第9話 あの娘の決意
ノームがコロニーを囲むような堀と塀を造り上げるのに、丸一日がかかった。
流石の大地の大精霊といえども、一つの集落の周りに穴を掘るのは、それなりに時間がかかる。
むしろ、たったの1日で西を除く3方向への防御を固めることが出来たのは、コロニーに住んでいる人々にとっても良い話だろう。
日も暮れかかっているコロニーの中心で、焚火を囲みながら温かいスープを飲んだ俺は、そんなことを思いながら空を見上げた。
惑わせの山で暮らしていた時も、同じ空を見ていたはずなのに、なぜか、今夜の空はいつもより広く感じる。
「どうしたダレン? 何か悩んでるのか? なんならオイラが話を聞いてやろうか?」
木の器を両手で持ったまま、地べたに座り込んでいた俺の膝元に、ノームがやってきた。
右手に何かを持ったまま俺を見上げたノームは、モグモグと咀嚼をし始める。
「なんでもねぇよ。それよりノーム、それは何を食ってんだ?」
「チーズって言うらしいぜ。聞いて驚け、ヤギの乳から作ってるらしいぞ」
口をもごもごとさせながら告げるノームは、心底満足げな表情をしている。
そんな顔を見ていると、無性に腹が減るのは仕方が無いよな。
「何だそれ!? 俺も食ってみたい!! ちょっとくれよ」
「やだよ。あっちで貰えるから自分で取ってこい」
ノームの指さす方に目を向けた俺は、大勢の人々に囲まれているロネリーの姿を目にする。
彼女は頭の上に沢山の花で出来た冠を被り、笑顔を振りまきながら、住民達と話をしていた。
その碧い瞳も、美しい金色の髪の毛も、眩いほどの彼女の笑顔も。
きっと、このコロニーの人々にとっては見慣れたもので、そして、大切な物なんだ。
そんなことを考えた俺は、少しばかりの疎外感を覚えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「ノーム。あんな輪の中に入ってったのか……すごいな」
思わずそんなことを呟いた俺は、ゆっくりとロネリー達の元に歩み寄る。
「ロネリー、本当に行っちまうのかい?」
「ジェシーさん、ごめんなさい。今度一緒に花壇を作ろうって言ってたけど、難しそうです。でも、きっと帰ってきたら、一緒に作りましょうね」
「おいおい、ロネリー。まだ最高にうまい猪肉を食わせてやってないんだぞ?」
「ダンデさん。私も楽しみにしてました。帰ってきたらご馳走してください」
次から次へと掛けられる住民達の声に、1つ1つ丁寧に答えながら、ロネリーは笑っていた。
そのどれもが、俺の知らない話で、そんな話の中に入っていく度胸は、俺には無い。
だからだろうか。
楽しそうにしているロネリーの姿を見て、少し満足した俺は、チーズの事なんか忘れて踵を返す。
しかし、踵を返した俺は、すぐ後ろに立っていたらしいゴールドブラムによって、引き留められた。
「どこに行くつもりだ?」
「え? いや、俺があの中に入っていくのは、なんか悪いかなって思って」
「なぜそう思う?」
「なぜって……俺はこのコロニーで育ってないし。だから、ロネリーのことも殆ど知らないし。最後くらいは、心置きなく話をしておきたいだろ?」
「そうじゃな」
「納得するのかよ」
「お主の言わんとすることも理解しておる。じゃが、お主はあの娘の決意を理解しておらんようじゃな」
「決意?」
「そうじゃ」
大きく頷きながら告げるゴールドブラムの姿を見た俺は、視線を足元に落として考えた。
ロネリーが抱いた決意って、何だろう。
確かに、残りの大精霊を探しに行くのは、楽な旅じゃないはず。
それは流石の俺でも理解している。なにせ、賊が頻繁にコロニーを襲うような世界なんだ。
下手したら、外界から隔絶された惑わせの山の中より、危険かもしれない。
って考えるとやっぱり、彼女が抱いた決意と言うのは、ここに帰って来れないかもしれないという覚悟なのかな。
だったらやっぱり、皆との別れの挨拶はしっかりと済ませるべきだろう。
そこまで考えた俺が、目の前にいるゴールドブラムに向かって口を開いた時。
背後から、ロネリーが声を掛けてきた。
「ダレンさん。ゴールドブラム様。何を話されてるんですか?」
「ロ、ロネリー!? あ、いや、ちょっとな、ははは」
「ロネリー、儂はやはり……」
慌ててロネリーに向き直る俺と、何かを言おうとするゴールドブラム。
そんな俺達を見比べたロネリーは、先ほどまでと同じ笑顔を浮かべながら、ゴールドブラムに言った。
「私は決めたのです。大丈夫ですよ、ゴールドブラム様」
「……ロネリーがそう言うのなら、仕方あるまい」
「なぁ、さっきから何のことを話してるんだ? 決意とか言ってたけど」
「内緒です」
悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう告げたロネリーは、手にしていた籠から1欠片のチーズを取り出すと、俺の鼻先に突き付けてきた。
「え?」
「はい。ダレンさんの分。口開けてください」
「あぁ、ありがとう」
言われるがままに口を開けた俺は、そっと口の中にねじ込まれたチーズの味を噛み締めた。
俺がチーズを咀嚼する姿を見て、再び笑ったロネリーが、踵を返して楽しそうに遠ざかってゆく。
口を閉じた時、唇に一瞬だけ、柔らかな何かが触れた気がするが、気のせいだろう。
そうして、住民達によって催されたロネリーのお別れ会は、すっかり夜が更けるまで続いた。
焚火が消え、住民達が寝静まり、空の星々だけが明滅している。
そんな空を見上げながら焚火の傍で床に就いた俺は、色々なことを思い返す。
惑わせの山でロネリーと出会ったこと。そんな彼女を助けたこと。
コロニーを賊の襲撃から守ったこと。ゴル爺達と出会ったこと。
ガスのことを共有できたこと。そして、お別れ会のこと。
意識が眠りに引きずられてゆく中、それらの記憶はゆっくりと暗闇の中に溶けてゆく。
そうして、最後の最後まで俺の意識に残っていたのは、口中に広がるチーズの味と、唇に触れる柔らかな感触。
気のせいだと思ったその感触が、強く強く、残り続けた。
翌朝、目が醒めてしまえば、そんな感触も残っているわけがなく、俺は少しだけの寂しさを覚えながら、身支度を整える。
次第に住民達も目を醒まし、ロネリーも準備を整え始めた頃、平原の北を指さしたゴル爺が、優しく告げた。
「北に向かうと良い。そこにオルニス族と呼ばれる有翼人の集落があるはずじゃ、以前、魔王軍の襲撃を受けたとの話も聞くが、まだ住んでいる者がおるじゃろう」
「ありがとうゴル爺。で、そのオルニス族に会って、何をすればいい?」
盾と剣を背負い、平原の北を眺めた俺は、ゴル爺にそう問いかけた。
すると、大きく一回、頷いて見せたゴル爺は、告げた。
「風の大精霊シルフィは、オルニス族だけに宿ると言われておる。運が良ければ、出会えるじゃろう」
「運が良ければ、か。まぁ、行ってみる価値はありそうだな」
「おいおいダレン。お前は大事な言葉を聞き逃してるんじゃねぇのか!? オイラは聞いたぞ? 襲撃って言ったよな!?」
「ん? あぁ、まぁ、俺達ならなんとかなるだろ」
「そうですよノーム。こっちにはウンディーネもいるんだから、大丈夫ですよ!!」
「そ、そうか、そうだよなぁ。よし、2人ともオイラに任せておけ!!」
「その調子だノーム。元気出して行こう!!」
そんなやり取りを交わした俺達は、準備を整えると、そのままコロニーを後にした。
ノームが作った堀の上に掛けられている簡易的な跳ね橋を渡り、平原の上に立つ。
送り出すように手を振っていた住民達の姿が、跳ね橋が上がってゆくことで見えなくなった後、ようやく俺達は北に向けて歩き出した。
しばらくの間、沈黙が続く。
その間、何度も後ろのコロニーを振り返っては様子を伺っているロネリーに、俺はなんと声を掛ければ良いのか分からなかった。
きっと、彼女の中では未だに深い葛藤があるんだろう。
そう思った俺は、彼女を元気づけるために言った。
「ロネリー。大丈夫だぞ。何かあっても俺達が守ってやる。それに、俺達が帰り道を忘れることは無い。いつだって帰って来れるさ」
「ダレンさん。ありがとうございます」
俺の言葉に、少しはにかんだロネリーは、寂し気な碧い瞳を、北に向けたのだった。