第97話 若かりし頃
おじさんがダンジョンと呼んだ大穴には、壁面に沿うような道が沢山作られていた。
まるで、誰かがこの大穴の底に降りるために作ったような、そんな岩の道を歩きながら、俺は思わず下に目を落としてしまう。
「深いな……」
「そうですね。間違いなく、ロカ・アルボルの下に出来てた大穴よりも深いと思います」
すぐ後ろを歩くロネリーの言葉に、頷いて賛同しながら、先頭を歩くおじさんの背中に目を移す。
こんなに細い道だってのに、フラフラと危なっかしく歩くおじさんは、見ているだけでおっかない。
かく言う俺も、人のことを言っていられるほど余裕は無かった。
今の俺は気絶したペポを背負っているんだから、落ちたりするわけにはいかない。
造られて長い年月が経っているせいか、崩れやすくなっている足元に注意しながら進む。
それから程なくして、先頭のおじさんがようやく横穴の中に入っていくのを見た俺達が、一斉に胸を撫で下ろしたのは言うまでもないだろう。
「出来る事なら、もうこの道は通りたくないな」
「気持ちは分かりますけど、この先に出口があるんでしょうか?」
「ロネリー、そんな不安になるようなことを言わないでくれよ」
「何を言ってんだ、ダレン。オイラが居れば、そんな問題は問題にならないぜ」
いつも通り俺の頭の上でそう言うノーム。
それもそうだ、と俺が彼に賛同した時、前を歩いていたおじさんが狭い横穴から広い空間に入って行った。
特に何も考えず、そのまま後について行った俺は、その空間の様子を見て、一度足を止めてしまう。
「ここは……もしかして、人が住んでたのか?」
すっかり朽ちてしまっているけど、この空間にはいくつもの建物が並んでいた。
おまけに、外の様子からは考えられない程、多くの植物が生い茂っている。
更に不思議なことに、この空間だけがやたらと明るい。
天井を観察した俺は、所々に光を放つ岩が散りばめられていることに気が付いた。
その岩を灯りとして暮らしていたらしい。
「不思議な場所ですね」
感嘆の声を漏らすロネリー。
彼女の後からこの場所に足を踏み入れたガーディやベックスとケイブらも、驚きを隠せていない。
と、思わず足を止めてしまっていた俺達は、少し先でこちらを振り返っているおじさんに呼びかけられた。
「おい、もう少しだ。早く着いて来てくれ」
「ワカッタ!」
横でガーディが返事するのを見ながら、背中のペポを背負い直した俺は、再び歩き出した。
そうして、おじさんの言う通り少しだけ歩いたところで、俺達は1軒の家に辿り着く。
他の建物に比べて、少しだけまともに見えるその家に入った俺達は、おじさんに通されるがままに、少し埃っぽい居間へと通される。
すると、そこには1人の老人が、長椅子の上に横たわっていた。
何をするでもなく、ただ静かに呼吸を続けているその老人は、俺達を見たかと思うと、小さく手招きをする。
一度、互いの顔を見合わせた俺達は、老人の傍に近寄った。
「よく来たなぁ。正直もう、待ちくたびれておった所じゃよ」
「待ちくたびれてた? ってことは、俺達を待ってたってことなのか?」
「そうじゃよ」
プルプルと震える手で自身の顔を拭った老人は、少しだけ嬉しそうに表情を和らげる。
すっかり抜け落ちている白髪や、痩せ細ってしまっている腕から察するに、彼は本当に長い間待ち続けていたらしい。
どこか居た堪れない気持ちを抱きそうになった俺は、ふと、老人の傍に立っているおじさんに目を向けた。
「あの、俺達を待ってたって言ってるけど。このお爺さんは誰なんだ?」
「この爺さんの名は、ヴァンデンス。もはや自分で名乗ることもできなくなった、おいぼれだよ」
どこか切なそうに告げるおじさんを見たロネリーが、何を思ったのか口を開き、ヴァンデンスに話しかけ始めた。
「ヴァンデンスさん。初めまして。私はロネリーです」
「おう、綺麗な嬢ちゃんだ」
「ありがとうございます。一応、皆の紹介をしておきますね。彼がダレンで……」
「知っておるよ。ダレン、ロネリー、ペポ、アパル。ベックスとケイブに、ノームとウンディーネとシルフィとサラマンダー」
少しかすれ気味ではあるものの、ヴァンデンスは見事に俺達の名前を言い当ててしまった。
こんな老いぼれた爺さんが、どうして俺達のことを知ってるんだろう。
なんてことを考える俺をからかうように、ヴァンデンスは悪戯っぽく告げた。
「ワシはなぁ、未来が見えるんじゃよ」
「未来が見える? そんなこと出来る人が居るのか?」
「彼が言っていることは本当だよ。ダレン。それに関しては、おじさんが保障しよう」
疑問に思う俺を諭すように言うおじさん。
彼の言葉を完全に信じることができなかった俺は、釈然としない気持ちを、言葉と態度にしてぶつけてみた。
「名前も教えてくれない人の言うことを信じろってか?」
「ふむ、それもそうだな。だけど、少年たちをここに案内するまで、おじさんは名乗ることさえできなかったんだよ。許してくれ」
「どういうコトだ?」
おじさんの言うことが理解できないらしいガーディが、首をひねる。
大丈夫だぞガーディ。俺も良く分かって無い。
ここまで来ても誤魔化すつもりか?
と、少し憤りながらも、おじさんへの追及を再開しようとした俺は、しかし、それ以上質問を投げることができなかった。
なぜって?
簡単な話だ。俺が質問をするよりも早く、おじさんが答えを口にしたからだ。
「おじさんは、ヴァンデンスのバディだ。名前はラック。よろしくな」
そう言った次の瞬間、普通に立っていたはずのおじさんが、無数の蝶となって散らばっていく。
「なっ!?」
何が起きたのか、一瞬分からなかった俺は、目の前をひらひらと舞う1匹の蝶を目の当たりにする。
驚きのあまり絶句する俺達。
そんな俺達を見て、微かに笑みを浮かべたヴァンデンスが、小さく告げたのだった。
「若かりし頃の儂の姿はどうじゃ? イケてるじゃろ?」




