こり、しゃがむことまではできたが、例え猪に体当たりしてもらっても完全に治るとは思えない。

 雨が降ってきた。月は徐々に隠れ人魚にも煌めきが消えた。恐ろしいのが月光が消えればマシになると思ったものも次は「水も滴る良い女」ときた。元々人魚なので多少は濡れていたが。

 やはりと言うべきか、雨粒程度ではどの動物も戻らず、遂には一匹の兎が浸水した。そろそろ不味いと思った棒ノ助は人魚にある提案をしてみた。

 「もし助けてくださったら何でも持ってきます。盗みが得意なので、どんな物でも」

 「じゃあ蓬莱の玉の枝を」

 してやったりと言わんばかりの顔を見せられた棒ノ助は腹が立った。そして今までのことを振り返りどんどんと腹が立ってきた。どうにかして人魚に一泡吹かせられないだろうか。

 雨は強まり、遂にはドガラゴロと雷が落ちた。それに呼応したかのように再び脳だけでなく全身の神経が冴え渡った。天からの雷という爆発的な刺激のおかげだろう。

 棒ノ助は今動かせる最大の力で烏の鳴き声を真似した。昼行性の奴らを起こすなんてのは難しいだろうが、この時棒ノ助は飯に飢える小烏の鳴き声を発していた。より悲痛そうに鳴き、雨の音にも掻き消されないように、どの親烏でも来るように、泣き叫ぶ声のように────食事を求めた。

 人魚が何事かと驚き耳を塞いでいると、棒ノ助目論見通り大量の烏が餌であるとうもろこしを咥えてやってきた。烏達が池の上を滞空しているくらいでは雷を呼ぶことができないことは分かっている。烏を使って呼んだのは雷獣だ。

 目頭に激痛が走る光の根が降り注ぎ鼓膜が破れる程の轟音が脳味噌を揺らした。周りの動物は叫びながら逃げ、烏もとうもろこしを放し一目散に飛び去った。水面には電流が走り、人魚の身体を貫いた。勿論棒ノ助もただでは済まないが、比較的負傷は少なかった。比較的。棒ノ助は意識を失ってしまった。


 棒ノ助が目を覚ますと神様が、ではなく紅を纏った太陽が顔を出していた。眩しくて顰めっ面になるが、それよりも見なくてはならないのが人魚だ。

 棒ノ助は光に耐えながら人魚の方を見ると、獣や烏共に喰われていた。良かったよりも胸が痛ましくなってしまった。

 棒ノ助はこの経験を大事にし、今までの考えを色々と改めることにした。

 ただ、今はもう少し眠っていたかった。崩れ、朦朧として行く意識の中で棒ノ助はあることを思い出した。

 文献の著者はどうやって生き延びたのだろう。

 棒ノ助は眠りについてしまった。

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