まあるい飴の秘密
「なんというか、とても元気なおばあさまでしたね」
「スレイは今年で百歳になるの。わたくしとの喧嘩が健康の秘訣なのよ」
ふふん、と擬音のつきそうな表情でオハイアリイは胸を張る。百歳とはどれくらいだろう、とラナは陳腐な思考を巡らせた。一年前荼毘に伏した祖母は八十六歳。それからさらに十四年。生まれた赤子も立派な少女になってしまうほどの途方もない時間にラナは考えるのをやめ、言われるまでもなくあとをついていったオハイアリイにまた声を掛ける。
「オハイアリイ様、今度はどこに?」
「そうね、次はドレスかしら」
「……ど、ドレス!?」
縁のない言葉にラナは慄く。それからオハイアリイの用事だと思い当たり、胸をなでおろした。その一連の様子を見ていたオハイアリイは、扇の先端でラナの鼻先をつついた。
「何を惚けているのかしら。あなたのドレスも選ぶのよ」
「ええっ!?」
……オハイアリイと出会ってから一番の叫びが心の底から出る。周囲を通り過ぎていた大衆が何事かと足を止めた。
幸か不幸か、オハイアリイは貴族間でも、社交界でも、知らないものはいないほどの有名人だった。そして、誰よりも高い地位を生まれながらに持ってしまっていた。周囲の人々は即座にざわめき、ラナとオハイアリイを囲うように人の壁ができる。オハイアリイの背中側にいた三人組の娘が、身を近づけて囁いている。
あれはオハイアリイ様、向かい合っているのは誰かしら。
あんな貧相な娘が貴族街になぜいるのかしら。
オハイアリイ様も、相変わらず。
自分が責められている気分にラナは自身の両肩をしかと抱く。オハイアリイは小さくため息をついて、温もりのない笑顔でラナの手を引いた。
「行きますわよ、ラナンキュラスさん」
オハイアリイは無言を貫き、有無を言わさぬ視線で壁を蹴散らす。ヒールの音を派手に響かせ、囁き合っていた娘の前で立ち止まる。
「噂をするなら、人の耳のないところ。聞こえていますわよ、マルキューン子爵のご令嬢?」
「……!」
そう声をかけられた娘は青褪め、蜘蛛の子を散らすように逃げる。オハイアリイは人をものともせずまた歩き始めた。暫しオハイアリイに右腕を握られていたが、その手が離れる頃にはとうに人混みは見えなくなり流麗な白い建物の前に立っていた。
「オハイアリイ様」
「ごめんなさいね、ラナ。あのような声を聞くのは、耐えられないでしょう? あの娘の家にはしかと制裁を加えるから」
制裁。生々しい響きにラナは生唾を飲んだ。オハイアリイはそんなラナに気が付かずか、白い建物に躊躇なく足を踏み入れる。ラナはその後を追い赤の絨毯を恐る恐る踏んだ。視界に色とりどりのドレスが飛び込んでくる。これでもかと存在を主張する中に、エプロンドレスを艶やかに着こなした店員が一斉に頭を下げるのが見えた。
「いらっしゃいませ、オハイアリイ様。」
「楽になさい。今日はこの子のドレスも選んでいただきたいの」
店員の一人がラナのそばへやってきて、全身くまなく見定められる。緊張に背筋を伸ばすと、店員へ平坦な声で了承の旨を伝えた。
「では、こちらへ。採寸をいたしましょう」
「え、ま、まって……! ください!」
ラナの抵抗に驚いた店員たちが動きを止めた。その視線に顔を赤くしながらも、ラナはオハイアリイに正面から向き合う。
「オハイアリイ様。私にドレスは、必要ありませんので!」
きっぱり断れた、と安堵していると、オハイアリイは扇を開き、鋭い視線を向けてきた。
「ラナ、それはなぜ?」
「え……私、夜会やパーティーには出席できませんし、それに。そんなお金、ありません」
持ち歩いている財布の中には貨幣がいくらかあるのみ。手持ちのなかで換金できそうなものといえば家から持ち出してきた銀時計だけだった。
「ラナ。ドレスは乙女のたしなみ、令嬢のたしなみ。それをいらないとは、怠慢もいいところですわよ!」
オハイアリイにきっぱり両断され、ラナはハッと息を呑んだ。
……どうして、こんなことを言われなければならないんだろう。オハイアリイ様は、お金のない私の実家のことがわからないんだわ。恵まれた公爵家に生まれた、生粋のお嬢様だもの。ラナ、怒ってはだめよ。オハイアリイ様とわたしは住む世界が違うのだから。
そう言い聞かせ、自分を律しようとするラナを見て、オハイアリイは笑い声を漏らした。
「よくて、ラナ。人間というものはね、目の前の餌に噛み付くかどうか、自分で判断しないといけないの。あなたは餌に噛みつくのを我慢して、己を律してきたでしょうけど。もう、それもやめになさい」
「……オハイアリイ、様?」
見上げたその顔は明かりのせいか普段よりずっと暗く見えた。
「好きに着飾って、好きに遊べる人間になりなさい。そのための金ならわたくしは喜んで払うわよ」
「ええと、つまり……?」
「あなたがいつか美しく立派な令嬢として花ひらくまで、わたくしが支える。ドレスはそのための鎧なのよ」
オハイアリイは至極真剣な顔でそう告げ、ドレス選びに視線を向ける。そして一枚の生地を触りながら、こうも告げた。
「それに、大学校の生徒歓迎パーティーは、ドレス着用必須。まさかレンタルでやり過ごすつもりかしら?」
「……あ。」
思い当たることに声を上げるラナの両脇を店員が固めて採寸にあたり始めた。大人しく腰紐を回されるラナを横目に、オハイアリイは馴染みの店主に声を掛ける。
「頼んでいたものはできまして?」
「しかと、ここに」
店主はオハイアリイに一着のドレスを差し出した。白銀のオハイアリイの髪に映える黒のマーメイド・ドレスだった。オハイアリイは手袋をはめた手で隅から隅までそれを吟味する。
「流石は老舗。ドレスの出来自体は完璧。でもデザインが駄目ね」
「お気に召さぬところが?」
「胸元や腹を隠すデザインにしないでと言ったでしょう。年を食ってボケたのかしら」
「これは失礼。すぐ直します」
店主はそういってドレスを店の奥へ運んでいった。その間にも採寸は着々と進み、とうとう全て測り終え、ラナは脱がされたフルールレッドの上着を眺めながら椅子に座り込んだ。
「採寸って疲れるんですね」
「ドレスは特に。美しさに直結しますもの」
これでも食べる? とオハイアリイに差し出されたのは、包み紙に入った丸いビー玉。黄金色に輝いている。
「ビー玉みたい……これは?」
「飴。聞いたことはなくって?」
「飴……あ、知っています。これも砂糖でできでいるって」
高級品の砂糖のかたまりの飴を、オハイアリイは口に放り込んだ。
「甘い……」
「何を、あたりまえの。舌で溶かしてたべるのよ」
飴の表面を舌でなぞるたび、甘美な感覚に陥る。
「美味しいです。お母様にも食べさせてあげたい」飴は小さな割に存在感があって、舌をまわしにくかった。
食べさせるのは、もちろん無理なことだ。高級品を二人分用意するなど、とても無謀でしかない。高級品が高級品たる所以は、美しいものが食べる、美味しいものだから。
「あら、そうね。今は無理でも、そのうち……」
「え?」
オハイアリイの予想外の返答に、ラナは目を丸くする。
「知っている、ラナ。外国では砂糖は庶民から貴族まで自由に使えるものなのよ」
「そうなのですか?」
ラナは驚いて手にしていた飴の包み紙に目を落とす。
「ええ。砂糖が美しい者だけが使える特別なものとされているのはロティヤだけ。くだらないわね」
オハイアリイはばっさりと切り捨てる。ラナはだんたんと小さくなっていく飴に寂しさを感じながらも、オハイアリイの言葉を繰り返し反芻する。
「オハイアリイ様、ラナ様、準備ができましてございます」
店員の一人が声をかけてきた。オハイアリイはすぐ行くわと返答し、立ち上がってラナを振り返る。
「ラナ、行きましょう」
「はい、オハイアリイ様」
オハイアリイは背筋をしっかりと伸ばして、観客に自身の体型を見せつけるような素振りで歩いていく。そしてラナを大きく仰ぎ見ると、扇を仰々しく開いた。
「ラナ、今から貴方にはこの中から好きなドレスを選んで貰うわ」
「ええっ……!?」
オハイアリイが両手を広げると同時に店員たちが統率の取れた動きでいくつもトルソーを運んでくる。その数にラナが辟易していると、またドレスの着せられたトルソーが運ばれてくる。
「ただし、ルールがあります。」
「はっ、ルール?」
ルール、すなわちドレスを選ぶときの作法。オハイアリイがそれをラナに教えようとしているのだと気が付き、トルソーに着せられた豪奢なドレスの数々に視線を向ける。
「ドレスを選ぶときは、気に入らないと言う事」
「……はい?」
思わず聞き返してしまった。オハイアリイはにっこりと擬音のつきそうな微笑みを浮かべ、指を鳴らす。
「ドレスは令嬢の初期装備。物語の英雄が力を手にするように、わたくしたちは絢爛さを手にする」
「つまり、その初期装備に手を抜くな……ということでしょうか?」
「御名答。だから、気に入らないと声に出さねばならないの」
ラナが何も言えずにいると、習うより慣れろとばかりに店員がドレスを見せてくる。淡い色の緑。フリルとレースがたっぷりあしらわれた、花嫁衣装のような豪華さ。
「ええと、その、色が……気に入り、ません」
「かしこまりました。ではこちらは」
次に出されたのは先ほどよりもフリルが控えめな、ランタンの光を受けて輝く石のあしらわれた青のドレス。
「これも……色が。あとは、ええと、そのきらきらした石も……ですかね」
「これはビジューというのよ」
「ビジュー。それは、あまり好きでは」
「では、こちらを」
次に差し出されたのは露出の多い赤のもの。背中が大胆に空いている。
「寒そう……ですね」
「お気に召さないということで?」
「あ、えっと」
「ラナ」
オハイアリイの恫喝のような、それでいて静かな声が響く。ラナは慌てて頷いた。
「では、次は……」
ラナが何か言うたび、一新されたドレスを見せられる。目がまばゆいばかりの輝きに慣れてきたころ、一枚、ドレスを見せられた。
「綺麗……」
口から思わずそんな声が出ていた。親戚の結婚式で見た花嫁衣装よりも、少し控えめなオーロラ・カラーのドレス。一目見て、これを着た自分を想像するなど、らしくないことをしてしまった。
「これが気に入った?」
「は、はい! 気に入りました!」
夢見心地の感覚に、ラナは首を縦に降る。オハイアリイはふっと微笑んで、「ではこれを」と店員に呼びつけた。そこでラナは思い立つ。
「オハイアリイ様、お代金……」
「もちろん出すと言っているわ」
「ええっと……それは、その……」
なにか言い返したいがいい言葉が見つからずにためらっていると、オハイアリイの丸みを帯びた指がラナの頬に添えられる。
「いいこと、ラナ。貴方が貴方の思う美しい令嬢になれるまで、わたくしが貴方を育てるわ。何度でも言う。この社交界で生き残るため、わたくしの餌に噛みつきなさい」
そのオハイアリイには、有無を言わさぬ迫力があった。ラナは気がついたら頷いてしまっていたし、オハイアリイは高笑いした。一点ものだというドレスは瞬く間にラナのものとなった。店員たちに送り出され店の外へ出ると、すっかり空が暗くなっていた。店の前には来る時にも乗ってきた馬車がある。御者にドレスが渡された。
「あの、ありがとうございました」
そう言ってラナが店員に頭を下げようとすると、オハイアリイと店員、そのどちらからも止められた。
「ラナ。貴族は頭を下げてはいけないわ」
「わたくしどものことであればどうかお気になさらず」
店員はある種受け入れるように、ある種突き放すようにそう言った。ラナは貴族扱いされる現状にむず痒さを覚えながら、馬車の下座に乗り込む。するとオハイアリイが突然、扇の先端を向けてきた。
「ラナ。今回は目を瞑るけど、今度はもっとちゃんと気に入らないと言わなければだめよ」
「えっと……あれでは足りなかったということですか」
「ええ。もっとはっきり言わないと。曖昧な物言いも、遠慮した物言いも、人の上に立つ貴族にあってはならない。子爵家の娘である以上、ラナ、貴方もそうあるべきなのよ」
オハイアリイは淡々と現実を突きつけてくる鋭さがあった。しかしその瞳に鋭さはない。ただルールを説くようなオハイアリイに、ラナは見とれていた。街灯の光がオハイアリイの髪を照らす。
「オハイアリイ様、今日はありがとうございました」
「まだ礼をするには早くてよ」
「え? ですが、もうそろそろ門限では」
「確かに今日は門限だわ」
ラナの言葉尻に被せオハイアリイが前のめりになる。
「ラナ、わたくしは決めたわ。聖クロートニア大学校を卒業するその日、プロムまでに、わたくしは貴方を立派な貴族にしてみせる」
「はい?」
ラナは頓狂な声で目を点にする。固まるラナをよそにオハイアリイは演説のように語る。
「あなたのなりたい令嬢像を教えなさい、わたくしは本気よ。貴方が王子や国王の隣に並んでも見劣りしないような令嬢にしてみせる!」
燃えるオハイアリイが椅子から立ち上がりかけて、ラナはそれを抑えた。
「……無理ですよ。オハイアリイ様。私はこの国の美から外れていますから……」
顔が俯くのを止められなくいると、その場に沈黙が訪れる。王子や国王の隣に並ぶ令嬢なんて、ラナには到底無理だった。それは三歳頃、友人に見せられた鏡のお陰で悟っていた。
「わたくしは本気よ、ラナ」
「……ですが」
「本気で、貴方を立派な令嬢にしようと考えている。でなければ、わたくし気に入りのあの服飾店に連れて行ったりはしない。」
「オハイアリイ様……」
「貴方が自分を好きになれる手伝いをするだけ。わたくしの自己満足に付き合ってくれて?」
ラナンキュラス・トーイがオハイアリイ・シュペルフレークと友達になったのは、決して金や権力目当てのような汚い打算ではない。しかし、それ目当てのような状況が出来上がってしまったのも事実である。ラナは頭を抱えた。
これはあとから知ったことであるが、今後ラナとも深い付き合いになるオハイアリイ気に入りの服飾店は、百年以上続く老舗店で、王家御用達の店でもあるとのことだった。




