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可能性への希望

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 果たして、自分がいまやっていることに可能性はあるのだろうか?

 誰でも生きていて、何度か頭をよぎることがあるはずだ。

 これを考えずにいられるときは、人生の上り調子あるいはそう思い込めるほど楽しい時間を過ごしているときだろう。

 しかし、これが主観的に行き詰ったり、下り坂に差し掛かったりしていると感じたとたんに、将来を不安に思ってくるわけだ。

 生きるというのは享受すること。その享受の機会が狭まり、失われていってしまうことを私たちは大変に恐れている。

 新しいことへ踏み出すことは大切と知りつつも、その先の労苦、悪しき結果……歳をとれば結果をいろいろ予測、イメージできてしまうがためにがむしゃらに突き進む力は持ちづらくなってしまう。

 自分の弱るポテンシャル。その不安に打ち勝たんとする術を求めるのは、いつの時代も同じなのかもしれない。

 最近、私が聞いたポテンシャルをめぐる話、聞いてみないか?


 むかしむかし。

 とあるところに、役人への登用試験を受け続けていた青年がいたという。

 試験は非常に厳しいものであったが、そこに合格すれば生涯の安泰が約束されるとウワサされるほどだったとか。

 一念発起して田舎より出てきた彼だったが、半端でない競争率を前に結果を出すのは簡単なことではない。

 彼は年に2回ある試験のいずれも合格できないまま、10年が過ぎ去っていたとか。

 彼は30を優に超えていたというが、それが果たして手遅れかどうかというのは、聞いた人の知識量によるところであろう。

 世には彼よりも歳をとってから、名を遺す活躍に恵まれた偉人たちがいる。現在は長寿も珍しくなくなり、遅咲きもまたひとつの形といえよう。あくまで、目的を達する一点だけを考えたならば、遅いとは一概に言い切れない。


 しかし、彼の中に焦燥があったのは確かだ。

 その場しのぎの、つなぎの労働では日々を暮らしていくので精いっぱい。自発的に薬草とりなどもしているが、腹満たされる経験など、最後に経験していたのはいつのころだっただろうか。

 生をつなぐ限り、可能性は途絶えることはない。しかし、仮に受かったところで、自分にどれだけ先を生きる時間が残されているか。


 ――まだ余力のある、早いうちにこそ成果を出さねば、試験を受ける甲斐もない。


 勉強のかたわら、彼はふとそのようなことを考えるようになっていたのだとか。


 そんなある日の山中。

 彼は普段よりも分け入った奥で、ひとつの洞穴を見つける。

 人ひとりがようやく通れるほどの狭い口で、少し顔を近づけると、中から肥溜めのそれに似た嫌な臭いが漂ってきた。

 誰か住んでいるのかと、鼻をつまみながら後ずさりしかける。いずれにしても、これ以上近寄る気になれない……と思いつつも、彼は洞穴の入り口。その脇の壁面を見て、首を傾げたんだ。


 窓枠、のように彼には思えた。

 正方形をした木の枠は、ちょうど家の一角へはめ込むことができるほどの大きさをしていたんだ。

 四辺それぞれに、くぎ一本ずつ。その中点より深々と岩の壁面に縫い留められた枠は、彼が少し触ったくらいではびくともしなかった。

 しかしこの枠、当然ながら壁に架かっている以上は、映し出す景色もまた壁面だ。硝子はおろか、雨風をしのぐような布地の用意すらされていない。

 ただ埋め込まれ、自らに与えられた大きさに世界を区切っているのみだった。


 疑問に思った彼は、窓の区切る枠の中へ手を入れてみたのだそうだ。

 若干の赤みを帯び、ごつごつとした岩の壁面。そこへ釘を打つには相当な力が必要だったろう。そして枠内にとらえているのも、周辺のそれと大差ない岩の肌。

 けれども、手を入れた彼が握ったのは、想像していたような硬質のものとは程遠い。

 それは柔らかかった。そして暖かかった。

 ぐっと力を入れると、指のそれぞれが内へ食い込むかと思うほどだ。それはここ10年あまり、まともに触れることがなかった人肌のそれを思わせたらしいのさ。

 が、それもつかの間。

 やがて手に触れたぬくもりはぱっと消え、想像通りの硬い岩の肌が、握りこもうとした彼の指を頑なに弾く。

 この手のひらの返しよう、まるでおなごみたいだなと苦笑しつつ、彼は先の感触を何度も手のひらを握ったり、開いたりして確かめていたのだとか。


 その後、家へ取って返した彼だが、翌日以降に件の洞穴近辺に向かっても、あの窓枠らしいものを見ることはなかったらしいんだ。

 そして一年後。彼はいったんは試験に落ちたのち、次の試験で念願の合格を勝ち取ることができたのだという。

 役人として勤められるようになったことを、一番に家族へ報せるべく故郷へ飛ぶようにして帰った。

 健在の両親の手料理を腹いっぱいに食べ、それまでに重ねた苦労と、それに上回る喜びを夜が更けるまで彼は話したらしい。そしてあの、洞穴の壁面につけられていた奇妙な窓枠についても。


 その話が終わるとき、彼の両親は見たのだそうだ。

 彼のすぐ背後の虚空から、突如として宙に浮く手が現れたのを。それが彼の右肩に乗っかり、一度大きくもむのを。

 とたんに、彼はその場に倒れてしまい、両親が駆け寄ったときにはもう息をしていなかったそうだ。そして、虚空に浮かぶ手もいつの間にかなくなっていたらしい。


 おそらく彼は、試験に受かる運命にあったのだろう。ただそれは、自分の生が終わる直前であって。もし、そのままなら老いさらばえたそのときに、悲願はかなったのかもしれない。

 それをいま受かるのに使ったことで、残りの生涯の可能性すべてを前借りしたのだろうな。

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どのみち叶うのが人生の終盤というのは、何とも言えない気持ちです。 長い間、結果が伴わないのはなかなか辛いものがあります。ただ願いが叶ったからといって、必ずしも幸せが約束されているとも限りません。 どん…
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