第44話 白くて濃い霧
「あれだけ居たのに、全部消し炭になってる……」
俺の後から岩のドームの外に這い出して来たロネリーが、周囲を見ながら呟いた。
そんな彼女のさらに後から勢いよく外に飛び出したペポが、上空を見上げて言う。
「でも、全部燃えた訳じゃないっチ。上に逃げた奴らがいるチ!!」
彼女の言うように、チリチリと燃え続けている木々の葉の間を、数体の蜘蛛が移動している。
それらの殆どは、この場から逃げ出すかのように動いているけど、中には糸を伝って降りてこようとする個体も居た。
このままだとサラマンダー達の傍に降りてしまうなぁ。
なんて考えた俺は、とりあえず注意だけしておくことにした。
「おい、サラマンダー! ガーディ! 上から蜘蛛が来てるぞ」
言われてすぐに、頭上を見上げるサラマンダー達だが、どうやらさっきの攻撃で疲弊しているらしく、動けないらしい。
蜘蛛に対して威嚇を始めるガーディを見て、俺が助けに向かおうとしたその時、頭上を飛んでいたペポが声を発した。
「シルフィ!! 切り刻むチ!!」
「ちょっと借りるね~」
彼女の指示を受けたシルフィは、俺の手から岩のナイフを搔っ攫って行くと、それを風に乗せて蜘蛛を切り刻む。
手癖が悪いなぁと思う反面、その鮮やかな手並みを見た俺は、素直に感心する。
「これで全部倒せたチ?」
「殆どサラマンダーがやったけどな」
もう周りに魔物の影が無いことを確認する俺とペポ。
完全に安全だと判断した俺達は、一斉にベックスとケイブの方を見た。
そろりそろりと、足音を立てないように、樹海の方に向かおうとしていた2人は、俺達の視線に気が付くと、地団駄を踏み始める。
「く、くそ~!! なんでうまくいかないゴブか!!」
「べ、ベックス、逃げようゴブゥ」
「それができるなら、既に逃げてるゴブ! あいつらが逃がしてくれると思うゴブか!?」
「う~ん、無理ゴブゥ」
「こうなったら、俺達2人の命が尽きるまで……ん? なにゴブ?」
あまり危機感を覚えているようには聞こえないやり取りをする2人。
彼らが今まさに、俺達に向かって武器を構えようとしたその時。
大きな異変が1つ、周囲の空気を満たしていった。
その異変に真っ先に気が付いた、小柄なゴブリンのベックスは、首を傾げながら呟く。
「霧?」
彼の言うように、白くて濃い霧が樹海の地面に沿って姿を現す。
瞬く間に広がって行ったその霧は、あっという間に俺達の背丈よりも高くまで充満すると、周囲を真っ白に染め上げた。
「またあいつらの罠かもしれない、皆、集まろう!」
「俺達もこんな霧知らないゴブ!!」
ベックスの言葉を信用するわけにもいかず、俺達は互いの姿が見える位置に集まった。
「霧が出てきたのって、ウルハ族の砦の方角だよな。このあたりじゃ、霧はよく出るのか?」
そんな俺の問いかけに、フェルゼンは首を振りながら応える。
「今までこんな霧、見たことないぞ?」
「ちょっと空から砦の様子を見て来るチ!」
「ペポさん、気を付けてくださいね!」
「分かってるチ!」
そう言い残して、シルフィと共に空高く飛んで行ったペポ。
今なら蜘蛛の魔物も周囲にいないし、多分大丈夫だろう。
そう考えた俺は、すっかり見渡せなくなった周囲に目を配りながら、頭の上のノームに声を掛けた。
「とりあえず、サラマンダー達と合流した方が良さそうだ。ノーム、案内してくれ」
「分かったぜ。っと、一応報告しとくが、あのゴブリン共、逃げ出してるぜ」
「厄介だな、でも、今はサラマンダー達が優先だ。2人も、それで良いか?」
「はい。私もそう思います」
「俺も異論はないぜ、サラマンダーが居れば、あいつらが戻って来ても、また撃退できるだろう」
「よし。それじゃあ、サラマンダー達と合流したら、ペポが戻って来るのを待って、ウルハ族の砦に戻ろう」
「はい!」
「おう!」
そう言って歩き始めた俺達は、数十秒後、見事にはぐれてしまった。
気が付けば周りには誰も居なくなっていて、深くて白い霧だけが見える。
時折、ロネリーやペポ、そしてフェルゼンの声が聞こえて来るけど、不思議な反響の仕方をしているせいで、方向がつかめない。
「ノーム、どうなってるんだ!?」
「分からねぇ。でも、絶対にこの霧のせいだぜ! 一応、オイラ達は迷わずに砦に向かえてるはずだ。でも、他の皆がデタラメに歩くせいで、収拾がつかねぇ」
「困ったなぁ。ってことはまず、この霧を何とかするのが先決ってことだな」
「みたいだな。でも、この霧の原因は、オイラにも分からねぇぞ?」
「霧ってつまりは、水だよな? ってことは、湖と関係があるんじゃないか?」
「湖か。そんな変なものがあるようには思えなかったけどなぁ」
「で、砦まではあとどれくらい?」
「もう少しだぜ」
ノームのその言葉を聞いた俺は、小走りで樹海の中を進み、砦へと急いだ。
そうして、ようやく砦に辿り着いた俺は、周囲を見渡す。
「この辺も霧が深いなぁ」
「砦の中も霧だらけだ。って言うか、ウルハ族の奴らはどこに行った?」
「え? 砦の中に居ないのか?」
「誰もいないぞ。って言うか、さっきまで感じてたみんなの気配もどんどん遠ざかって行ってる……あれ? これってもしかして、オイラ達が迷ってるのか?」
「頼むぜノーム。大地の大精霊だろ? 道に迷うなんてこと、しないでくれよ?」
「そんなことある訳がないだろ? ダレンは馬鹿だなぁ。ははははは」
「おいおい、俺のことを馬鹿にしてる場合か? でもまぁ、ノームの言うこともあながち間違ってないかもな」
「なんでそう思うんだ? ダレン」
「俺さぁ、さっきから湖の上に巨大な建物が見えるんだ。黒くて、でかいやつ」
「奇遇だなぁ、ダレン。オイラにもそれが見えるぞ? もしかしてオイラ達、2人して馬鹿になったのかもな」
「そうかもなぁ」
あははははは。と2人して笑った俺達は、数秒後、口を噤んで沈黙した。
おかしい。何かが変だ。
そもそも、湖の上に建物なんて無かったし、そんな場所に建物を建てる奴なんて、そうそう居ないはずだ。
それなのに、今の俺の目には間違いなく、その建物の影が目に見えていた。
首が痛くなるほどの高さまで聳えているその建物は、まるで山のようだ。
半ば自分自身を騙すように、そんなことを考えた俺は、直後、信じられないものを目の当たりにする。
建物だと思っていた巨大な影の天辺付近が、唐突に動きを見せたんだ。
充満する霧をかき分け、空気を揺らして立ち昇ったその太い影は、うねりながら俺の元に伸びてくる。
そうして、俺のすぐ目の前にまで降りて来た“それ”は、でかくて黄色い瞳で俺を睨みながら、告げたのだった。
「ここにたどり着けたということは、吾輩の眠りを邪魔したのは貴様だな? どうしてくれようか」




