第91話 想いの種:私の好きな人
「ホルーバ」
そう呼び掛けたのは、金色の髪を持つ女性、レンだった。
彼女はロネリーの前にウンディーネを継承していた女性だ。
岩の上に登って来たばかりらしい彼女は、両手を軽くパンパンと叩きながら、縁に立っているオルニス族の女性に近寄って行く。
そんな彼女の背後から様子を見ている『オレ』は、振り向くホルーバの顔を観察した。
鋭く力強い眼光と、大きな翼をもつ彼女の姿は、とても凛々しく見える。
「どうした、レン。見張りの交代には少し早いと思うが?」
「ちょっと、眠れなかったから……それに、外の空気を吸いたくなっちゃって。ここ、座っても良い?」
「構わないぞ」
ホルーバの許可を取ったレンは、ゆっくりとした動きで腰を下ろした。
そして、しばらくの間黙り込んで、遠くの景色を眺めている。
対するホルーバは、周囲に警戒をしながらも、足元に座っているレンに何度か目を落とす。
「どうかしたのか?」
何も言わないレンの様子に業を煮やしたのか、1つため息を溢したホルーバが、短く告げた。
「え?」
「眠れないと言っていただろう? そういう時、大抵の人間は、何か悩みを抱えているものだ」
まるで全てを見通しているかのようにそう言ったホルーバは、遠く南の空に視線を飛ばしている。
彼女に釣られるように、南の空を見た俺は、そこに浮かんでいる巨大な浮島を目にした。
『あれは……もう1人の魔王の城、だよな』
思わず呟く俺を置いてきぼりにするように、レンが口を開く。
「私達、ちゃんと魔王を倒せるんでしょうか?」
ぽつぽつと、小さな声で呟くレン。
そんな彼女の声を聞き取ったのか、ホルーバはフンッと鼻を鳴らして笑う。
「煮え切らない奴だ。そんなに自信が無いのか?」
「……ごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「…………ごめんなさい」
謝罪を続けるレンとホルーバの間に、沈黙が流れる。
当然、2人の間に流れている空気は、かなり気まずかった。
正直、その場にいない『オレ』までもが、気まずさを感じる程だ。
そんな空気に耐えかねたのか、大きな深呼吸をしたレンが口火を切る。
「あの……ホルーバはどうして、そんなに強いの?」
「アタイが強い? なぜそう思う?」
「だって……」
ホルーバの問いに、口を淀ませたレンは、俯いたまま黙ってしまった。
遠くの雲に雷光が走り、ゴロゴロという音が響いて来る。
そんな音の後、小さくため息を吐いたホルーバは、左の翼を広げると、そっとレンの頭の上に被せる。
「ホルーバ?」
「レン、お前が何に悩んでいるのかも、アタイのどこを強いと感じたのかも、正直、全然分からない。だけど、それは当然だ。誰しも、表面に見えてこないものを目にすることはできないのだからな」
「う、うん」
困惑するレンに対して、ホルーバは更に言葉を続ける。
「レン、アタイが今、どんな表情を浮かべているのか、分かるかい?」
「……翼が邪魔で見えないよ」
「だろう? アタイにとっては、アンタの考えていることがまさに、見えないんだ」
そう言うホルーバの表情を見た『オレ』には、彼女が怒っているように見えた。
まぁ、彼女の気持ちが分からなくもない。
相談をしに来ている様子なのに、何も言わない。
それだと、相談を受ける身としては、対応に困るってもんだ。
頼るのなら、しっかりと頼って欲しい。
そんな考えを、この時のホルーバは伝えたかったのかもしれない。
なんてことを『オレ』が考えていると、何かを決心したように、レンが立ち上がる。
ホルーバの翼をかき分け、顔を上げた彼女は、まっすぐにホルーバを見つめている。
「ごめんなさい。怒らせちゃった……」
「構わないさ。で? 今度こそ話してくれるんだろう?」
そんな彼女の問いかけに、小さく頷いて見せたレンは、ホルーバの翼をそっと撫でつけながら、口を開く。
「ホルーバは、誰かを好きになったこと、ある?」
「もちろん、あるぞ」
「ホント!?」
「あぁ。それがどうかしたのか?」
ホルーバの答えが嬉しかったのか、はたまた、驚いたのか、翼に顔を埋めてモジモジとするレン。
しばらく悶えた後、少し落ち着いたらしい彼女は、上目遣いをするように視線を上げた。
「気持ちは伝えたの?」
「伝えたぞ」
「そ、そっか。伝えたんだぁ。じゃ、じゃあ、できればでいいんだけど、どうやって伝えたのか、教えて欲しいな」
「なぜそんなことが気になるんだ?」
「そ、それは……」
急に口ごもるレン。
そんな彼女の様子を見て、ホルーバは何かを察したように目を見開いた。
「もしかして、気持ちを伝える気になったのか?」
「ま、まだ分からないけど……できれば、伝えたいなぁって、思ってるよ」
「ほう、それは真剣に考えなければならないな」
「そうなの! でも、誰にも相談できなくて……ホルーバなら、何か良いアドバイスくれるかなって……」
フンと鼻を鳴らしながら少し考え込んだホルーバは、静かに目を閉じた。
「確かに、誰にも聞けそうにない話ではあるが……」
「うん。やっぱりホルーバもそう思う?」
「そうだな。だが、そうとなると、アタイの伝え方はあまり意味を為さないかもしれない」
「どうして?」
「伝えたのが、死に際だったからだ」
「……え?」
躊躇いなく告げるホルーバの様子に、一瞬呆けたレンが、短い声を漏らした。
まぁ、『オレ』もレンの立場だったら、同じような反応になると思う。
そんなレンの反応を、敢えて無視したホルーバが、話を続ける。
「魔王軍の攻撃で、瀕死の状態の彼に……あまり参考にはしたくないだろう?」
「……」
「だからこそ、1つだけ言えることはある。後悔だけは残さない方が良い。アタイもきっと、伝えることができていなかったら、こうして話すことはできなかったと思うからな」
「ホルーバは……やっぱり強いね」
俯きながら小さく呟くレン。
しばらく黙り込んだ彼女は、意を決したように顔を上げると、先ほどホルーバが言った言葉を繰り返した。
「後悔だけは、残さない方が良い……か。そう、だね。私もそう思う」
「あぁ……それにしても、あの男も悪い奴だな」
「あはは……」
南の空へと視線を移しながら告げたホルーバと、乾いた笑いを溢すレン。
今のやり取りから察するに、レンの想い人はきっと『オレ』の父親に当たる、ダンなのだろう。
なんて、俺が考えた直後。
レンが思わぬことを口にした。
「ホルーバ……その、ホルーバには教えておこうと思うんだけど」
少し言い淀みながら、言葉を区切るレン。
そんな彼女の方に、ホルーバが視線を投げた直後、俺は確かに聞いたのだった。
「私の好きな人は、リサなの」




