第58話 聞き捨てならない
地面からせり出して来た巨大な花の上で、俺はウンディーネの瞳を見た。
とても美しい、碧色の瞳だ。
強い輝きを放っているその瞳に、俺の視線は吸い込まれてしまう。
そんなウンディーネの放った言葉を思い返した俺は、腹部を押さえながら声を漏らす。
「何を……言ってるんだ?」
周囲に充満する緑色の光と共に、体中の痛みが薄れ始めるのが分かる。
ロネリーは完全に気を失っているらしい。
力なく肩に抱えられている彼女と、必死の形相のウンディーネを見比べ、俺はゆっくりと立ち上がった。
「待ってる……? 必ず来い……? ふざけるな、連れて行かせるわけ、無いだろ!!」
叫ぶと同時に、大きく一歩を踏み出した俺は、がむしゃらに地面を踏みつけてノームに合図をする。
しかし、俺の動きに合わせるように、リューゲとメデューサは、足元の影の中にゆっくり沈み始めていた。
このままじゃ間に合わない。
反射的にそう思った時、リューゲとメデューサを取り囲むように、4つの声が周囲に響き渡った。
「行かせないチ!!」
「これでも喰らえ!!」
「トリモドス!!」
「返してもらうよぉ~」
空中から風を駆使して攻撃を仕掛けるペポとシルフィ。
メデューサに目掛けて火弾を放つサラマンダー。
それらの合間を縫うように駆けて、リューゲの懐に潜り込むガーディ。
膝辺りまで影の中に沈んでしまっているリューゲ達は、4人の攻撃を避けることなんてできないだろう。
そんなことを考えた俺が、ようやく足元から飛び出て来た岩の柱に飛び乗った瞬間、リューゲがニヤッと笑みを溢した。
「往生際が悪いですねぇ」
ボソッとそう言った直後、彼は迫り来るガーディの眼前で一度、指をパチンと鳴らして見せた。
それとほぼ同時に、メデューサは自身の髪を使って、サラマンダーとシルフィとペポの攻撃を打ち消してしまう。
それでも、果敢にリューゲへと飛び掛かったガーディは、もう少しでロネリーに手が届きそうという所で、勢いよく後方へと吹き飛ばされてしまう。
「ガーディ!!」
地面と平行に伸びる岩の柱の上を駆けながら、俺は吹き飛ばされていったガーディを振り返った。
ゴロゴロと砂浜を転がるガーディは、顔を歪めてはいるけど、無事そうだ。
それだけ確認し、俺は改めてリューゲの元に駆けた。
奴らは既に、腹のあたりまで影の中に沈んでしまっている。
必然的に、肩に担がれているロネリーの足や、髪の毛先も、少しずつ見えなくなりつつあった。
「逃げる気か!!」
「戦略的撤退ですよ」
怒りに任せて叫ぶ俺の様子を楽しむように、そう言ったリューゲ。
その隣にいるメデューサもまた、非常に楽しそうな表情でロネリーを見つめると、不意に彼女の手を取った。
そして、自身の髪である数匹の蛇に、ロネリーの手を噛ませ始める。
「なっ!!」
「いいなぁ、いいなぁ。アンタにはこんなにきれいな髪があって、それに肌もきれいだし、さっき見た時、瞳も綺麗だった。そりゃ、こうやって仲間たちが助けに来てくれるよなぁ」
これ見よがしにロネリーの身体に触れ始めたメデューサが、不意に俺の方に目を向けようとする。
咄嗟に視線を外した俺は、足元の何かに躓いて、そのまま岩の柱の上から転げ落ちてしまった。
砂の上を転がりながらも、俺はメデューサの声を耳にする。
「だけどさぁ、もし、助けに来た時、アンタの腕が足が瞳が、毒で爛れて腐り落ちてたら、アンタの仲間たちは、本当にアンタを受け入れてくれるのかねぇ」
「やめろ!! この娘に触れるでない!!」
「おや、良いのかい? あんたは今、この小娘の身体から毒を浄化することに専念するべきだろう? 私なんかの相手をしていたら、本当に腕が腐り落ちてしまうよ?」
「くっ!」
聞き捨てならない会話をしている2人の声に駆り立てられるように、急いで体勢を整えた俺は、再び走り出す。
だけど、その時にはもう、遅かった。
「それじゃあ、これにて我らは退散するとしよう。また会えることを、そしてあった時の絶望の表情を、楽しみに待っていますよ」
地面にできた影の穴から、片手だけを出したリューゲが、そんな言葉を残して消えてゆく。
その様子を目にして、俺は無我夢中で影の穴に目掛けて飛び込んだ。
だけど、既に閉じてしまったらしい影の穴は、砂浜のどこにも見当たらない。
当然、砂の上を滑ることになった俺は、四つん這いの状態で茫然としてしまう。
「嘘だろ……おい、嘘だろ!?」
「ダレン……」
「ノーム!! 早くロネリー達を探してくれ!! まだ、まだそんなに遠くまでは」
「ダレン! ダメだ、もう見当たらない」
「は?」
「さっきから何度も探してんだよ!! でも、もういない。消えちまった」
ノームの言葉を聞いた俺は、どうしても、彼の言うことを信じることができなかった。
両手が痛むまで、砂をかき分けて穴を掘ってみても、ノームに頼み込んで、もう一度地面の中を探してもらっても。
もうどこにも、ロネリーとウンディーネの姿は無かった。
何か方法は無いか。
奴らの後を追いかけて、彼女を取り戻す方法は。
必死に思考を繰り広げてみるけど、何も答えは見つからない。
方法があるとすれば、奴らが言っていたように、西の山脈を越えて、魔王のいる場所に赴くしかないのだろう。
だけど、それは絶望的と言って良いほどに時間が掛かるのは明白だ。
その間、彼女がどれだけひどい目にあわされるか。考えただけでもおぞましい。
砂で埋め尽くされている視界の中、波の音だけが時間の経過を教えてくれる。
どれだけ考え込んでいたのか分からないくらい、ずっと四つん這いで砂浜を見つめていた俺は、誰かが近づいてきたことに気づく。
その人物は、俺の傍らに立つと、地面を引きずるほど大きな翼で俺を包み込んだ。
「ペポ……」
「ダレン……アタチ、見たチ」
そう告げたペポは、俺を包んでいた翼を元に戻して、周囲を見る。
彼女の視線に釣られて周りを見た俺は、こちらにやってくるガーディとサラマンダーの姿を目にした。
ガーディは全身に擦り傷を負った状態で、目元を赤く腫らしている。
そんな彼の足元にいるサラマンダーは、すごく暗い表情で俯いている。
「連れていかれる時、ウンディーネが、泣いてたチ」
「え……?」
「あのウンディーネが、泣いてたチ!」
思わず聞き返してしまった俺に向けて、ペポが語気を強めて言う。
「僕も見ました。ほんの一滴だけですけど、涙を落として……怖かったんだと思います」
涙を必死にこらえるような声音で、口々に告げるペポとサラマンダー。
そんな2人の話を聞いて、俺が動揺していると、ガーディが俺の両肩を鷲掴み、真剣な眼差しを向けて来る。
「タスケにいく!! スグにいく!!」
あまりに力強く肩を揺さぶられた俺は、四つん這いの状態をやめてその場に座り込むと、両手に視線を落とした。
ウンディーネが言っていた。待っていると。必ず来いと。
まるで、今の俺達じゃ、あの状況からロネリーを取り返すことができないと、分かっていたかのように。
そのことに、俺は憤りを感じていた。
でも、実際どうだ?
結果としてリューゲとメデューサに、ロネリーとウンディーネは連れ去られてしまった。
急いで行って、本当に助け出すことができるのか?
そんな考えが脳裏に浮かんだせいか、俺は思わず呟いてしまう。
「俺達が行って……助けることができるのか?」
言った直後、俺は強烈な痛みを右の頬に感じながら、背後に吹っ飛ばされる。
「許さないチ!!」
耳に入ってくる彼女の声を聞いて、俺はペポの翼の一撃を受けたんだと理解した。
地面に転がっている俺の元に飛び込んで来たペポは、その小さな身体で俺に馬乗りになると、涙を溢しながら叫び出した。
「どこの誰が諦めても、ダレンが諦めるのだけは許さないチ!! 絶対に助けに行くチ!!」
叫ぶペポの涙が、俺の頬にぽたぽたと落ちて来る。
それらの涙を手で拭った俺は、歯を食いしばりながら彼女に言い返した。
「俺だって諦めたくないさ!! でも、奴らは強かった!! ペポだって、圧倒されてたじゃねぇか!! それに、あのメデューサって悪魔の能力はどうするんだ!? ロネリーが居ない今、俺達だけで対処する方法があるのか!?」
「それでもダメッチ!! 諦めるのは許さないチ!!」
言い返した俺を、更に翼で一度ぶっ叩いてくるペポは、再び叫び声を上げる。
新たに左の頬に翼の一撃を受けた俺は、怒りに任せて叫び返した。
「なんでだよ!!」
直後、ペポは更に大粒の涙を溢しながら、告げる。
「ウンディーネを……ロネリーを助けることができるのは……ダレンだけチ」
彼女を助けることができるのは、俺だけ?
助けたいのは山々だけど、俺だけじゃなくて他の誰かが助けることだってできるだろ。
そう考えた俺が、疑問を口にしようとしたその瞬間。
背後から大柄なゴブリンのケイブがやってきて、告げたのだった。
「あぁ、それって、ウンディーネにかけられた呪いが関係してるゴブゥ?」




