第50話 大粒の涙
ダンドス樹海を北に抜けた俺達は、ついに海岸へとたどり着いた。
延々と歩き続けたせいで、両足に痛みを覚えていた俺だけど、白い砂浜と青い海、そして波の打ち寄せる音を聞いた途端に、気持ちが晴れやかになる。
感動のあまり、俺達が立ち止まって壮観な景色を眺めていると、サラマンダーの背中で横になっていたアパルが、突然叫び出した。
「あばばぁ!!」
「お? アパル! お前も海を見て元気が出たか!?」
「あばぁ!!」
両手を上に伸ばしながら声を上げるアパルを見て、微笑みを浮かべたロネリーが、サラマンダーの傍に寄ってしゃがみ込んだ。
海から吹いて来る潮風が、彼女の綺麗な金髪を靡かせている。
綺麗だなぁ。なんて思う俺を余所に、彼女はアパルをあやしながら口を開く。
「ふふっ、本当に元気になってますね。さっきまで泣いてばっかりだったのに」
「多分、アパルも初めて海を見たから、感動してるんですよ。僕も感動してるので、きっとそうです」
背中の方を振り返るようにして言うサラマンダー。
例の如く、彼の背中はアパルが寝れるようなお椀の形に変化しているわけだが。どうなってるんだろう。
まるで、元気になったアパルに吸い寄せられるように集まってきたペポ達もが、会話に混ざり始めた。
「アタチは初めてじゃないチ。でも、いつも見下ろチてたから、なんか新鮮っチ」
「海って良いよねぇ。すごく元気な風が吹いてて、ウチにとっても気持ちいい場所だもん」
そんな彼女たちの言葉を聞いたノームが、いつも通り俺の頭の上で言い出した。
「元気な風かぁ、まぁ確かに、海の風は元気すぎるくらい強いなぁ。オイラ、気を抜いたら吹っ飛ばされそうだぜ」
言いながら俺の髪をギュッと握りしめたノームに、悪戯っぽい笑みを浮かべたシルフィが告げる。
「大丈夫だよ~。吹っ飛ばされてもウチが拾ってあげるから、思いっきり飛んでみなよ」
「やる訳ねぇだろ!? ったく、恐ろしいこと言いやがって」
「オデ、ソラとんでみたい!! とべるノカ!?」
更に会話に加わって来たガーディが、シルフィに向かってキラキラとした目を向けていた。
なんとなく、彼の提案に賛同したくなった俺は、すぐにペポに目を向けて提案してみる。
「ペポに乗せて貰ったらどうだ? なぁ、ペポ。後で俺も乗せてくれよ。こんないい天気なんだ、空の散歩は絶対に心地よさそうだし」
「嫌だチ!! 断るチ!!」
いつものように、頑なに断られた俺は、特に気落ちするでもなく視線を海に向けた。
そこでふと、話の流れからあることを思った俺は、なんとなくロネリーに声を掛ける。
「心地いいって言えば、ウンディーネこそ、海に入れたら一番心地いいんじゃないのか? 辺り一面水なんだし」
俺の言葉を聞いた途端、ロネリーの背中から姿を現したウンディーネは、首を横に振って見せる。
「ワラワが主らと同じようにはしゃぐとでも思うたか?」
「いや、はしゃぐまでは思ってないけどさぁ」
「ウンデーネは、ウミ、キライなのか?」
すかさず疑問をぶつけるガーディに、ウンディーネは目をカッと見開いて言う。
「ウンデーネではない。ワラワの名はウンディーネだ」
「ス、スマン」
「もう、ウンディーネったら。それくらい良いじゃない」
「ウンディーネは素直じゃないからなぁ。仲良くしたくても、できないんでしょ」
「っ!! シルフィ!!」
「おっと、危ない。ウチにそんな水の攻撃が当たると思ったの~?」
ウンディーネに対して軽口を言えるのは、多分シルフィだけだ。
なんてったって、彼女はウンディーネの放つ水弾を軽々と避けてしまうんだからな。
本当に羨ましいよ。
なんてことを俺が考えていると、俺の頭の上にいたノームが、流れるような口調で言った。
「おまけに不器用だしな」
「っ!!」
「あ、ちょ、まっ!!」
ノームの言葉を聞いた途端、勢いよく視線をこちらに向けたウンディーネ。
そんな彼女を制止しようと声を上げた俺は、直後、ノーム諸共ずぶ濡れになっていた。
「なんで余計なこと言うんだよ……」
「すまん、つい口が滑ったんだ」
仰向けに倒れたまま、皆の笑い声を聞いていた俺は、一つため息を吐きながら上半身を起こす。
背中にじゃりじゃりとした砂が貼りついている気がする。でも、どれだけ手で払っても取れないのは、濡れてるせいだ。
そんな俺に向かって手を差し出してくれるロネリーを見上げた俺は、彼女の手を取って立ち上がった。
そして、またノームが変なことを口走ってしまう前に話題を変えようと、俺はずっと続いている砂浜に目を向けながら告げる。
「さて、とりあえず海に着いたけど。これからどうするかなぁ」
「人魚……でしたね。シンの話だと、このあたりの海にもいるって言ってましたけど。どうやって探せばいいんだろう。僕にはさっぱりです」
俺と同じく砂浜を眺めながら言うサラマンダー。
他の皆も、これと言ってアイデアは無いのか、少しだけ沈黙が続いた。
「やっぱり、住んでるとしたら海の中でしょうか?」
「だとしたら、探すのは大変そうチ」
「そもそもの話だけどよ。人魚を見つけたとして、オイラ達はなんて言って声を掛ければいいんだ? ちょっと肉を食わせてくれって言うのか?」
「そんなこと言ったら逃げられるチ」
「そうだねぇ~」
「無理矢理ってのも、ダメだしな。別の話を知ってたりしないか、聞いてみるくらいじゃないか?」
「そうですね」
俺が挙げた取り敢えずの提案に、皆が同意してくれる。まぁ、同意するしかないよな。
でも、この案を実行に移すためには、そもそも人魚と接触しなくちゃいけないわけで、俺達が抱えている悩みは何一つ解決できていなかった。
とその時。不意にシルフィが皆の前に躍り出て、口元に人差し指を当てながら言った。
「ねぇみんな。何か聞こえない? ウチだけ?」
言われて耳を澄ましてみた俺は、幾つかの音を聞いた。
海から吹き抜けて来る風の音。海の上を飛んでいる鳥の鳴き声。波の崩れる音。
それらの音を聞き取った俺は、特に変な音は聞こえないと言おうとして、口を噤む。
確かに、シルフィの言うように、聞き慣れない声を耳にしたんだ。
「お~い!! レン!! レンでしょ!! こっちこっち!!」
海の方から、少し高めの声が、誰かを呼んでいる。
声のする方に目を向けた俺達は、海の中から何者かが手を振っていることに気が付いた。
「? レン? ダレンの事かな?」
「いや、俺はこんなところに知り合いはいないぞ?」
首を傾げながら尋ねて来るサラマンダーにそう返した俺は、少し気を引き締めながら海の方に歩み寄って見た。
俺のそんな動きに気づいたのか、声の主もゆっくりと俺達の方に近づいてくる。
じゃぶじゃぶと海の水を踏みしめながら、膝くらいまで水に浸かったところで、俺はようやくその人物の姿を目にすることができた。
しっとりと濡れている真っ黒な髪を持った女性。
そんな女性が、海の中を泳いできている。
泳いでいると言っても、その速度はかなりのもので、まるで魚みたいだった。
と、俺がそんなことを考えた時、あっという間に近くまで来ていた女性は、もう泳げない程の浅瀬に差し掛かると、下半身を引きずり始めた。
その姿はまさに、人魚と呼ぶべき姿で、俺は思わず唖然とする。
対する人魚もまた、俺とその背後にいるロネリー達を見て、言葉を失っている様子だ。
そうして、互いに言葉を失って数秒後、先に口を開いたのは人魚だった。
「あの……あなた達は、もしかして、4大精霊の継承者だったり?」
「え、っと。はい。そうだけど」
「そっか……」
俺の返事を聞いて、あからさまに肩を落とした人魚は、深いため息とともに大粒の涙を流し始めたのだった。




