第90話 オーバーフロー
どんよりと曇っている空と、遠くから聞こえる嵐の音が、俺達を迎える。
穴から飛び出ると同時に、みるみる縮んでしまうサラマンダーの背中から、すぐに飛び降りた俺は、辺りの様子を見渡した。
「ここは……どんな場所なんだ?」
思わず俺がそう呟いたのには理由がある。
まず、あまり見たことのない白くて半透明な岩。
その岩で出来た壁や柱、そして地面が辺り一面に広がっているんだ。
まるで迷路の中に放り込まれたような、そんな状況。
まったく予想もしていなかったその光景に、俺以外の皆も言葉を失っている。
「不思議な岩ですね……透明だけど、完全に透けてるわけじゃないし」
「アタチも、こんな光景は見たことないチ……ちょっと、上から周りの様子を見て来るチ!!」
「ふぅ……あ~あ、ここはそんなに暖かく無いなぁ。僕、やっぱりさっきの所が良かったなぁ」
各々《おのおの》が感想を口にし、ペポが飛び立った直後、何を思ったのかガーディが、近くにあった白い岩にかじりついた。
「ちょ、ガーディ? って、そういえばウルハ族は鉱石喰ってたな」
「ぶぇ……ダレン、このイワ、カライぞ」
「辛い? そんな岩があるのか?」
近くに落ちていた白い石を拾った俺は、半信半疑で少し舐めてみる。
「うぇ……辛いって言うか、塩辛いな、なんだこれ」
「本当に塩みたいですね……それも、随分と濃い」
「これ、ぜんぶ塩ゴブか!?」
「こんなところがあったなんて、オラ、知らなかったゴブゥ」
「塩かぁ……どうしてこんなところに塩があるんだろう……誰かが運んできたのかな?」
口に残る塩辛さを、唾液と一緒に吐きだした俺は、口元を手の甲で拭う。
「ってことは、ここは塩で出来た迷路なのか? どうなってるんだよ」
俺がそう呟いた時、偵察に向かっていたペポが上空から戻ってくる。
「戻ったチ! 辺り一面、この岩の壁があるだけっチ。でも、少し南にいったら、大きな岩があったチ」
「ペポ、驚くなよ。この白いの、岩じゃなくて塩らしいぜ」
「またまた、どうせノームの嘘チ」
「それが本当なんですよ、ペポ」
俺の頭の上で憤慨しているノームを無視して、ロネリーに怪訝そうな目を向けたペポは、近くの壁に嘴を当てた。
直後、驚きのあまり飛び上がったかと思うと、顔をしかめながら告げる。
「しょっぴぃ……」
「しょっぴぃ、ってなんだよ」
「う、うるさいチ!」
「おいペポ。オイラが言った通り本当に塩だったろ? なんか言うことがあるんじゃないのか?」
「ご、ごめんチ……」
嘴を尖らせながら、しぶしぶ謝るペポ。
そんな彼女を見て得意げに胸を張ったノーム。
なんか、さっきまでの慌ただしい感じが嘘みたいだな。
「それより、ここにずっといたら危ないんじゃないかな? 僕も元の姿に戻っちゃったし、魔王軍が追ってきたら、撒くのは大変だよね?」
サラマンダーの言葉で我に返った俺達は、すぐに前進を始めた。
まずは、ペポの言っていた南の大きな岩に向かう。
塩の壁で出来た迷路は、非常に入り組んだ作りになっているけど、ノームとペポの案内があるんだ、迷うわけがない。
程なくして、岩の元に辿り着いた俺達は、その麓で休憩をとることにする。
時間的にも、もう少しで日が暮れ始めるころだろう。
まぁ、どんよりとした雲に覆われているせいで、正確な時間は分からないけど。
「それじゃあ、初めの見張りは俺がするよ。みんな、寝てくれ」
そう言った俺は、皆が横になったのを確認した後、ノームと共に岩の上に上った。
一応、後の人のためにノームが岩に沿った階段を作ってくれる。
随分と大きな岩の上で、座ったまま周囲を見渡す。
ペポが言ったとおり、このあたりはずっと塩の迷路が広がっているみたいだ。
「これは……抜けるのは大変そうだな」
「そうだな。オイラも流石に、塩を操ることはできないしな」
なんて、どうでも良いことを話していると、不意にロネリーが岩の上に上がってきた。
「ロネリー!? どうしたんだ? まだ交代には全然早いぞ?」
「あ、いいえ。交代じゃなくて、ただ、その……」
なにやら口ごもるロネリーを見た俺は、頭の上のノームと顔を見合わせる。
「何か用でもあったか?」
「用とかは、無いんですけど。ただ、その、一緒に居たいなって思ったので……」
「あぁ……そ、そっか」
そう言ったロネリーの顔を、俺は直視できなかった。
いや、見ても多分、曇ってるせいで薄暗くなってきてるから、はっきりは見えないんだろうけど。
それでもなんか、恥ずかしい。
なんてことを考えていると、当然のように俺の左隣に腰を下ろした彼女は、大きく息を吐く。
『あれ……これって何か話しかけるべきか?』
なんて話しかけるべきだろう。って言うか、こんなところでロネリーは休めるのか?
色々と頭の中を駆け巡る疑問と焦り。
それらに俺が翻弄されている間に、ロネリーが先に口を開く。
「ダレンさん。その、助けてくれてありがとうございます」
「ん? まぁ、そりゃぁな」
少し口ごもった俺は、バーバリウスからロネリーを助けた時に言った自分の言葉を思い出し、一人、悶絶する。
そんな俺を見て、クスッと笑った彼女は、俺の左肩に頭をのせる。
「私、すごく嬉しかったです」
「俺だって、ロネリーが無事だって分かって、嬉しかったし、安心したぞ」
言いながらも、俺は左肩に乗っている彼女の頭に意識を集中していた。
サラサラな金髪から伝わってくる温もりと、甘い香りが、俺の頭を揺さぶってくる。
なんか、変な気分だ。
しばらく黙り込んだまま、空を見上げていた俺は、いつの間にか微かな寝息が聞こえてくることに気が付いた。
「ロ……ロネリー?」
「……すぅ……すぅ」
完全に寝てしまっているらしい。
人の肩に身体を預けた状態で寝れるのはすごいな。
なんて考えていると、突然彼女の背中から姿を現したウンディーネが、俺を見下ろしてくる。
「ウンディーネか。びっくりさせるなよ」
「すまん。それよりも、ダレン。よくやった」
「ん? 何の話だ?」
「ワラワは感動しておるのじゃ。そして、感謝もしておる」
「それって、ロネリーを助けた時も言ってたよな。オイラ、覚えてるぜ」
頭の上でノームが言ったのを聞いて、俺は確かにウンディーネがそんなことを言ってたのを思い出す。
「そういえば、そうだな。でかしたぞ、とかなんとか。どういう意味なんだ?」
俺の問いを聞いたウンディーネは、俺とノームの眼前にゆっくりと回り込んだかと思うと、説明し始めた。
「ダレン達がこの娘を助けに来てくれたおかげで、ワラワは覚醒できたのじゃ」
「覚醒? え? まぁ、確かに。強くなったなとは思ってたけど」
「それってオイラのワイルドみたいなものなのか? ってことは、何かきっかけがあったのか」
「きっかけは、そうじゃな。ワラワの口から言うのはやめておこう。じゃがまぁ、なんとなく気づいておるであろう? この娘の変化に」
「それはまぁ……」
確かに、ロネリーは色々と変わったと俺も思う。
なんていうか、自分の気持ちとか感情とか、そう言った物を前面に出すようになったって言うか。
漏れ出てるというか……。
多分、ウンディーネが言ってるのは、そう言うことだ。
「変わったって言えば、ダレンもだけどな」
「は? 俺、何か変わったか?」
「変わっただろ。オイラはそう思うね」
「そうかなぁ」
「それはさておき、ダレン、ノーム。お主らに伝えておきたいことがある」
俺とノームの会話に割り込んだウンディーネは、おもむろに腕を前に差し出した。
「ノーム、ワラワに触れてみよ」
「ん? どうしてだ?」
「触れれば分かる。さぁ」
首を傾げるノームは、しかし、促されるままにウンディーネの腕に飛び降りた。
そして、彼女の腕の中にすっぽりと入り込んでしまったノームは、直後、赤い帽子の姿から緑色の姿、つまりワイルドへと覚醒する。
「んなっ!?」
「ノーム!? どうしてワイルドに!?」
「これが、ワラワの覚醒の力、オーバーフローじゃ。」
「オーバーフロー? どういう力なんだ……よ!?」
ウンディーネに力の詳細を聞こうとした俺は、しかし、視界の端に見た光に気づき、茫然としてしまう。
その光は、以前にも見たことのあるもので、岩の上の俺達のすぐ隣に漂っていた。
「記憶の種!?」
「おい、ここにこの光があるってことは、前継承者達もオイラ達と同じように、ここに来たってことだよな!?」
「そうみたいだな」
ノームの言葉に賛同した俺は、眼前にいるウンディーネに目配せをした後、隣にある光に手を伸ばした。
そして、毎度の如く、記憶の中へと入り込んでゆく。
それは、今と同じように、どんよりと曇った夜の事だった。




