私の恋人は苦い初恋を経験したそうな
私の恋人スティーブには、忘れられない人がいるようです。苦い初恋を癒してくれた幼馴染らしいのです。
「ふふっ、懐かしいなあ」
公爵家主催のガーデンパーティーで、型破りな公爵夫人ディアーナが華やかに笑います。この方、スティーブと同い年。スティーブは私の3つ上ですから、今年で20歳でしょうかね。普通は、男の人みたいな言葉遣いなど許されません。それなのに彼女は却って誉められるのです。
「なあ、テリー、本当はシェリーなんかより私が先にスティーブを好きだったんだ」
「知ってるよ。ずっと君を見てたからね」
「気づかなくてごめん」
テリーこと公爵は、優しく夫人の肩を抱き寄せました。スティーブは公爵夫人に謝ります。スティーブも別の公爵家を継ぐことが決まっておりますので、気やすい態度です。
でも、苦い初恋のあとでお付き合いしたんですよね。なんで今更その話を?公爵夫人が今の今までその恋心を秘めていたなら、まだわかりますけど。
「いいさ、子供だったんだよ。私たちは」
「そうだね」
公爵夫人は、さも被害者みたいな雰囲気を出して鷹揚に赦しました。公爵までが広い心を示しています。
「今ならシェリーの気持ちがわかるよ」
スティーブは何を言い出すのでしょうか。
「いつかは夢から覚めないといけないんだ」
思い出話が始まりました。周りに人がいてもお構いなしで盛り上がりますよ。スティーブとシェリーは、8歳から13歳までお付き合いしていたのですって。でも、突然シェリーは宝石鉱山を持つ伯爵家に嫁いで行きました。
シェリーは男爵家の美人さんでした。公爵夫人になろうとは、初めから考えていなかったのでしょう。娘時代の美しい恋の夢を見たのです。スティーブは本気だったと訴えておりますが、果たしてそうでしょうか。怪しいものです。
私たちの住むこの国では、貴族同士ならば10歳くらいでも結婚しますからね。遅い人は遅いですけど。本気ならば、身分差を超えて許しを得るべく努力したのでは?
その時に慰めてくれたのが、幼馴染でした。実はスティーブにずっと片想いをしていたとかいう。つまり現公爵夫人ディアーナです。ディアーナとスティーブは、13歳から15歳まで恋人になりました。
公爵様とは、2人が10歳の時に知り合いました。その時12歳だった公爵様は、夫人に一目惚れをしたようです。
「薔薇のアーチの下で、君は燃え盛る太陽のようだった」
「だった?」
「美しく気高い俺の太陽、今も変わらず美しいよ」
「あはは、ありがとう」
賛美を受けてご満悦な公爵夫人の姿は、パーティーの客人たちから羨望の眼差しを浴びております。公爵様は完璧ボディの中性的な美形。身分も容姿も兼ね備えているハイスペック男子。みなさん、そんな人といちゃいちゃしたいのでしょう。
夫人がスティーブを追いかけ回している間も、公爵少年は辛抱強く待ちました。そして、夫人が15歳の時に家を通じてプロポーズを致しました。急展開ですね。
たぶん徐々に攻略していたのでしょう。大人しそうな顔をして、公爵の一人称は俺ですから。
「青春の美しい夢だったね」
ディアーナが爽やかに笑えば、居並ぶ乙女も青年も、素敵ね憧れちゃうな等とさざめき合うのでした。
「ははっ、君は今でも俺たちの美しい夢だよ」
「でも、スティーブもやっと、本当の恋をしたんでしょ?」
「お前もやっと、本当に大事な人が出来たんだって?」
「なんだよ。ディアーナへの恋が、まるで嘘だったみたいじゃないか」
「ごめぇん」
「そんなこと言ってないさ」
その本当の本当にな人、今公爵夫妻のファンたちに押しのけられて、あなた方の視界から消えておりますが。
紹介される為に連れてこられたのに、私はいまや、取り巻きの分厚い壁の外へと押し出されております。紹介すると言っていた恋人は、公爵夫妻の前でにこにこと嬉しそうです。
そんな少年のような笑顔は初めて見ました。まあ、出会って間もない私たちですから、殆どの表情は初めて見ますが。
「ねえ、覚えてる?薔薇の繁みにドレスが引っかかって」
悪戯そうな紫の目が、私の恋人に流し目を送りました。他意はないのでしょう。本能なのですから。
「ああ、取ろうとしたら、僕も引っ掛けて」
「向こうの薔薇園だったか」
普段無表情な公爵様が柔らかな表情を浮かべていました。欲しいもの全てを手にした人の余裕ですね。
「そうよ、テリーが助けてくれたわね」
「あの時は驚いたよ」
「テリーは子供の頃から大人しかったからな」
「薔薇の繁みに絡まってしまうなんて、思いもしなかったんでしょう?」
「ディアーナを見ていると飽きないよ」
「まあ、馬鹿にしてっ、あはは」
「ははっ」
「くすっ」
公爵様も幼馴染だったことは、この昔話を聞かされて初めて知りましたよ。先に教えてくださればよかったのに。紹介される前に人の壁の外へと押し出されたので、結局は同じことですが。
私はバカバカしくなって、するするっとお暇を致しました。勿論、ご挨拶はことづけましたよ?とても近寄れないので。案の定、後日それが元でトラブルになりましたが。
「プレシオーサ!紹介するって言ったのに、勝手に帰るなよ」
「お話が楽しそうで。お邪魔も出来ませんし」
「だからって、黙って帰るなんて無礼じゃないか」
「たくさんの方々がいらして、押し退けるわけにも参りませんでしたのよ」
「屁理屈ばかりだな。見損なったよ。そんな人だとは思わなかった」
「あら」
私は面倒臭くなってきたので、取り繕うのはやめました。視線を落とせば、近頃流行りのずんぐりとした硝子のコップに、びろんと広がった菫色の瞳が見えました。私の顔ですね。必死で笑いを堪えました。そして、なるべく冷たく言い放ちます。
「第一印象とは違いましたか?」
スティーブとは、妖魔討伐の凱旋パーティーでお会いしたのが初めてでした。その後、すぐに交際を申し込まれたのです。でも、交際後は先の公爵家パーティーを含めて、ほんの2回しかお話しもしておりません。見初めてくださったのには感謝いたします。しかし、たった2回で見損なったとは。見損なうほどの信頼があったなんて驚きです。
「今後は連絡してこないでくれ」
「では、今まで通りですね?」
「終わりだと言っているんだ、妖魔研究特別指定伯爵家筆頭継承候補者女卿士プレシオーサ・ベル・ブランカ・ロサ・アランドラ・デッラ・トルナーダ!!」
まあ。
私でも時々間違える、ながーい肩書きと名前を、よくまあ。記憶力は驚嘆に値しますね。人格とは全く関係がありませんけど。
「これまで通りですよね?私からは、一度も連絡致しませんでしたもの」
「もういい、不愉快だ」
スティーブは椅子を蹴って、荒々しく立ち去りました。
「変わった方だったわね」
私はひとり呟いて、鮮やかな苔桃水で喉を潤したのでした。
盛夏の風は白い雲を運び、カフェの植え込みにはトンボが羽を休めております。こんな日には、船遊びも涼しくてよいなあと思い浮かべておりました。
「おや、プーちゃん?」
「まあ、レイさん」
背後から、滑舌の良い武人の声が聞こえます。短く刈り込んでもなお渦巻く金髪を頭に生やした細身の若い男性です。細いながらに筋肉がついております。
しかしこの人は魔法使いなので、残念ながらご令嬢垂涎の肉体美は持ち合わせておりません。まあ、普通です。もやしではないという程度。
名前はレイモンド・ゼピュロス妖魔討伐隊長。当年取って19歳。夏に茂るシダのような生命力あふれる深緑の瞳が、こちらを見ております。
「いいかい」
「ええ、空いておりますわ」
スティーブは遅れてきた挙句に注文すらしていなかったので、テーブルには一人分の飲み物だけ。レイさんには私が最初からひとりでいたように見えたのでしょう。
「あ、ミント水を炭酸入りで下さい」
レイさんはハキハキと注文しました。暑いので冷たい飲み物が飲みたかったようです。
レイさんは先日、南の辺境で大妖魔が暴れた時、活躍なされた方です。レイさん率いる僅か5人の仲間とともに、火柱や雷撃を放つ小山のような大妖魔と対峙いたしました。
その時たまたま、南方区域の妖魔討伐隊は、河川氾濫の護岸工事に駆り出されていました。レイさんたちしか緊急対応が出来ず、結果、5人で戦う羽目に陥ったのでした。彼らがいなければ、我が国はとっくに焦土です。この方は、救国の大英雄なのです。
妖魔討伐隊は、普段から辺境パトロールを行っております。小さな妖魔がしばしば悪さをするのです。先のような大妖魔は滅多に出ませんが。
「先日はお手柄でございました」
「プーちゃんが当番だったら、プーちゃんが英雄だろ」
恥ずかしながら、私も南方の小さな班をひとつだけ任されております。1年に3ヶ月だけ、南の辺境に滞在いたします。これを当番とよぶのです。今は、城下町で勉強と訓練の日々を送っていますよ。私も攻撃魔法担当なので、レイさんには日頃からお世話になっております。
「わたくしはまだ、そこまでではございませんわ」
「またまたぁ」
レイさんは日に焼けて傷もある精悍な顔をくしゃっと寄せて笑います。裏表のないお人柄が滲み出る笑顔です。なんとまあ、心が晴れやかになるお顔でしょうか。あの公爵夫妻やスティーブの、真実味のない笑い顔とは違います。まったくもって比べものにならない癒しではありませんか。
「最近なんか景気のいいことあった?」
「景気の悪い話ならありますが」
「ええー?なに、どしたの?」
レイさんは軽い調子で話しながら、運ばれてきたミント水に口をつけます。
「振られました」
「何を?北方部隊長?」
仕事の話だと思われてしまいました。北方の妖魔討伐隊は、数年前に隊長さんが病死してから、部隊長席が空席なのです。討伐隊の部隊長は、魔法使いでなければ務まりません。機密文書は魔法で封がしてあります。それに、魔法でしか開かない岩屋やら遺跡に妖魔が巣食う時があるからです。
困ったことに、北方区域の駐屯部隊には魔法使いが故部隊長さんしかおりませんでした。北方部隊には荒くれ隊員が多く、平穏を好む魔法使いたちからは敬遠されております。
更に北方区域は、妖魔のほかにも謎の風土病や凶暴な野生動物か多いのです。そんなわけで、北方部隊長はなかなか決まらないのでした。
「そうじゃなくてですね」
「じゃあ、なんだい?実家の調査業務?」
私は思わず吹き出してしまいました。レイさんの世界には恋愛という概念が存在していないようですね。
「何だよ?」
レイさんが拗ねました。いつも頼もしく爽やかなレイさんが。きかん気な子供みたいに不機嫌を丸出しにしています。
「レイさん」
「なに?」
レイさんは植物の蔓で編まれた椅子の背に寄りかかり、ちょっとのけぞった形で見下ろしてきました。羊歯色の瞳が不満そうにゆらめいております。
「ふふっ、元気出ました。ありがとうございます」
「はーあ?なんか嫌な感じ」
「ごめんなさい、でも、ありがとうございます」
「なあ、何があったの」
私はレイさんの目を見て、森を思い出しました。
「レイさん、今から森へ行きませんか?」
「え?何か出たのか?」
レイさんは仕事のことばかり考えています。
「いいえ、遊びに行くのよ」
「遊びに?」
「ええ。レイさんもお休みでしょう?」
「休みだけど」
「何かご用事でも?」
「ない」
「じゃあ、行きましょう、森」
「まあ、行ってもいいか」
「行きましょう」
「行くか」
「ええ」
私たちは町でパンや果物を買い込んで、郊外の森に出かけました。移動には、私が乗ってきた馬車を使いました。良いお天気でしたので、馬車が入れるあたりは人が出ておりました。
「賑わってるな」
「ええ」
子供が2人、手に菓子パンを持って走ってきました。1人がよそ見をした拍子に、レイさんの膝あたりにぶつかりました。
「おっと」
菓子パンの砂糖が、レイさんの普段着にべったりついてしまいます。
「大丈夫か?」
レイさんは優しい声で子供を気遣います。
「ひっ」
「にげろー」
子供は、レイさんの傷だらけの顔を見て、謝りもせずに走り去ってしまいました。レイさんは、気にも止めずにズボンの砂糖を払います。
「レイさん、モテるでしょう?」
「え?なんで急に?」
そうでした。レイさんの世界には恋愛という概念が存在しないことが判明したばかりでしたっけ。
「レイさん、優しいし、カッコいいし、大英雄だし」
「カッコいい?」
レイさんがキョトンとしています。
「カッコいいですよ。大英雄だし」
「いや、たまたまだって、あれは」
レイさんは、照れて鼻の頭を赤くします。
「プーちゃんこそ、人気者だろ」
ですが、レイさんにはやっぱり恋愛という概念はありません。愉快な人気者も、信頼される班長も、モテモテ人種も一緒なのです。
「出来たばかりの恋人に振られたんです、今日」
「あっ」
レイさんは、とうとう理解して気まずそうに肩をすくめました。流石に、知識としては恋人に振られるという事態を知っているようでした。
「ごめん」
「いえ、レイさんのおかげでもう大丈夫です」
「そう?」
「はい」
本当に大丈夫でした。レイさんの快活な深緑の瞳を見ていると、不快な気持ちが吹き飛んでしまったのです。
「レイさん、いい風がきました」
「うん、いい風がきた」
私たちは、大木の陰に腰を下ろしました。枝一面に香りの弱い小さな白い花が咲いています。おままごとでクリームになるお花です。子供たちはクリームの木と呼んでいました。
私は、魔法で刃にした風を使ってオレンジを櫛形に切りました。
「レイさん、どうぞ」
「ありがとう」
レイさんはオレンジを受け取ると、代わりに葉っぱの形をした野菜ケーキをくれました。
「あっ、チーズが隠れてた」
「うまいよな」
「レイさん、城下町のお店に詳しいんですか?」
「討伐祝賀会で教わったんだ」
レイさんは、3ヶ月の当番以外は、お兄さんの領地に滞在しています。私たち妖魔討伐部隊には、いろいろな勤務形態がありました。レイさんの働き方の場合、城下町で過ごすことは滅多にありません。部隊長ですが、北方区域と違って駐屯はしないので、年に何回かは城下町を訪れ、私たち後輩魔法使いの指導をしてくれます。
「私、1年のほとんどを城下町で過ごすのになあ」
「城下町は広いだろ」
「それはそうなんですけど」
私が思わず眉を下げると、レイさんは自分の眉尻に人差し指を当てて持ち上げる仕草をしました。
「プーちゃん、眉下がってる、ハハハ」
ごおっと真夏の風が吹きすぎました。視界には私の赤毛が繊細なレース模様になって、レイさんの笑顔を飾ります。ずっとずっと見ていたい。その時、私の胸は高鳴って、ぼうっとレイさんを眺めておりました。
「あんまりじっと見ないでよ」
レイさんが居心地悪そうに目を逸らします。
「ごめんなさい」
「謝るほどじゃないよ、こっちこそごめん」
「フフッ」
「ヘヘッ」
私たちはなんとなく照れてしまいました。ふたりとも誤魔化すように無言でパンや果物を食べました。
秋風が立つころ、私の班に南方区域の巡回当番が回ってきました。今回はレイさんが同行してくれます。
「レイさん、夏からずっと随行ばっかりじゃないですか?」
「大妖魔が出た時、どの班でも単独討伐出来た方がいいから」
「ええー」
「この前は、たまたま、ベテランが5人で対応できたけど」
それを聞いて、私はゾッとしました。確かに、運が良かったのです。もしも新人や、魔法使いのいない班が少人数で担当していたら?
「そうですね。また少人数しか出動できない時もあるでしょうね」
「まあ、こないだみたいに突然暴れるのはそうそう無いだろうけどなあ」
「でも、実際に起きてしまったんですもんね」
「うん、そうなんだよ」
私たちの班は、山の開けたところで焚き火を囲んで、疲労軽減の効果がある薬湯を飲んでいました。そこへ、水の汲み出しに行っていた班員が、慌てた様子で戻ってきました。
「隊長!班長!」
「どうした?」
「この先の小川に小さな妖魔が発生してます」
「行くか」
レイさんに続いて、皆腰をあげました。
「薄くて丸くて、水草みたいに大量発生してるんですよ」
「レイさん、平草?」
「厄介だな」
フラットイビルは、ピンク色の平たい妖魔です。真ん中に真っ赤な一つ目があります。形は目ですが、普通の生き物とは様子が違います。目には瞳がなく、つるんと赤いだけなのです。でも、見られていると感じるのです。
この妖魔は、水辺で急速に分裂しながらあたりの水分を吸収してしまいます。すっかり辺りを乾燥させると、突然口が発生し牙が生えて、隣接地区の動物を襲い始めます。大集団で襲ってくるので、人も家畜もひとたまりもありません。
「レイさん、薬剤足りるでしょうか」
「状況次第では焼き払うしかない」
うっかり焼くと、乾燥状態と同じ変化をする危険性も高いのです。普通は、細切れにして特殊な薬剤で溶かすのですが、大発生してしまっていると、薬剤のストックが足りません。
フラットイビルを灰にしても、今度は結合して復活してしまいます。ですが、活動は一旦半休止します。とりあえず分裂は防げます。あとから薬剤散布をしても間に合うのです。
「あー」
「焼こう」
山の斜面を下る川面には、流れを妨げるほどのフラットイビルがひしめいていました。レイさんと私が中心になって、魔法と自然と両方の火で焼いていきます。山の枯れ葉に燃え移らないよう、風や水も操ります。
「妖魔に水かけんなよ?」
「はいっ」
「薬剤追加とって来られるか?」
「すぐに!」
足の速い班員が、麓の村にある討伐隊倉庫まで薬剤のストックを取りに走ります。その間、私たちはひたすら妖魔を焼くのです。昼過ぎから真夜中までかけて、フラットイビルはようやく退治されました。
「はー、みんなお疲れ」
「へーい」
緊張が緩んで班員たちは次々眠りに落ちました。
「プーちゃんも寝とけ」
「誰か起きたら寝ます」
私はまだまだ体力が余っていましたよ。レイさんは、私の様子をじろじろ観察して、ひとつ頷きました。
「プーちゃんタフだな!」
「ありがとうございます」
「薬湯沸かすか」
「はいっ」
レイさんと並んで地面に座って薬湯を飲んでいますと、虫が飛んできました。レイさんはこともなげに細く尖らせた火で突き刺します。私は火の粉を作って虫だけに当てました。
「へえ、火の粉もいいな」
「焔の針もやってみます」
「細すぎないか?」
「これでどうでしょう」
「もっと尖らせたほうがいい」
「じゃあこれ」
「ええっ?ハハハハ!」
レイさんがダメ出しばかりしてくるので、細くした炎でレイさんの似顔絵を描いてやりました。空中にシャシャッと描き出された自分の顔に、レイさんは破顔しました。
「ハハハハハハ」
笑いながらレイさんは、仕返しとばかりに火の粉で私の似顔絵を描きました。
その笑顔が眩しくて、楽しくて、私もドキドキしながら大笑いです。
「ハハッふーっ、プーちゃん、やっぱいいわー」
「ふふふっ、ヒーッ、レイさん楽しいー」
私たちは笑い納めて、互いに顔を見合わせ、肩をすくめ合いました。
「なあ、プーちゃん、ゼピュロス村の冬祭りに来てくれないかな」
「レイさんのご実家があるところですよね」
レイさんのゼピュロス家は、サザンホップ地方に大きめの村を持つ伯爵家です。村の名前はゼピュロス村。
「うん。火の魔法で絵を描くの、喜ばれると思うんだ」
「お祭り、盛り上がりますかね」
「うん、きっと盛り上がる」
「いつもはどんなお祭りなんですか?」
「飲み物があって、食べ物があって、歌の出し物があるくらいかな」
「どんな食べ物がありますか?」
「蜜がけのベリーパイなんか、プーちゃん好きそうだよ」
「わあっ、美味しそう」
「プーちゃんの実家らへんは?どんなお祭り?」
私たちはそれから夜が明けるまで、お祭り屋台の食べ物について話し続けていました。起きてきた班員が驚いて真顔になってしまうほど、2人だけで喋り続けていたのです。
「プーちゃんっ!よくきたねえ」
「レイさん、こんにちは。お世話になります」
「うん。雪は大丈夫だった?」
「はい」
約束通りゼピュロスの冬祭りに招待していただき、私はレイさんの実家に到着いたしました。雪のちらつく冬、とは言っても南方地区はそれほど積もったり吹雪いたりもせず、快適な旅でした。
「荷物を置いたら、散策してもいいですか」
「氷は薄いから、池遊びは出来ないよ」
「見るだけでも楽しいですから」
「うん、じゃあ、行こう」
レイさんが案内してくれることになりました。
「レイ坊、迷惑かけてないですか?」
レイさんと同じ金のもしゃもしゃを頭に生やした人が大きな声で話しかけてきました。
「兄貴!声でかいよ。ごめんな、プーちゃん。田舎伯爵だからさあ」
「こら、レイ!ゼピュロス家は妖魔討伐の大事なお役目があるだろう!」
「夕飯にはみんな来るからね」
やはり大きな声の金髪おばさまは、レイさんの御母堂でありました。御父君はすらりと長身の、美しい男性でした。レイさんの羊歯色をした瞳はこちらから来たようです。このほかに、姉君と弟御もいるらしい。
「さあ、出かけようか」
「はい」
しばらくのんびり歩き回っていると、雪の中に赤い花が咲いているのを見つけました。木の肌はツルツルしていて、葉は濃い緑でした。
「初めて見る木です」
「パッションフロストっていうんだ」
「穏やかな香りですね」
「鎮静作用があるんだよ」
私たちは、優しい気持ちに包まれました。肩を並べて見上げるうちに、ふと目があいました。レイさんは、深い森のような和やかな目つきをしていました。いつもの生命力も宿していて、私は浮き立つ心と満ち足りた思いを同時に経験しました。
「プーちゃん」
レイさんの声が甘くなって、私は息を呑みました。
「プーちゃんといると、すごく幸せな気持ちになるんだ」
生まれて初めて貰う愛の眼差しは、私の息を止めようとしているみたいです。
「あの、わたし、初恋かもしれません」
息が出来ないので、頭がうまくまわりません。恋愛という概念のないレイさんが、優しい気持ちを伝えてくれたのです。わかりやすく答えなければ、と必死で絞り出しました。
「えっ、恋人がいたんじゃないの?振られたって」
「あれは違いました。表面上、交際はしていましたけど、今ならわかるんです」
「どんなふうに?」
レイさんのは好奇心です。嫉妬ではありません。
「レイさんみたいに見つめてくれなかったし、声も、一緒にいるときの幸せだって」
「うん。幸せだよねえ」
「はい」
私たちは、それが慕い合う気持ちなのだと確信しました。
「ふふっ」
2人は笑いをこぼして肩を寄せました。レイさんの瞳には暖かな炎が灯りました。その火に焼かれる心地がしていると、ふいに唇に柔らかなものが触れました。
「レイさん?」
「好きだよ、プレシオーサ」
「レイモンド、わたくしも」
「パッションフロストは愛の花なんだ」
「まあ」
「この花はね、年に一度、数時間しか咲かないんだよ」
「まあ!」
それからレイさんはニヤリと笑って素敵なことを言いました。
「この花の前で誓った愛は不滅なんだって」
「ロマンチックね」
「そういうの、プーちゃん嫌いかと思った」
「困らせようと思って言ったんですか?」
「ハハハハ」
私たちは自然に手を繋ぐと、また薄く積もる雪を踏んで散歩にもどるのでした。
お読みくださりありがとうございます