第64話 想いの種:せめぎ合い
視界を埋め尽くす光が薄れた時、俺は相変わらず洞窟の中に居た。
温泉が吐き出す湯気も健在で、ぱっと見では、何か変化があったようには見えない。
だけど、前と同じように、俺の足元に座り込んでいる人物が、そこには居た。
温泉に脚を浸けて暖を取っている女性は、どうやらレンのようだ。
ロネリーと同じ、美しい金髪を垂らした彼女は、上半身を毛布でくるんだ状態で、湯気を眺めている。
『やっぱり、レン達もここに来たことがあったんだな』
『そうだな。にしても、レンはいつ見ても落ち込んでねぇか? なんか、オイラまで気分が沈みそうだぜ』
俺の肩に乗っているノームがそんなことを言った時、背後から何者かが話しかけてくる。
「レン。大丈夫? 身体は温まったかな?」
「リサ……うん。大丈夫」
レンの返事には、あまり元気が籠っているようには思えなかった。
それをリサも感じ取ったのか、その長くて綺麗な黒髪を後ろで束ねると、おもむろにレンの隣に腰を下ろす。
「はぁ~。脚だけでも、すごく気持ちいいわね。温泉。できれば、家にひとつくらい欲しいわぁ」
「あはは。分かるかも」
「どうやったら作れるのかな……っていうか、こんな山の高い所に、どうしてお湯が沸いてるんだろ」
「どうして……だろうね」
「ねぇレン。もし私達の家に温泉が出来たら、一緒に入りましょ。ウンディーネもね。約束よ?」
「うん。絶対に行く」
レンがそう答えた直後、彼女の首元から姿を現したウンディーネが、申し訳なさそうな表情で告げた。
「ワラワが入ってしまえば、湯が水に変わってしまうかもしれんが……」
「大丈夫よ。その時は……」
レンを元気づけようとしていたのか、明るく話をしていたリサは、突然口を噤むと、深々《ふかぶか》と俯いてしまった。
そうして、2人の間に沈黙が漂う。
『どうしたんだ? なんか、空気が重いぜ?』
『……何かあったんだろう。今は、続きを見てみよう』
ノームの疑問に内心は共感しながらも、俺は2人の様子を観察することに専念した。
そのおかげか、色々《いろいろ》と気づいたことがある。
まず、周囲には他に誰も見当たらない。
そして、腰を下ろしている2人は、やけに疲労しているように見えた。
湯気のせいで良くは見えないけど、身体の至る所に擦り傷や煤のような物が見て取れる。
それらを見た俺は、この光景が『帰り』の道中なんだと察した。
なによりもその推測を裏付けるのが、2人の会話だ。
『その時……頼めるとしたら、1人しかいないよな』
沈黙する2人を見ながら、思わず呟いてしまった俺に、すかさずノームが問いかけてくる。
『ん? 何を言ってるんだ?』
『リサが言おうとしたことだよ。湯を作りたいとき、お前ならどうする? ノーム』
『そりゃ、水を温めるんだろ? だったら、ウンディーネに水を出してもらって、サラマンダーに……あ』
サラマンダー。
彼について俺達が知っていることとしては、他の3大精霊を逃がすために、殿を務めて命を落としたということ。
つまりは、この光景は、サラマンダーのおかげで逃げおおせた後のものに違いない。
そんな俺の推測を肯定するように、レンが沈黙を破って、口を開いた。
「どうして、こんなことになっちゃったのかな……」
「……レン?」
「リサ。これから私たち、どうなっちゃうの?」
「どうって」
「グスタフさんのおかげで、私達は逃げることができたけど、でもそれって、私達じゃ勝ち目が無かったってことで、護衛のオルニス族の人たちも散り散りにいなくなっちゃったし、そもそも、霊峰アイオーンの頂上で、何をすればいいのかもわからなかったし。このままじゃ私たち、いろんな人たちに迷惑だけかけて、それで!」
「レン! 落ち着いて! ね、少し落ち着いて。大丈夫だから」
身体を包んでいる毛布をギュッと握りしめながら、次第にヒートアップするレンを、リサが制止した。
その柔らかな腕でレンの頭を抱き寄せ、優しい声で慰め始めている。
「大丈夫。大丈夫よ。きっと、なんとかなるから。ね。そんなに悲観しないで」
「でも……」
「悲観して、諦めちゃったら、グスタフさんに申し訳ないじゃない……」
頭を撫でていたリサは、絞り出すようにそう呟くと、レンの頭に顔を埋めながら身体を震わせた。
そんなリサの様子に驚いたのか、レンは我に返ったような表情を浮かべたかと思うと、リサをそっと抱き寄せる。
「ごめん、リサ。私が弱気なこと言ったから……」
「ううん。大丈夫。私もごめんね。ちょっと気が滅入っちゃったみたい」
「仕方ないよ……こんな状況でも滅入らない方がおかしい。あのダンですら、最近元気なさそうだし」
「やっぱりレンにも分かる?」
「うん」
そんなやり取りで気を取り直したのか、リサとレンは相変わらず抱きしめ合ったまま、顔を見合わせて小さな笑みを浮かべた。
「いつもが無駄に元気な分、少し落ち込まれると、調子狂うよね」
「うん。それに、普段から私達は、ダンに元気を貰ってたんだなぁって思った」
「あはは。貰いすぎて疲れるときもあるけどね。今はとても恋しいけど」
「そうだね。私、やっぱり皆には幸せになって欲しいな。リサもダンも、もちろんホルーバも。……グスタフさんも」
「そうだね」
再び沈黙した二人は、互いを抱きしめ合っていた腕を解き、深いため息とともに湯気に視線を戻す。
それからしばらくして、2人の元にダンとホルーバがやって来た。
彼らは白いキツネと6体の白いのを引き連れて、歩いてくる。
「お待たせ。戻って来たぞ」
「いやぁ、やっぱりここが落ち着くな。外じゃワイルドになれねぇし。オイラ、ずっとここで暮らしたいぜ」
「そんなわけにもいかない。アタイらにはやるべきことがあるだろう?」
「分かってるっての。ったく、ホルーバは本当に真面目だよなぁ。少しはシルフィのぐうたらを見習えよ」
「聞き捨てならないねぇ。ウチは別にぐうたらじゃないんだけどぉ? 力を温存してるんだよ」
「常に温存する必要ねぇだろ」
そんなやり取りをしながら姿を現したダン達の方を振り返ったレンとリサは、一度互いの顔を見合わせた後、小さく笑った。
すかさず、2人の様子に気が付いたらしいダンやノームたちが、なにやら声を発したが、その言葉は俺達の耳に入ってこない。
視界も声も、なにもかもがぼやけていく中で、俺はゆっくりと目を閉じた。
急いでロネリーを助けに行きたい。でも、考える時間も欲しい。
2つの感情が胸の内でせめぎ合って、存在感を増していった。
俺はこのせめぎ合いを胸に抱いたまま、この先冷静でいられるだろうか。
そんな不安を覚えながらも、俺はゆっくりと目を開けたのだった。




