赤い噴水
ため息をついて最後のアマトリチャーナを食べきったとき、ふとラナの耳に聞こえるざわめきがおかしいことに気がついた。周囲を見渡しても、自分たちに視線が向けられているわけではない。ラナが首を傾げて大庭園を見下ろすと、噴水が。
「赤い……?」
「どうしたの、ラナ? アマトリチャーナは赤いものよ?」
ラナの呟きに反応したオハイアリイは、近づいていたクリフトの顔を手で諌める。その片手間に
「オハイアリイ様、あれ見てください」
ラナの指差した先には大庭園の目玉である噴水。オハイアリイはクリフトの口を塞いで来た手をどけて、柵に手をつき身を乗り出す。
「なにもないわよ?」
「えっ。嘘。あの一番大きな噴水、赤い水が吹き出ていませんか?」
「赤い水……? 俺には普通に見えるけどな。光の当たり方とかでそう思うんじゃないか?」
ラナはオハイアリイとクリフトの顔を交互に見比べてから、柵に足をかけて身を乗り出す。やはり噴水は赤く見える。
「ちょっと、ラナンキュラスちゃん。そんなに身を乗り出したら、危ない……」
い、の音が発されているかいないか、その刹那。黒い鳥がラナの顔の真隣を横切ると同時に、噴水の水が途切れる。
「えっ?」「はっ?」
噴水の音が鳴らなくなったその瞬間、真っ赤な水が勢いよく吹き出した。先程までと比べ物にならない水は周囲にいた生徒に降りかかり悲鳴があがる。生徒が逃げ惑うのを見たクリフトは柵を乗り越え、二階のテラスから飛び降りた。
「クリフト! ……ラナ、行きますわよ」
「えっ、あ、はい!」
オハイアリイは食器をそのままにテラスを駆け下り、ルイーサにごちそうさまを言ってホールの外へ出た。ホールの入り口付近には避難してきたであろう生徒たちが滞留していて、オハイアリイとラナはその人混みをかき分けて歩く。噴水の水は勢いが弱まりはしたが、未だ赤いまま。
「ラナ。貴方、これが見えていたの?」
「ええと……たぶん?」
ラナは首を傾げる。ラナの見た赤と今の赤は様相が違うようにも見えた。校舎の方から教師たちが駆けてきた。授業開始の鐘はいっこうに鳴らない。
「エンゼルランプ先生! 何事ですか!」
ヒステリックに叫んだのはいの一番にかけつけた学校長。その隣ではレドハイドが口をあんぐりと開けて汚れた噴水を見上げている。
「なんだか嫌な匂いがしますわね」
オハイアリイのひとり言にラナは感じる匂いの正体を探る。臭くはないが、何かよくないものを連想させるような、そんな匂い。クリフトは匂いが気に入らないのか鼻先を擦りながら、赤い水に顔を近づける。大庭園に敷かれたタイルは赤い水であちこち汚れていた。
「グラッジ先生! 瓶を持ってきてください!」
クリフトがグラッジと呼ばれた薬学教師に叫んだ。グラッジは頷いて踵を返し校舎に走っていく。
「……何かの予兆かもしれません。大講堂に生徒たちを集めてください」
学校長は深呼吸して冷静を装い指示を出し始める。ラナはそれをぼんやり眺めていたが、オハイアリイが薔薇の植木の中を覗き込んでいるのを見て、その背中に声を掛ける。
「オハイアリイ様、そちらに何か?」
「いえ。何か、光った気がするのだけれど」
そう言って植木をかき分け、土に手を伸ばした。ラナもオハイアリイの隣にしゃがみ込むが、何の変哲もない土が広がるばかり。オハイアリイはため息をついた。
「……気の所為ね」
立ち上がって上着の裾についた土を払う。振り返るとクリフトが手のひらに水を掬っていた。
「クリフト……先生。あまりそういうことはされないほうがよろしいのでは?」
「俺は結構毒とか強くてね。大丈夫だよ」
「そういう危機管理のなさが事故を招くとしらないの?」
言い合いを始めそうな雰囲気を察知し、ラナは慌ててオハイアリイの肩を叩く。オハイアリイはクリフトに向けるものとは違う優しい顔でラナを振り返った。
「なにかあった?」
「いえ、そういうわけではないのですが。この水、なんとなく……色にむらがありませんか?」
ラナの見た水は真っ赤だったのに対し、吹き出してきた水はどことなく赤茶けていた。色も薄いところと濃いところの差がわずかだが存在し、ラナとオハイアリイは揃って首を傾げる。
「何か、溶けているのかしら?」
「エンゼルランプ先生ー! 瓶持ってきました!」
グラッジが瓶をいくつも籠に入れて持ってきた。クリフトはそのうち二つをラナとオハイアリイに差し出し、水を詰めるよう言った。瓶を受け取り蓋を開けて、赤い水を掬う。
「なんだろう……気持ちの悪い、色」
若い教師の呟きが耳に入る。賑やかな大庭園は生徒がいなくなったことで緊張感に溢れていた。
「念の為午後は休講にしましょうか」
グラッジが学校長に休講を提案していた。学校長は汚れた噴水を見上げてから緩慢に頷く。
「……あの、オハイアリイ様。どうして学校長先生はあんなに焦燥されているのでしょうか」
ラナの視線の先の学校長は落ち着きなく噴水の周囲を右往左往し、汚れたタイルに指を添えて強く拭う。
「ここ大庭園は学校長先生が一番力をかけて作った場所。それを見るも無惨に汚されてしまってはああもなりますわ」
ラナは学校長から視線を外し、大庭園をぐるりと見渡した。いつも美しいはずなのに、嫌な匂いと赤のせいでその荘厳さはどこか寂しげだ。
「そこの君たち、何してるんだ。早く大講堂に行きなさい」
荒々しい足取りでグラッジが近づいてくる。オハイアリイたちが追い立てられようとすると、クリフトが立ち上がってグラッジを制した。
「この二人は目撃者ですから、一度話を聞こうかと」
そう言ってグラッジの返答を聞くまもなく、二人の肩を持って校舎へと連れて行く。ラナがクリフトの肩越しに噴水を振り返ると、頂点に施された羽根の意匠を伝うように水が動いているのが見て取れた。




