図書館の彼の人
後ろ髪を引かれながらも図書館へと足を運ぶ。ガード・フルールたちが清掃に右往左往している大庭園の横を通り過ぎ、尖塔が二つ付いた建物に入った。臙脂色の絨毯の敷かれたエントランスにラナと同じく呼び出されたであろう生徒たちがいる。どの生徒も見知らぬ顔で、ラナはなんとなく俯いた。生徒の集団の前に司書が立ち、声を張り上げる。
「図書委員の皆さんは、二階の講堂にお集まりください。繰り返します、図書委員の皆さんは……」
ラナは誰かに話しかけたかったが、周りは皆誰かと会話している。仕方なく一人で正面の大階段を登り、人の流れに合わせて講堂へ向かった。講堂にはもう二人司書がいて、学年クラスごとに並ぶよう指示される。学年間の交流のため、並びは左から四年生、二年生、三年生、一年生。ラナのクラスは一年二組。前から二番目の席に着く。隣には同じように図書委員に選ばれた生徒。前に座る一組の生徒と知り合いのようで、とりとめのない話を駄弁っていた。その反対の隣に男子生徒が座る。場所から推測して三年二組。その顔を盗み見て、息が止まる。クリフト以上に整った顔立ちをしていた。クリフトが花ならば、この男子生徒は海のようだ。その深い青の双眸がぱちりとラナを捉える。
「……あっ」
「何か?」
気がつけばラナとその生徒の目は合っていて、話しかけられた。
「ああ、いえ……三年生の方は貫禄があるなと思いまして」
咄嗟の方弁も運が良ければ通じるものだ。男子生徒はそうですか、と返事をしてラナから視線を外した。恥ずかしさに頭を抱える間もなく、司書の一人が声を上げる。
「司書のクローネと申します……図書委員では……」
なんとなく隣の男子生徒が気になって話に身が入らないでいると、自己紹介するように指示を飛ばされた。同じクラスの図書委員は早々に立ち歩きどこかへ行ってしまった。周囲が立ち歩いてコミュニケーションを取っている中で、ラナは立ち歩かず座ったままの隣の男子生徒にもう一度目を向けた。
「あの」
「……なにか」
「お名前を、聞いても?」
勇気を出して男子生徒ともう一度目を合わせた。目の色に気を取られて気が付かなかったが、男子生徒は銀縁の細い眼鏡をかけている。そのつるから伸びた革紐が輪郭に影を落としていた。
「……三年二組、コーニーリアス・ヴァロッカ。貴方は?」
「あ、ら、ラナンキュラス・トーイです。一年二組の」
コーニーリアスは微笑むでもなく、ただ瞼を少し落としただけだった。彼の奥にいる同じクラスであろう生徒が、ラナの存在に気がつく。
「一年生? 俺はピート・スプリングス。よろしく」
「よろしくお願いします。ラナンキュラス・トーイと申します」
対照的に明るいピートはコーニーリアスの肩に腕をかけた。こいつ暗いだろ? なんて軽口を叩いてくる。あだ名はアス、三年生、と紹介を続けてくる。
「俺たちは図書委員三年目。困ったらなんでも聞いてくれていいぜ」
騒がしいともいえるくらい賑やかなピートとは対照的に、コーニーリアスは至って静かにラナの瞳を見つめている。
「……ええと、私の顔になにか?」
「いえ。素敵な色の瞳だなと」
素敵、という言葉にラナの顔がカッと熱くなる。その横でピートが綺麗だなと同意しているのが気にならず、ラナは両手で頬を覆った。容姿を褒められたのは幼い頃以来かもしれない。司書クローネが自己紹介の時間を切り上げ、委員会の説明を始める。
「知っての通り、この学校においての委員会は教養の育成、年齢を超えた交流、友人関係をつくるために設置されています。当委員会では図書館で本に触れることで豊かな教養、知識を得てほしいと考えております」
クローネは淀みなく口上を読み上げる。それを聞いていると隣からコーニーリアスの小声が聞こえた。
「図書委員はそれぞれ上級生とペアを組むことになっているんです。よろしければ私といかがでしょう」
ビロードのような落ち着いた低音にラナは穏やかな気持ちになる。クローネがちょうどペアの説明を始めた。正直話したばかりのこの先輩と組む道理もないはずだが、誰かに話しかける自信のなかったラナはその提案に頷いた。
「こちらが我々の担当する区画です」
会議は恙無く進行し、コーニーリアスとラナはペアとして活動することになった。その美貌が人より頭一つ飛び抜けているせいか、彼がラナとペアを組むと宣言したときの女子生徒の視線が痛かった。好奇、嫉妬、その他もろもろ。コーニーリアスは涼やかな眼差しでそれらを簡単に回避し、担当区画へラナを連れ出した。四階の一番奥のスペース。本棚の他に四人がけの机が二つ。
「ここは仕事が少なく一年生向きです。暇な時は同じ階の他の方を手伝いにいっても大丈夫ですよ、一人でも回せますから」
コーニーリアスはそう言い切ると、本棚の案内板を指差す。書架百五番、国史・世界史。
「歴史書の区画なんですね」
「すみません、どんな本が好みかわからなかったもので」
「いえ、歴史書はよく読みましたので」
知らないタイトル、知らない著者の方が圧倒的に多い。読んだことのある本は点々ともしない。
「ヴァロッカ様」「先輩と」
「……ヴァロッカ先輩は、歴史がお好きなのですか?」
「ええ。休日には世界の遺跡を訪れ、その地の歴史を調べています。楽しいものですよ」
それまで一度も綻びを見せなかったコーニーリアスの表情が少し緩む。窓のない図書館の中で頼りはランタンのみ。決して明るくはないが、ラナはそれを気に入った。
「さて。仕事ですが、主に本の貸し出しと回収と整理、生徒の案内、掃除などですね」
「回収というのは」
「貸し出しは各区画に受付がありますが、返却はすべて一階の受付で行われます。ですから開館される放課後、一番最初に一階で返却された本を受け取りここまで持ってこなければなりません」
そうなんですねと頷いたところで、これは私がやりますとコーニーリアスに返された。
「女性に重いものを持たせるわけにいきませんので」
「ですが、ヴァロッカ先輩の負担になるのでは」
「これでも鍛えておりますので心配には及びません。貴方には整理と貸し出し受付を任せたい」
「わかりました」
コーニーリアスに差された受付は一人分の椅子と便箋、貸し出し手帳と羽根ペンが置かれていた。コーニーリアスが椅子を引き、ラナを座らせる。
「まず本の貸し出しを希望する生徒が来たら、タイトルと生徒の名前を確認し、ここに書いて。そのあとに本人にクラスと名前を署名させて」
貸し出し手帳を開き、革手袋の嵌まった指先でコーニーリアスが枠を指し示す。ラナは聞き逃さないようメモにしたためた。
「最後にこの便箋に返却期限を書いて渡せば完了です」
一度持った便箋を机の上に置いたあと、胸ポケットから懐中時計を取り出し、ラナに見せた。
「そろそろ解散の時間です。家までお送りします」
「大丈夫ですけど」
「暖かくなってきたとはいえまだ日は短い。暗いなかで女性を一人であるかせるわけにはいきませんので」
片手をとられ椅子から立ち上がらせられた。コーニーリアスの整った顔がラナにぐっと近づく。それに心臓を跳ねさせる間もなく、鞄をさり気なく持たれた。行きましょうと囁かれてラナは抵抗する隙なくコーニーリアスに送られる体勢になってしまった。頭を抱えているうちに階段で四階から下がる。エスコートは所作ひとつとっても気取った雰囲気がなく自然で、ラナもなんとなく身を任せてしまう。
「ラナンキュラスさんはなんと呼ばれているのですか?」
「いつもお供している方にはラナ、と呼ばれています」
「では私もラナさんとお呼びしても?」
「……大丈夫です」
距離の詰め方がまるで口説かれているようで、ラナは居心地の悪さを覚える。コーニーリアスは相変わらず表情の変化が見受けられない。ロティヤの男性ってみんなこうなのかな、とラナは自身の父親やクリフトを思い浮かべる。図書館の外は日が暮れていた。会議に随分時間を食ったらしい。昼前に授業が切り上げられたとはいえ、長い話だった。
「どちらにお住まいで?」
「旧校舎寮です」
「おや、寮でしたか。それは失礼」
どこが失礼に値したのかわからず首をひねっていると、コーニーリアスが音だけで笑う気配がした。
「ヴァロッカ先輩?」
「……失礼。女性と久しぶりに会話したものですから」
コーニーリアスほどの美貌でも女性と会話しないというのがありえるのだろうか。ラナはもう一度クリフトの顔を思い浮かべた。日常的に会話している。もしかして、とラナは心のなかで問う。
(ヴァロッカ先輩、結構シャイなのかな。美人さんだと話せないとか)
「いつもはピートとずっと二人ですから」
心の中を読まれた気がしてラナは肩を跳ねさせ、コーニーリアスの顔をうかがう。夜空の下に海のような青が合わさって天の川のようだ。
「スプリングス先輩とは、一年生から?」
「いえ。彼とはかれこれ十年目ほどの付き合いになります」
「幼馴染?」
コーニーリアスはまた雰囲気を緩めて頷いた。合わなさそうだがそんなことはない、とでも言いたげだ。
「ラナさんは、普段は誰と?」
暗に仲良くしているのはと聞かれ、ラナはオハイアリイと即答した。コーニーリアスは目元を少しだけ緩め、シュペルフレーク様、と呟く。
「貴方は見る目がいい。彼女はとても高潔な方ですよ」
その反応にラナは無意識に詰めていた呼吸を緩める。コーニーリアスは空を見上げていた。そのまま暫し無言で肩を並べて歩き、寮が視界に入ったあたりでラナは手を差し出した。
「ここまでで大丈夫です。鞄もありがとうございました」
「いえ。楽しい話ができました。では、また明日」
コーニーリアスに見送られ、ラナは頭を下げてから寮に入る。扉を閉じる直前、まだこちらを見ているコーニーリアスに気がついた。
「……変な人」
距離の近い位置から聞こえるコーニーリアスの声はまだラナの耳元に残っている。




