第63話 変なキツネ
「水のお姉さん!? それって!!」
思わずそう漏らした俺は、頭の上のノームと顔を見合わせた。
「ダレン、今あいつが言ったのって、ウンディーネの事じゃねぇか?」
「だよな。俺もそう思う」
この白いのがどんな存在なのか、良く分かっていないけど、1つだけ分かったことがある。
それは、少なくともこの白いのは、ウンディーネを見たことがあるってことだ。
いつ、どこで、どんな形で彼女を見たことがあるのか分からないけど、大きな収穫だってことに違いは無い。
「もしかして、リューゲに連れられてるロネリーも見たんじゃねぇか?」
「いや、そういうわけじゃないと思う。『今度は水のお姉さんが見えない』って言ってただろ? って言うことは、4大精霊が集まってる様子を見たことがあるんじゃないかな」
「おいおい、それってつまり」
「あぁ、多分16年前、前4大精霊の継承者達は、ここに来て、こいつらと出くわしたことがあるんじゃないか?」
確証までは得られていない推測を口にしながら、俺は改めて洞窟の中を見渡した。
もしかしたら、何か痕跡でも残ってたりしないだろうか。
そんな淡い期待も虚しく、洞窟の中は薄暗くて、湯気だけが充満している。
「なぁダレン、もっとこいつらから何か聞き出そうぜ!」
そう言ったノームは、勢いよく俺の頭の上から飛び降りると、まっすぐに白いのに向かって駆け出した。
「なぁ、さっきの話、オイラ達にもう少し詳しく聞かせてくれよ」
「さっき? どっち? たっち!! はい!! 君が鬼ね~」
「鬼ごっこだぁ~ 怖いぞぉ~」
「逃げろ逃げろぉ~」
「おい! 待てよ! 鬼ごっこってなんのことだ!? オイラ、鬼じゃねぇぞ? ノームってんだ……話聞けよぉ!!」
気さくに話しかけようとするノームを置いてきぼりにして、キャッキャと笑う白いの達は、散り散りになって逃げだし始めた。
とはいっても、姿が見えないところまで行くつもりは無いらしく、遠巻きにノームのことを見ている。
「ったく、あいつら、言葉は通じるけど話は通じないらしいぜ」
「まぁ、なんとなくそんな気はしてたよ」
「で? どうする? こいつらの言う鬼ごっことやらに付き合うか?」
「それも良いけど、俺はもう少し……」
「ちょっと待て! ダレン。何かがこっちに来る。洞窟の奥の方からだ」
「っ!?」
不意に真剣な表情をしたノームがそう言ったのを聞いて、俺は近くにあった岩の影に身を潜めた。
とはいえ、逃げ場がない以上、見つかるのは時間の問題だろう。
「ノーム、温泉の奥は行き止まりなんだよな?」
「あぁ、そのはずだぜ。少なくとも、道はねぇ」
「分かった。まずは相手の出方を伺おう」
洞窟の中を俺達の方に向かって近づいて来る気配。
その気配に細心の注意を払っていた俺は、予期せぬ大声を耳にして、一瞬身体を硬直させる。
「パパ! 帰って来たぁ!!」
「パパ! ちゃんと待ってたんだよ? 偉い?」
「パパ! 早く外で鬼ごっこしようよ~」
「パパ! たっち! 今度はパパが鬼ね!」
「パパ! それ何? 何を持ってきたの~?」
「パパ! ここ熱いよぉ! 外に出たいよぉ!」
ノームとの鬼ごっこなんかすっかり忘れてしまったらしい白いの達が、口々《くちぐち》に声を張り上げながら、一か所に集まる。
そんな彼らに「パパ」と呼ばれた存在の姿を目にした俺は、思わず小さな声を漏らしてしまった。
「……キツネ?」
「随分と白いキツネだな。って、あのキツネがあいつらの父親なのか!? どういうことだよ」
「俺に聞かれてもなぁ」
しなやかな足運びで洞窟の中を歩いて来る真っ白なキツネ。
そんなキツネの背中に、白いの達が飛び乗っていく様子を見た俺は、危険性は無いと判断し、岩陰に隠れるのをやめた。
そして、なにやら口に袋のようなものを咥えているキツネの眼前に立ち、キツネに声を掛けてみる。
「お前が……いや、あなたが、俺達を助けてくれたのか?」
「……」
俺の問いかけを聞いた白いキツネは、ジーッとこちらを見つめながらだんまりを決め込んだ。
その様子に、俺が少し気まずさを覚え始めた時、キツネの背中に乗っていた白いのが、ケラケラと笑いながら告げる。
「パパが喋る訳ないじゃ~ん。一人で何言ってんのぉ? おもしろっ!」
「なっ!?」
「おいダレン、キツネが言葉を話せるわけないだろ? さすがのオイラも、き、気づいてたぜ」
ここぞとばかりに追い打ちをかけて来るノーム。
そんな彼に鋭い視線を送りながら、恥ずかしさで悶えそうになっていた俺を無視して、キツネが咥えていた袋をその場に置いた。
そして、鼻先で袋を指し示し、俺に何かを訴えかけてくる。
「な、なんだよ? この袋、何か入ってるのか?」
「中身を取り出せってことじゃないか?」
「あぁ、そう言うことか」
ノームに促される形で、袋を手に取った俺は、中に入っていた柔らかな何かを取り出した。
それは、毛皮で出来た何かのようで、少し年季が入っている。
「なんだこれ?」
「折りたたまれてるな。広げてみろよ」
「これは……服、っぽいな」
「着ろってことじゃねぇか? 流石のキツネでも、雪山で半袖の人間を見て、驚いたんだろ」
「仕方がないだろ? ってまぁ、それは良いとして。確かに、これはすごく助かるな。ありがとう。えっと、キツネさん」
ご丁寧に皮で出来たズボンまで準備してくれていたキツネに感謝を告げた俺は、すぐにそれらを身に纏った。
温泉の近くとはいえ、寒さは感じていたから、すごく助かる。
と、俺が身支度を整えるのを待っていた様子のキツネが、ゆっくりと温泉の方に歩き出し始めた。
途端に、蜘蛛の子を散らすようにキツネの背中から飛び降りた白いの達が、さっきと同じように遠巻きで、俺達のことを見ている。
そんな白いのを無視して、温泉の縁に座ったキツネは、鼻先で足元を嗅いだかと思うと、俺達の方を振り返る。
まるで、ここに来いとでも言っているようだ。
「変なキツネだなぁ」
「でも、ただのキツネってわけでもなさそうだよな」
「だな。なんていうか。俺達に何かを伝えたがっているようにも見えるし」
「オイラもそういう風に見えるぜ」
キツネが何をしたいのか、その真意を理解することはできないけど、敵意が無いのだけはわかった。
大丈夫。そう判断した俺はキツネの傍に歩み寄ると、大きく深呼吸《深呼吸》する。
「ふぅ……で? ここに何かあるのか?」
「……」
相変わらず、何も言わないキツネは、鋭い視線を俺に投げかけたかと思うと、なにやら自身の足元に視線を落とした。
微動だにせず、ジーッと足元を見つめ続けるキツネ。
何がしたいんだよ、と文句を言いたくなる衝動に駆られた俺は、ふと、キツネの目に、切ない光が宿っているような気がした。
肩を落とし、今にも泣きだしてしまうんじゃないかと思わせるほど、キツネは全身から哀愁を漂わせている。
その光景に思わず口を噤んだ俺は、同時に、1つの考えが頭の中に湧き出してくるのを感じた。
まるで、そこに見えない何かがあるとでも言っているようだ。
その考えに気が付いた俺は、咄嗟にノームに目を向け、問いかける。
「ノーム! 今ここで、ワイルドに覚醒することはできるか!?」
「は? いや、さっき言っただろ? 繋がりが切れたって」
「じゃあ、もう一回繋ぎ直してくれ!」
「なんでだよ? あれって結構……」
「あるかもしれない!! あの光が!! ここに!!」
俺の言葉を聞いたノームは、ハッとした表情を浮かべた後、じっと足元を見つめているキツネを見て、頷いた。
「ちょっと待ってろ。すぐに繋げて来るぜ!!」
そう言ったノームが地面の中に潜ってから数分後、俺はキツネの足元が煌々《こうこう》と輝きだしたことに気が付いた。
「おいダレン! どうだった……」
そう言って地面の中から姿を現したノームは、輝く光を目にして黙り込んだ。
そんな彼に頷いて合図した俺は、そっとキツネの傍にしゃがみ込むと、その頭を撫でるようにして手を伸ばす。
「まさか、ずっと待ってたのか?」
そう問いかけながら、俺はキツネの頭に触れた。それはつまり、同時に光にも触れることになる。
以前と同じように、一瞬にして華やぐ光の中、俺は誰かの泣く声を耳にした気がしたのだった。




