第96話 都合の良い場所
「今日もしけた空模様だなぁ。どうせなら、ヒッ、カンカン照りの青空を見たいってもんだぜ」
スラッとした長身の男は、小さなしゃっくりをしながらもそう言うと、アーゼンの方に歩み寄っていく。
どことなく不思議な雰囲気を纏っているその男に、俺が思わず注目していると、アーゼンが呟いた。
「なんで貴様がここに……いや、そもそも」
「だぁ、はいはい、言いたいことは分かったから、早く酒を持ってきてくれよ。それともなんだ? 酒も無いのに喋るつもりなのか? そんなの、全然楽しくないだろ?」
アーゼンの言葉を遮り、うんざりしたような態度で告げる男。
そんな男は、手に持っている瓶を呷ると、空になったらしいそれを無造作に投げ捨てた。
その様子を観察していた俺は、ふと、男の左肩に止まっている鮮やかな蝶に気が付く。
まるで逃げる素振りを見せないその蝶は、もしかしたら、バディなのかもしれない。
「ふざけた野郎だ。その口、俺が完全に閉ざしてやるぜ!」
「口を閉ざす? やめてくれよ、そんなことしたら酒を飲めなくなるだろう? それに、色々と言ってやらなくちゃいけない奴が、おじさんにはまだまだ居るんだよ」
「言ってろ!!」
アーゼンのことを煽るように、おどけて見せる男。
そんな挑発にいともたやすく乗ったアーゼンが、攻撃を仕掛ける。
「おいおい、本当にやるつもりなのか? 止めとけ止めとけ、アーゼン君のような若造に、おじさんを黙らせることなんて、出来っこないって。だって弱いんだから。その辺、自覚した方が良いんじゃないか?」
「このっ!! 避けてばかりのくせにっ! 強がってんじゃねぇ!!」
「強がって見えるってことは、少なくとも今、君にとっておじさんが強く見えるってことだよね? ほらほら、どうしたんだい? おじさんのその強さが虚勢だというのなら、剥してみてくれよ」
徹底的に攻勢に出るアーゼンと、全く相手にしない男。
って言うか、アーゼンをそんなに挑発して大丈夫なのか?
ブチギレて、誰も対処できないなんてことにはならないよな。
少しずつ腹の痛みが治まり始め、冷静に考える事が出来るようになったころ。
この隙を突いて、何か行動に移さなくちゃ。
と俺が思っていると、不意に背後から声を掛けられた。
「やぁ、君がダレンだね?」
「っ!?」
驚きのあまり、跳びあがって声を上げようとする俺の口を、何者かが押さえて来る。
その何者かの声を聞いたことがあることに気が付いた俺は、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「おっと、声は出さないでおくれよ? せっかくおじさんが、アーゼンの気を逸らしてるんだから。台無しにされちゃあ困るな」
そう言いながら俺の口を押さえていた手をゆっくり放したのは、紛れもなく、アーゼンと攻防を繰り広げている男だ。
見た目も声も雰囲気も、全てが同じだ。
彼の左肩に止まっている蝶までもが同じことに、少し驚きを抱きながら、俺は小さな声で問いかける。
「あ、あんたは一体、何者なんだ?」
「ん? 通りすがりのおじさんだよ」
いや、絶対に違うだろ。
と突っ込みたくなる俺を制止し、おじさんは話を続ける。
「それよりも、早く仲間を集めてここから離れよう。まだ動けそうなのは、そっちの赤い髪の子と、金髪の嬢ちゃんくらいだね。それと、壁の後ろに隠れてるゴブリン君達もか」
「ちょ、何がどうなって」
「助かりたいだろ? だったら今は、おじさんの言うことに従っておきなさい。おじさん、これでも運が良い方なんだから」
そう言うおじさんと倒れている仲間達を見比べた俺は、すぐに立ち上がると、ロネリーの元に駆けつける。
その間も、アーゼンとおじさん(?)の攻防は続いていた。
本当に、どうなってるんだよ。
混乱しそうな頭の中を整理するため、俺は最優先でするべきことに意識を集中することにした。
「ロネリー、大丈夫か?」
「ダ、ダレンさん……はい、なんとか」
サラマンダーに覆いかぶさられている状態のロネリーに声を掛けた俺は、彼女の意識があることを確認すると、気絶しているサラマンダーを脇にずらす。
そうして、ようやく立ち直ったロネリーに、指示を出す。
「悪いんだけど、サラマンダーを連れて、あのおじさんの所に行っててくれ。俺はペポとガーディを助けに行く」
「分かりました」
お腹のあたりを摩りながら頷いたロネリーを見た俺は、すぐに踵を返してガーディの元に向かった。
彼のすぐ傍には、ペポが横たわっている。
2人とも、見た目で分かるような大けがは無いみたいだ。
とその時、地面から飛び出て来たノームが俺の頭の上に飛び乗りながら問いかけてきた。
「おいダレン、あの男を信頼しても良いのか?」
「分からない。でも、あのオッサンの肩に乗ってる蝶、見ただろ? あれは多分、バディなんじゃないか?」
「あぁ、そうだな」
「ってことは、少なくともあのオッサンは人間だ」
「でも、人間が全員味方ってわけでも無いだろ?」
「敵だったら、どうして今出てきて、俺達を助けてくれる?」
「……まぁ、それもそうか。とりあえず、味方かどうかは置いておくとして、警戒はしとけよ?」
「分かってる」
アーゼンの注意が完全に俺達から逸れていることを確認しながらも、ガーディの元に辿り着いた俺は、うつ伏せのまま動かない彼の背中に触れた。
「ガーディ。大丈夫か?」
「……ダレン、スマン、やられた」
「そんなこと気にするな。それより、動けるならロネリー達の所に向かってくれ。ペポは俺が抱えていく」
「ワカッタ」
かすれた声で返事をしてくるガーディ。
そんな彼が立ち上がってロネリーやおじさんの居る場所へ向かうのを見届けた後、俺はペポを背負う。
大きな翼を俺の両肩にかけるようにして、半ば引きずりながら彼女を運んだ俺は、既に集まっている皆に目配せをした。
すると、頃合いを見計らったかのように、おじさんが告げる。
「さて、全員揃ったね。それじゃあ、出発しようか」
そう言ったおじさんが歩いて行く後に、俺達は仕方なくついて行く。
正直に言えば、本当にこのままついて行っていいのか、分からない。
そんな不安からか、アーゼンとおじさん(?)の攻防が見えないほど遠くまで歩いたころ、ロネリーが不意に口を開いた。
「あの、どこに向かってるんですか?」
「ん? あの男から身を隠せる場所さ。おじさんもずっとそこで、こそこそしぶとく生きて来たからねぇ」
彼の答えを聞いて、俺達は顔を見合わせた。
そんな都合の良い場所があるんだろうか?
なんて考えていると、俺達の眼前にとてつもなく巨大な穴が姿を現す。
「ナ、ナンダ!? ここ」
ガーディが驚きの声を漏らすのも当然だ。
覗き込んでも底が見えず、穴の側壁には、無数と言っても良いほどの横穴がある。
縁に立っているだけでも、穴の中に吸い込まれてしまいそうになるような感覚に陥ってしまうのは俺だけだろうか。
なんてことを考えていると、どこか得意げなおじさんが、言うのだった。
「ダンジョンだよ。と言っても通じないか? 既に地上が魔物で溢れてるし、仕方ないかな」




