第45話 蜃気楼
湖の上にいるのは、巨大な龍だ。
眼前にある巨大な黄色い瞳を見た俺は、そこで初めて理解した。
対して、白い鱗に覆われた龍は、細い目で俺達を見下ろしている。
口元から覗かせているデカい牙は、俺達なんか簡単に噛み砕いてしまうんだろうなぁ。
恐れと感心が入り混じった感想を心の中で呟いた俺は、ゆっくりと口を開けると、声を掛けてみることにした。
「は、初めまして。いや、おはようございますか……?」
「何を素っ頓狂なことを言っている?」
「いえ、その、ははは。ちょっと驚いただけです」
巨大な口から洩れる大量の霧と、鋭い牙の様子を見た俺が、動揺しないわけがない。
そもそも、突然現れた龍を前に、冷静さを保つことが難しいんだ。勘弁してくれよ。
顔を引きつらせながら笑みを浮かべる俺を、龍はジーッと見つめてきた。
見つめると言うか、観察していたって言った方が良いのかもしれない。
その視線に耐えるように、身動き一つできないままに沈黙していると、不意に龍が口を開く。
喰われるっ!?
と慌てて、俺がビクッと身体を震わせたその時、龍は不思議そうに頭を傾げた。
「貴様、何者だ?」
「いや、それはオイラ達のセリフだっ!!」
「ちょ、ノーム!?」
頭の上で盛大にツッコミを入れるノームに、俺は思わず声を張り上げる。
幸か不幸か、龍はノームのツッコミなんて意に介していないらしく、相変わらず頭を傾げたままだ。
その様子にホッと胸を撫で下ろしながら、俺は改めて言葉を交わしてみることにした。
「俺はダレン、人間です。で、こいつは俺のバディのノームで、大地の大精霊。ところで、あなたは龍ですよね? どうしてこんなところに?」
意識して丁寧な言葉を使いながら、俺は龍の様子を伺う。
「ダレン? ノーム? 大地の大精霊?」
ブツブツと呟く龍の声音には、疑問と混乱が見て取れた。
俺達と同じように、この龍も状況を把握できていないってことらしい。
ひとしきり周囲を見渡したりした後、思い出したように俺に目を向けた龍は、再び問い掛けてくる。
「おい、ここはどこだ?」
「そこから!? え、えっと、ここはダンドス樹海の中にある湖の畔で、ウルハ族の砦の傍です」
「ふん……そうか」
そこで言葉を区切った彼は、キリッとした表情を浮かべた後、短く告げた。
「何一つ分からん」
「どうやってここに来たんだよ……」
「この際、ここがどこなのかはどうでもよい。それよりも、貴様、ダレンとノームと言ったか? 貴様らが、あの忌々しい笛を吹いたのだろう? でなければ、ここに到達することは出来ぬはずだからな」
「笛?」
「ダレン、笛って言ったら、あの魔物を呼び出す笛の事じゃねぇか? 魔王軍が使ってたやつだ」
「あぁ、あれのことか」
「やはり知っているようだな」
「し、知ってるけど!! あの笛を吹いたのは俺達じゃないぞ…‥です!!」
俺とノームが笛のことを知っていることを確認した途端、大口を開けて食らいつこうとしてくる龍。
そんな龍に向かって大声を張り上げながら否定した俺は、笛の事や魔王軍のことを簡単に説明した。
「ってわけで、その笛は俺達じゃなくて魔王軍のゴブリン達が持ってるんだ……です」
「なぜそのような者共に渡した?」
「いや、元々オイラ達の物じゃなかったけどなぁ」
「そうです、初めにその笛を見たのは、ここから南西の方にある遺跡の中で、その時はリューゲって悪魔が笛を持ってたんだ。で、さっきはゴブリン達が笛を使って魔物を呼び寄せて、俺達にけしかけて来た……んです」
「貴様らの物じゃなかった……だと?」
「はい」
「だが、貴様はさっき言ったではないか。大地の大精霊だと。それはつまり、あ奴の後継という訳ではないのか?」
「あ奴? っていうのは、誰の事? ノーム、知ってるか?」
「オイラが知る訳ないだろ? お前と一緒に生まれて、今まで生きて来たんだぜ?」
「それもそうか」
俺達の様子を見て、さらに混乱している様子の龍。
そんな彼に、俺はさっきも尋ねたことをもう一度聞いてみることにした。
「ところで、あなたは誰なんですか? 見たところ、龍みたいですけど」
「……吾輩か? 吾輩の名はシン。貴様らが言う所の、深霧のドラゴンだ」
「深霧のドラゴン、シン。カッコいい名前ですね。ところで、どうしてここにいるんですか? 少し前までは、このあたりにいなかったと思うんですが」
「ふん、吾輩は湖の底で深い眠りについておったのだ。それを、あの耳障りな笛の音で叩き起こされ、また奴が攻め込んできたのだと憤っていたところに貴様らが現れた」
「ごめん、オイラ全然理解できないんだけど。奴って誰? さっきの“あ奴”と同じか?」
「さぁ……俺も分からない」
聞いた手前、止めるわけにもいかない俺達は、自分語りを始めたシンの言葉に耳を傾けるしかなかった。
変に気分を害して、殺されたらたまったもんじゃないしな。
そんな俺達のことを忘れたかのように、シンは自らの話を続ける。
かつて行われた“奴”との闘いの日々や、その“奴”が笛を駆使して戦っていたこと。
そして、どうやらその“奴”がノームに似通った力を持っていたらしいこと。
興味深い内容を得意げに話していたシンは、ふと、何かを思い出したかのように俺達に声を掛けてきた。
「おい、貴様らが奴の後継でないのなら、誰が奴の後を継いだのだ?」
「えっと、それは俺達にも分からない」
「って言うか、その“奴”ってのが誰なのかも、オイラ達は分からないんだけどな」
首を横に振って応える俺達を見て、目を見開いて見せたシンは、信じられないとばかりに呟いた。
「では、誰があの役目を担っている?」
「役目?」
シンの呟きが気になった俺は、思考を巡らせる。
シンが戦っていた何者かには、何かしらの役目があった。
そして、その何者かはノームと同じような力を持っていたと、シンは言っている。
と言うことは、ノームには何らかの役割があるってことか?
役割って、何?
「……ダメだ。何も分からない」
考えすぎと混乱のしすぎで、少し頭が痛くなってきた。これ以上考えるのはやめよう。
そう考えて小さなため息を吐きながら空を見上げた俺は、ゆっくりと霧が晴れ始めていることに気が付いた。
「な、なんだ? 霧が晴れていくぞ?」
頭の上に乗っているノームも、すぐにそのことに気が付いたらしい。
そんな霧を発生させていたと思われるシンは、相変わらず湖の上に浮かんだまま、俺達を見下ろしている。
「敵襲の恐れが無くなったのだ、警戒する必要もあるまい」
「あぁ、そう言うことですか」
すっかり威圧感が薄れてしまったシンは、少し眠そうな瞳をしている。
視界が鮮明になるにつれて眩しさを覚えた俺が、目元を手で覆ったその時。
聞き覚えのある声が周囲から聞こえてきた。
「ダレンさ~ん!!」
「ダレン!!」
声のした方に目を向けた俺は、ロネリーやペポ、それにフェルゼン達が駆け足でこちらに向かって来ている様子を目にする。
よく見れば、彼女たちの背後には砦にいたはずのウルハ族までいる。
「さっきの霧は、人を遠ざける効果でもあったのか?」
状況からそう推測した俺は、ロネリー達がシンを見て驚いている様子に小さな笑みを溢しながら、右手を大きく振ったのだった。
「おぉーい! みんな、無事かぁ?」




