13 死の淵と信仰
ここは、どこだろう。
ふわふわとした感覚を足に感じる。
「ワン!」
吠え声に驚いて下を見ると、幼い頃飼っていた愛玩犬がいた。
私の周りを嬉しそうにくるくると回っている。
「お前がいるということは、私は死んだのね…」
そうだ。何故こんな大事なことを忘れていたのだろう。
私が死を直視した最初のきっかけは、士官学校ではなく、この犬だったというのに。
「きゅーん」
黒々とした純粋な瞳。
「お前には生死なんて分からないわね。」
犬に言っても仕方がないことなのに、口が止まらない。
「私もよ。こんなこと、今までは考えたこともなかったのに。」
「お前は変わらないのに、私はどうしようもなく変わってしまった。あの頃の私はもういないのよ。それならせめて、良い変化だったら良かったのにね。」
自嘲の笑みが零れる。
この空間を包む白い光がだんだんと明るくなる。神が私の審判のために迎えに来たのだろう。
「さあ、もう行かなきゃ。お前は人ではないから審判はいらないわね。」
「さようなら、トビー。」
トビーと別れ、神に向かって懺悔する。
さあ、これで終わりだ。
「神よ。私はとてもたくさんの過ちを犯しました。試練が乗り越えられないからと場違いにも貴方を呪い、祈りもせず、反目してばかりでした。神よ。私は以前、貴方の敬虔なる信徒でした。それにも関わらず禁忌である自死をしてしまいました。私は地獄へ行くでしょう。貴方が審判を下されるまでもなく、私にはわかっています。ですからどうか、」
「一つの祝福をください。アーメン。」
光が眩しくて目を開けていられない。これが神の後光なのか。縋りつきたくなる気持ちを必死に抑えて、審判が下される時を粛々と待った。
「あ、起きたんだね。」
ああ、神は私をお許しにならないのでしょうか。
「……地獄へ行く方がまだマシだったというのに。」
「貴女たち人間は戦場を地獄と言わなかったかな」
柔和な笑みを私に向けるマイロ。
彼はいつも笑みを浮かべている。
まるで、あの頃の私のよう。
「貴女は馬鹿なんだね。俺の目の前で死のうとするなんて無計画も甚だしいよ。」
彼は鼻歌でも歌うように私を詰る。
「そうです。わたくしは、馬鹿なのです。……だから、殺して欲しかったのに。」
「ふぅん。でも俺は、貴女の自己満足に付き合うつもりはないからね。」
「本当の意味での死が存在しない貴方に、気がきくだろうと断定してしまったわたくしが馬鹿でした。」
「ふふ。」
マイロが笑みを濃くする。
機械でも貴族になれるのだろうか?もしなれるのなら、上手くやっていけるだろうに。
「つかれました。もう。」
「泣き言は聞かないよ。」
「ええ。……」
そこからは何も言わず、ただ涙を流していた。
最後に泣いたのはいつだったか。
枯れ果てていたはずなのにこんこんと湧き出でる泉は、その扱いに困り果てた私の思考を止めるには十分だった。
『たとえ私が、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。』
幼い頃説教を聞いた時の神父の声が蘇ってくる。
「あなたのむちとあなたの杖は、わたくしには見えませんでした。」
それはなんだ、と言わんばかりのマイロの視線を無視する。
ここにロザリオがあれば良いのに、と思いながら両手を組んで、何度も裏切った神を脳裏に描く。
ユダよ、今なら貴方の気持ちが分かります。
「慰めは、わたくしに与えられません。与えられぬ度に嘆き、怒り、諦めました。貴方を罵り、貴方に八つ当たりをして、鬱憤を晴らそうとしましたがそれも出来ませんでした。」
手の甲に浮き出た骨が白くなるほど強く手を握りしめる。もうこれ以上、私の身から罪が溢れないように。
「わたくしは貴方を信じられませんでした。死の影の谷を歩んでいる時、恐ろしいほどの孤独に身を震わせ、訳もなく降り注ぐ暴力を受け止めながら、貴方を呪うことしかしていませんでした。」
「けれど、今分かったのです。神はそれでもわたくしを生かそうとなさる。わたくしを自害という永劫の罪科から掬い上げようとなさる。それこそが、慈愛なのだと!」
「わたくしが何度貴方を裏切り、罵り、呪っても貴方はわたくしをお救いになる。なんて寛大なのでしょう、遍く愛をお持ちの主よ!」
たとえ裏切っても、背いても、唾を吐こうと、わたくしは、人間は弱いものだから、次の瞬間には主に縋りついてしまう。
ユダ、ユダ、貴方が救世の神子に赦された時も、同じ感覚だったのでしょうか?
つまり、私には結局信仰しか残りはしないのだ。
身体も、身分も、性別も、兵役も、わたくしの意思ごときでは何も選べない。
選べないのならいっそ、偉大なる存在に身を任せてみるのが賢い選択ではなかろうか?
そんな浅ましい考えが、頭の中に閃いた。
閲覧いただきありがとうございます。
宗教に詳しくないので解釈等間違えていたら申し訳ないです。ふんわり宗教ということで。




