第85話 煌めく雫
額から2本の大きな角を生やし、目を赤く輝かせているガーディが、俺目掛けて一直線に飛び込んでくる。
明らかに理性を失っている彼に、何を言っても仕方がないと判断した俺は、手にしていた槍で迎え撃った。
両手の鋭い爪で、俺の身体を引き裂こうとするガーディ。
そんな彼の攻撃を槍の柄で受けながら、左足を軸に回転した俺は、ガーディの勢いを利用して一撃をお見舞いする。
「ロネリー!! ウンディーネ!! 手を貸してくれ!!」
槍の一撃を受けながらも、即座に俺から距離を取るガーディを睨みながら、俺は声を張り上げた。
多分、ウンディーネの浄化の力なら、ガーディを元に戻せるはずだ。
しかし、暴れるガーディが、俺に余裕を持たせてくれるわけがない。
「くそっ! 速い!!」
「グルルルルッ」
低い唸り声を上げながら、右に左に動き回って俺を翻弄する彼の動きは、まさに獲物を追いつめる捕食者の動きだ。
迂闊にこちらから攻撃を仕掛けようものなら、確実にカウンターを喰らってしまうだろう。
膠着し始めた状況を、何とか覆す方法を考えていた俺は、視界の端でロネリー達の動きを見た。
「ダレンさん!! 今向かいます!!」
「ロネリー!! 危ないチ!!」
「隙だらけだよ!!」
すぐにこっちに来ようとするロネリーに、メデューサのヘビが襲い掛かり、ペポが助けに入る。
そんな彼女たちの背後に現れたヒュプノスが、床を粉々に砕いてしまうほどの拳を振り下ろしたことで、周囲に粉塵が充満した。
2人が無事なのか、確認できない。
槍を構えてガーディを警戒しながら、内心焦りを抱き始めた俺は、結果的にガーディに対して隙を見せてしまったらしい。
俺がチラッとロネリー達の方に視線を投げた瞬間を狙って、体勢を低くしたガーディが、鋭く切りかかってくる。
「やべっ!!」
咄嗟に身体を逸らし、退避しようとするけど、間に合わない。
腹を裂かれる。
俺がそう思った時、飛び掛かって来たガーディの真下から、何かが俺に飛びついてきた。
直後、ガギギッという嫌な音が響いたかと思うと、俺は腹に鈍痛を覚えながら、床を転がる。
「ぐへっ……なんだ?」
「ダレン、……大丈夫?」
痛む腹に目を向けた俺は、ぐったりとした様子のサラマンダーが乗っていることに気が付いた。
よく見れば、彼の背中の鱗に、鋭い爪痕がある。
「サラマンダー!? 大丈夫なのか!? それに、アパルは!?」
「アパルはこっちゴブ!!」
「ガーディ!! オラだ、ケイブだ!! 分からないゴブゥ?」
俺の問いに応えたのは、アパルを大事そうに抱えたベックス。
彼はアパルを抱えたままノームの元に走っている。
もう一人のケイブは、彼の武器である巨大な戦斧を構えながら、ガーディに牽制をしているところだ。
「サラマンダー、それにベックスとケイブ!! 助かった、ありがとう!」
「礼を言うには、まだちっと早いゴブ!!」
「そうゴブゥ!! こ、この、ガーディを、何とかしないとゴブゥ!!」
大きな戦斧を振り下ろし、ガーディに攻撃を仕掛けたケイブは、しかし、渾身の一撃を受け止められて、つばぜり合いのような状態になっている。
体格で言えば、ケイブの方が圧倒的に大きいのに、ガーディは一歩も引くことなく戦斧を押し返している。
「どんだけ強化されてるんだよ……何がどうなってるんだ?」
ガーディの変わりように、思わずそう呟いた俺は、次の瞬間、信じられない言葉を耳にした。
「鱗だっチ!! 何かの鱗を、ガーディもこいつも食べたんだチ!!」
そう言いながら、粉塵の中から勢いよく飛び出して来たペポは、足で掴んでいたロネリーを俺達の傍に降ろす。
「ペポ、それはどういうことだ!?」
「ダレンさん、ペポの言う通りです。さっき、メデューサがヒュプノスに食べさせたのは、何かの鱗でした」
身体に付いた砂埃を払いながらそう言った彼女は、鋭い視線をリューゲに向ける。
「おやおや、もう気が付いてしまったのですか。やはりあなた方は侮れませんね」
「何を言ってんだい!? そんなことより、こんなガキ共、早く殺してしまうんだよ!! そうじゃないと、またあの方に怒られちまうじゃないか!!」
「分かっていますとも」
まるで余裕綽々の様子で、会話を繰り広げるリューゲ達。
そんな彼らに並ぶのは、粉塵の中に立つ巨人ヒュプノスと、通路から現れる魔物達。
戦力の差は一目瞭然だ。
道を完成させるまで、ノームと連携できない俺と、正気を失ってしまったガーディ。
そんなガーディを押さえるケイブ。
これだけの戦力を削がれている俺達は、圧倒的に不利と言えるだろう。
俺と同じことを考えているのか、他の皆の表情も、かなり厳しく見える。
そんな俺達を見て楽しんでいるのか、兜の下で薄っすらと笑みを浮かべているリューゲは、両手を広げたかと思うと、高らかに告げた。
「さて、そろそろ引導を渡して差し上げましょうか」
直後、まるでリューゲの声に反応したかのように、ガーディが動きを見せる。
ケイブとつばぜり合いをしていた彼が、戦斧を大きく弾いたかと思うと、後ろに飛び退いたのだ。
そしてそのまま、猛烈な速度で俺達の元へと駆けてくる。
「来るぞ!!」
すぐさま槍を構え、ガーディを迎え撃とうとした俺は、同時に、ヒュプノスや他の魔物達が動き出すのを目の当たりにした。
おまけに、リューゲやメデューサまで攻撃に加わろうとしている。
俺達のことを侮ってくれていたら、もっと楽だったのに。
なんて、状況に似つかわしくないことを考えてしまう。
ペポもロネリーも、ベックスもケイブも、サラマンダーやシルフィ、ウンディーネでさえ。
歯を食いしばりながら迫り来る敵に対峙する中。
俺は向かって来るサラマンダーの目を見て、思わず絶句してしまう。
赤く輝いていた両目のうち、右目の輝きが薄れ、元の瞳に戻りつつある。
そんな彼の瞳を見た俺が、思わず前に一歩を踏み出そうとした瞬間。
俺よりも速く、サラマンダーがガーディの元に飛び出して行った。
「ガーディ!!」
震える彼の声を耳にした俺は、すぐに気づいた。きっと、サラマンダーもガーディの瞳の変化に気が付いたんだと。
何の躊躇いもなく、ガーディに向かって飛び掛かっていくサラマンダー。
対するガーディは、両手を大きく振りかぶり、その鋭い爪で、サラマンダーの身体を切り裂いた。
鈍く、重たい音が周囲に響く。
鋭い爪で切り裂かれたサラマンダーは、弾き飛ばされて激しくはねた後、床の上に伸びてしまう。
「サラマンダー!!」
「あの野郎、やりやがったゴブ!!」
全く勢いを殺すことなく、迫り来る魔王軍。
焦燥感と絶望感に苛まれながら、諦念に身を委ねそうになった時。
力のないサラマンダーの声が、響いてきた。
「……僕は大丈夫だよ。だから、ガーディ……目を醒まして」
そう言うサラマンダーに目を向けた俺は、彼が首を震わせながら、ガーディの方を見上げていることに気づく。
そして、俺はもう一つのことに、気が付いた。
ガーディが、サラマンダーを切り裂いた場所から一歩も動いていない。
更に言えば、両肩を力なく落としたまま、俯いている。
その姿はまるで、酷く落ち込んでいるようだ。
「おやおや、これは予想外でしたねぇ。でも、まぁ、それがサラマンダーだという証拠なのでしょうか?」
意味の分からないことを言うリューゲ。
そんな彼の言葉に、ピクッと反応を示したガーディが、うなだれていた頭を上げたかと思うと、勢いよく踵を返す。
「オデはガーディだ!! あかいハグレのガーディだぁぁぁぁ!!」
叫び声を上げた彼は、流れるような動作で身を屈めたかと思うと、勢いよく魔物の群れに突っ込んでいく。
怒りに任せて魔物達を切り裂いてゆくガーディ。
そんな彼の描く赤い軌跡の中に、時折、煌めく雫のような何かが散りばめられていることに、俺は気づいたのだった。




