第62話 白い影
生ぬるい感触が、下半身を覆い尽くしている。
なぜだろう、とても穏やかで心地の良い感覚だ。
以前に同じような感覚を味わったことがある気がする。
これは、そう、まるで、寝小便を漏らしてしまった時のような……。
「ぬわっ!?」
思わず変な声を漏らしながら飛び起きた俺は、その反動で足を滑らせてしまった。
直後、ドボンという音と共に、温かな水の中に潜り込んでしまう。
なんだ!? どうなってんだ!? と混乱しながら、急いでお湯の中から頭を出した俺は、勢いよく息を吸い、周囲に目を配った。
暗い。どうやら洞窟の中みたいだ。
そして、そんな洞窟にある温泉の中に、俺は落ちてしまったらしい。
それだけ確認した俺は、明らかに記憶が欠落していることに気が付く。
「あれ……俺、さっきまで雪山に居たような?」
「まぁ、そういう反応になるよなぁ。オイラも初めは驚いたもんだぜ」
「は? ノーム!? どこにいる!?」
「後ろだよ後ろ。オイラがそんな深い所に入れるわけないだろ? 溺れちまうぜ」
咄嗟に背後を振り返った俺は、湯気の立つお湯がうっすらと溜まっている水たまりに、ノームを見つけた。
まるで小さな岩を枕にするように寝転がっているノームは、頬を上気させながら、片手で合図を送ってくる。
「よぉ。やっとお目覚めだな」
「よぉって、随分と寛いで……」
いつも通り、ノームに不満をぶつけようとした俺は、そこで一旦言葉を切った。
何故かって? 理由は簡単。ノームの姿が変わっているからだ。
正確には、元に戻っている、と言うべきか。
ワイルドという力に覚醒してから、ずっと緑色の葉を模した衣服と帽子を身に着けていたノームが、元の赤い帽子の姿になっていたんだ。
随分と久しぶりに見たその姿に、一瞬驚きながらも、俺は気を取り直す。
「えっと、色々と聞きたいことはあるけど、まずは、ここどこなんだ?」
「オイラも知らねぇ。気づいたら、この温泉につかってた。でもまぁ、そのおかげで体温が戻ったんだ。悪いことじゃないだろ?」
「悪いことじゃないけど……一体どういうことだよ。誰かが助けてくれたってのか?」
「まぁ、そういうことなんじゃないか?」
釈然としないノームの反応に、俺は少し落胆しつつ、今一度温泉に入り直した。
湯気が立っているとはいえ、湯から身体を出していると、少し冷える。
ってことはまだ、俺達がいるのは雪山のどこかってことで間違いなさそうだよなぁ。
「ところでノーム。お前、ワイルドを解除できたんだな」
「あぁ、それがよぉ、温泉につかって体を温めてたら、勝手に解除されちまったんだよ。なんていうか、つながりが切れたって感じだ」
「つながり?」
「あぁ、初めにワイルドに覚醒した時、オイラ、地面の奥深くの何かとつながったんだよなぁ~。不思議な感覚だったぜ」
「よく分からん」
「安心しろ。オイラもよく分かってねぇ」
いつも通り軽口を飛ばすノームの様子に安堵した俺は、大きなため息を吐いた。
「とりあえずは、ここでもう少し身体を温めてから、みんなを探しに行こう……みんなは、大丈夫だよな?」
「……分からねぇな。ちょっくら周りの様子を探しに行っても良いけど」
「行けるのか?」
「分からねぇ。正直、ちょっとビビってる」
彼がビビるのも仕方がないだろう。と言うのも、この雪山に上り始めてからのノームの弱り具合は異常だった。
それでも進めと言う彼に従って登ったわけだけど、まさかこんなことになるとは……。
今、この洞窟の外に出て皆を探しに行き、ノームがまた弱ってしまったら、今度こそヤバいかもしれない。
それに、あのバカでかい岩の化け物も、まだいるだろう。
そんな嫌な考えを吹き飛ばすように、お湯で顔を洗った俺は、改めて身体に視線を落とした。
目を醒ます前まで全身に感じていたはずの痛みが、殆ど消えている。
身体を温めた効果かな?
どちらにしろ、ずっとこのままじっとしているワケにはいかないなと考えた俺は、意を決して温泉から上がった。
やっぱり湯から上がると随分と冷える。
両手で体を摩りながら、洞窟の先に続いているであろうと思われる方へ歩き出した俺に、ノームが声を掛けてくる。
「おい、どこに行くんだ?」
「ずっとここにいるわけにもいかないだろ?」
「そりゃそうだけど……」
「とりあえず、外の様子を見てくる。ノームはここで……」
待ってろよ。
そう言おうとした俺は、不意に目の前に姿を現した白い影を見て、全身を硬直させた。
サイズは大きくない。ノームと同じくらいの小柄な白い影だ。
そいつは真っ白でフワフワとしたマントに身を包み、6本の触角の生えた白い帽子を深々《ふかぶか》とかぶっている。
そんな帽子とマントの間からクリッとした目を覗かせているその生き物は、不意に両手を大きく広げたかと思うと、大声を上げ始めた。
「目覚めたよぉ!! 泣き虫君が、目覚めたよぉ!!」
その途端、同じ姿をした5つの白い影が、洞窟の奥から飛び出してくる。
「やっとやっと、目覚めたんだねぇ!!」
「お話ししましょう! 今日も空は青いですよ!」
「楽しかった? 雪の中とお湯の中、どっちの方が楽しかった?」
「またまた出会えてうれしいよ。きっとまたいつか、会えるよね?」
「あの娘にまた会いたいなぁ~。ねぇ、また会えるよねぇ?」
支離滅裂なことを口々《くちぐち》に言いながら姿を現した白い影達は、何が面白いのかニコニコと笑いながら洞窟の中で踊り始める。
そんな白い影達を、茫然と見つめていた俺は、いつの間にかノームが肩の上に上ってきていることに気が付いた。
「なんなんだ? こいつら」
「さぁ、俺が知るわけないだろ?」
「もしかして、こいつらがオイラ達を助けてくれたってことか?」
「そんなこと……あるのか?」
そんな言葉を交わし、互いに顔を見合った俺達。
取り敢えず、言葉が話せるのなら情報を聞き出せるかもしれない。
そう思った俺が、白い影達に視線を戻した時。
6人の影の中の1人が、興味深い事を口にしたのだった。
「今度は水のお姉さんが見えないね。どこに行ったのお姉さ~ん」




