チーズケーキのティータイム
手を引っ張られる感触とともに、ラナの足は自然とオハイアリイを追いかける。行き交う人混みを巧みに交わしながら進むオハイアリイを、ラナは風のように思った。景色は目まぐるしく過ぎて、息はどんどん上がっていく。オハイアリイは通りを走り抜け、ある店の前で立ち止まった。ラナは息を整え、走ってきた道を振り返る。息切れが止まらない中で道の長さに呆然とした。
「いつのまに、こんな……体力落ちてた……」
「ラナ?」
「あ、はい……すぐ、行きます」
屈んでいた背筋を伸ばし、オハイアリイに続いて店内に入る。コーヒーの香りが漂ってきて、すぐに喫茶店だとわかった。カウンターに老婆が立っている。
「いらっしゃいませ……おや、オハイアリイ様」
「ごきげんよう、スレイ。今日も閑古鳥が鳴いているわね」
「ええ、とてもとても。オハイアリイ様も生意気さに拍車がかかりまして」
ラナは目を丸くする。オハイアリイの不自然に不遜な物言いは勿論、老婆スレイの言い返しにも困惑をあらわにした。スレイはラナに気がつくと、よろめいた足でカウンターを出る。
「これはこれは。はじめまして」
「はじめまして……オハイアリイ様、この方は?」
「わたしはスレイ。この喫茶を営むしがない老婆でございます」
「どこがしがない老婆よ」
オハイアリイは勝手知ったる様子でカウンターのひと席に腰掛けた。ラナもその隣に腰掛ける。木製の椅子がきしむ音が耳に障った。
「スレイ、いつものを、三人分ね」
「おや、珍しい。オハイアリイ様が二人分しか食べないとは。どこか寄り道でもされるつもりかな?」
「ええ。この子に街を案内しているの」
「えっ、案内していただいてたんですか?」
ラナが驚いて聞き返すとオハイアリイは微妙な顔色をし、スレイはおやまあとほくそ笑む。
「オハイアリイ様、しっかり案内してあげなければ駄目ですよ」
「うるさい。ラナには案内すると言っていないもの、わからなくて当たり前です」
スレイに胡乱な視線を向けられ、ラナは首を縦に振り、はじめて聞きました、と返した。
「オハイアリイ様、ご学友と出かけるのはいいですが、報連相はしっかりしませんと」
「サプライズなのよ、サプライズ」
「サプライズだというのにこのような婆の店に?」
「……気が向いただけよ!」
オハイアリイは吐き捨てて拗ねたようにそっぽを向いた。スレイはほほ、と笑って、三皿の料理を出した。
「どうぞ」
「えっと……これは?」
「チーズケーキよ」
「チーズと……ケーキ?」
ラナは皿に顔を近づけ、三角に切り分けられたチーズケーキを見る。
「ラナ様、ケーキを食べるのは初めてですかな」
「パンケーキ、なら食べたことがあるのですけど」
「それはいい。そちらはオハイアリイ様お気に入りの一品、ラナ様も気に入るかと」
老婆は品よく紅茶を注ぎ、それをカウンターに並べる。オハイアリイは一つ目のケーキを半分ほど食べ終わっていた。ラナも見様見真似でフォークをケーキに刺し、切り分ける。
「わ、柔らかい」
白いケーキに銀が入り込んでぱっくりと割れた。小さな破片になったケーキの断面にフォークを刺して、持ち上げる。これが、チーズケーキ。ラナが思い切って口にいれると、チーズとは思えない甘い感触が広がった。
「美味しいです。これ、本当にチーズなんですか?」
「ええ。気に入ったようね」
「何よりでございます」
口にいれると溶けてしまうような淡いケーキをラナは堪能する。確かに甘いが、よく舌で味を追うと、かすかにチーズの風味があった。
「こんな甘いチーズ、見たことありません。もしかして、砂糖を混ぜているんですか?」
「ええ、勿論」
ラナはスレイとケーキの断面を見比べた。
「……あの、砂糖って高級品ですよね」
「はい、そうでございますが」
スレイがきょとんとした顔をする。オハイアリイといえば、二ツ目のケーキを胃に収め紅茶を飲んでいるところだった。ティーカップをソーサーに置いて、オハイアリイは一言。
「ラナ、ここは貴族街。砂糖など珍しくありませんわ」
オハイアリイの一言にラナは弾かれたように立ち上がる。
「サプライズ、大成功ですわね?」
「……え、ええ、えええええ!?」
オハイアリイのいたずらっぽい笑い方にラナは押し殺した悲鳴を上げた。
ラナンキュラス・トーイ、十八歳。生まれて初めての貴族扱いである。
「オハイアリイ様、貴族街って貴族しか入れないんですよね。……わたし、」
帰ります、と言って鞄を掴み外へ出ようとすると、オハイアリイに引き止められた。
「ラナ、あなたの家名は?」
「え……トーイです」
「そう。トーイって、立派な子爵家。だから貴族街にいてもなんの問題もないわ」
それにケーキを食べ終わっていないでしょう、と指摘され、ラナは渋々席に戻り残ったケーキを食べ始める。甘さに少し口元が綻んだ。
「でもオハイアリイ様。その……」
「ラナ、貴方周囲の視線を少し気にしすぎではなくて?」
オハイアリイの言葉に、ラナは図星を突かれる。父や母、大人の顔色を伺う癖はいまだ抜けていない。
「貴方は立派な聖クロートニア大学校の生徒。そのフルールレッドは貴族のあかし。胸を張りなさい」
ラナは最後の一口を飲み込み、味とは別のなにかから由来する口の中のえぐみを忘れるため紅茶を飲んだ。ほどよく冷まされた紅茶は難なく喉を通る。
「さて、次に行きますよ。スレイ、また来るわ」
「ええ、次は一年後にでも」
「その間に骸にならないでね」
「オハイアリイ様も、豚のような醜女にならぬように」
「余計なお世話」
「それはこちらの台詞でございます」
オハイアリイはスレイに代金を払う。ラナが財布を取り出そうとすると制止された。
「駄目よ、ラナ。今日はわたくしが払うと決めたの」
「でも、お金が」
「まだ時間はあるのだから、たっぷり付き合ってちょうだいね?」
「は、はい……」
オハイアリイの圧に気圧され、ラナは何もかもを有耶無耶にされたまま歩く彼女の隣に並んだ。
「ところでオハイアリイ様、スレイ様との関係というのは……?」
「強いて言うなら、喧嘩仲間、ね」
オハイアリイはくつくつ笑った。




