第25話 繊細な心
思ってもみない形で自分の身の上話を耳にした俺は、それ以降、あまり話が頭に入ってこなくなった。
ホーネットが引き続き、霊峰やサラマンダーや北と言った単語を並べていたように思えるが、よく思い出せない。
そんな状態の俺は、食事すら適当に済ませてしまい、今は屋根付き広場から少し離れた木陰に腰を下ろし、空を見上げている。
俺が腰を下ろしている木は、この浮き岩の端に当たるらしく、少し見下ろせば眼下の様子を見ることができた。
とはいってもすっかり日が暮れてしまったので、今は詳細を観察することはできない。
それとは対照的に、空に輝く星々と丸い月は、これ以上ないほどの存在感を放っていた。
「なぁノーム。母さんと父さんって、どんな人だったと思う?」
「ん? さぁな。母親なら、少しだけ見たことあるけど」
「え!? 本当か!?」
「あぁ。オイラ達を生んだ後、すぐに死んじまったよ」
「……そうなのか」
少し落ち込む俺を気遣うように、ノームは肩を竦めながら続ける。
「まぁ、ダレンはまだ赤ん坊だったし、覚えてなくて当然だよな」
「ん。そう言えば、ノームは生まれた時、どんな感じで生まれたんだ?」
「オイラもダレンと一緒に生まれたぜ? まぁ、ダレンとは違ってその時から既に、意識ははっきりしてたけどな」
「母さん。どんな見た目だった? 父さんは居たのか?」
「お前と同じ黒髪で、小柄な女だったぞ。あとその場に居たのは、ガスだけだ」
「ってことは……いや、ガスが父親って考えるのは違うか」
「違うだろ。ガスは何度も言ってたしな。俺はお前の父親じゃねぇ!! って。それで、ダレンが半べそかいて泣き出すと、慌てたように謝るんだ」
「そんなことあったか?」
「あったぞ? ダレンがまだ5つにもなって無い頃だな。オイラは鮮明に覚えてるぜ?」
「そうなのか……」
ノームに言われてなんとなく、俺はそんなこともあったような気がした。
確かに、ガスは山のことで俺と喧嘩になった時に「俺はお前の父親じゃねぇ!!」って言うことはあったけど、聞き慣れすぎて忘れてたよ。
久しぶりにガスのことを思い出した気がした俺は、懐かしさと寂しさを紛らわせるために、小さく笑みを溢した。
その時、後ろの方から誰かが声を掛けてくる。
「あの、ダレンさん。となり、良いでしょうか?」
すぐに背後を振り返った俺は、金髪を風に靡かせている碧眼の少女を目にした。
夜闇の中でも目を引く彼女の綺麗な金髪と瞳は、俺の胸をざわつかせる。
「ロネリー? 別に、構わないぞ」
「失礼します」
そう言って俺の左隣に腰を下ろしたロネリーは、右手で髪を耳にかけながら、空を見上げた。
そんな彼女に釣られるように、俺も夜空を見上げる。
「ここ、風が心地良いですね」
「そうだなぁ」
あまりにも短い言葉を交わした俺達は、それからしばらく沈黙した。
会話がない。
ロネリーは俺に何か用があってここに来たんじゃないのか?
そんな考えと微妙な気まずさを覚えた俺は、そっと彼女の横顔を覗き見る。
月明かりに照らされた彼女の横顔は、爽やかに吹き抜ける風と相まって、どこか神秘的に見える。
と、そんな彼女の横顔に見惚れていた俺は、不意にロネリーと目が合ったことに気が付いた。
「どうかしましたか?」
「え? あぁ……いや、なんていうかさ。何か用があってここに来たんじゃないのかなぁ? って思って」
「用事……と言うほどのものじゃないですけど」
俺の問いかけに、少し口ごもった彼女は、伸ばしていた膝を両手で抱え込むように座り直すと、小さく呟く。
「ダレンさんが、落ち込んでたりしないかなぁって思ったので」
「俺が? 落ち込む? どうして?」
「だって、今日ホーネット様の話を聞いてから、少し様子がおかしかったから」
「ロネリー、オイラはともかく、ダレンにそんな繊細な心があると思ってんのか?」
「おいノーム、それはどういう意味だよ!? むしろ、繊細な心を持ってないのは、お前の方だろ!?」
「何を言ってるんだダレン。オイラ程の紳士は、この世界どこを探しても見つからないんだぜ!?」
「紳士? 本気で言ってるのかよ!? そんなデマカセ言ってたら、またウンディーネにずぶ濡れにされるぞ?」
「あれはほんの小さな過ちってやつだ。そんな細かいこと、気にするんじゃねぇよ」
「気にするのが繊細な心の持ち主だろ!?」
「……確かに」
「認めるのかよ!?」
「ふふっ」
言い合いをする俺達の傍らで、ロネリーが小さな笑みを溢す。
そんな彼女の様子に気が付いた俺とノームは、一瞬互いの顔を見合わせた。
「ふふっ。元気そうで良かったです。あ~あ。無駄に心配しちゃって損しました」
「そんなに心配しなくても、俺もノームも大丈夫だよ。それとも、そんなに思い悩んでるように見えたのか?」
「見えましたよ。ホーネット様が話してる間も上の空でしたし、夕食もあまり食べてませんでしたよね? だからてっきり、何か悩んでるのかと」
「そんな風に見えたのか」
少し気恥ずかしそうに俺の様子を語るロネリー。
そんな彼女を見た俺は、ちょっとだけ嬉しさと驚きを感じ、思い切り身体を伸ばしたくなった。
降ろしていた腰を上げて立ち上がり、一歩前に踏み出しながら全身で伸びをする。
体中の血液が一斉に目を醒ましたような、心地の良い感覚に満たされた俺は、大きく息を吐くと、頭上に上げていた両腕をだらりと降ろす。
そうして、眼前の壮大な景色を眺めながら、背後に座ったままのロネリーに告げた。
「母さんの事とか、父さんの事とか、俺、あまり考えたことなかったから。ちょっと物思いに耽ってただけだよ」
「……そうなんですね」
「そう、耽ってただけだ。どんな人だったんだろうって、夢中になってな」
「オイラ達の親なんだぜ、そりゃあもう、繊細な心を持ってたに違いねぇ」
「ははっ。違いない」
「そうですね」
「そんな母さんたちに、皆が色々と託したんだよな……」
「母さんたちにって言うか、オイラ達にだな」
「そうだな。だったら、俺達はちゃんと託されたものを受け取って、繋げないといけない」
「でも、良いんですか?」
やけに元気のない声で、ロネリーがそう呟いた。
なんで急に元気を無くしたんだろう。そう思った俺は、背後を振り返って彼女の様子を見る。
さっきと同じように、膝を抱えたままでいる彼女は、控えめに俺を見上げながら、口を開いた。
「この先は、今まで以上に危険ですよ? 本当にいいんですか?」
何かを探るような問いかけ。
そんな彼女の真意を、俺はすぐに理解した。
4大精霊の中で、ノームだけが唯一、途絶える可能性のある大精霊だという話。
きっと、彼女はそのことを気にしてる。
そう思った俺は、不意に込み上げて来た笑いを、全力で吐き出すことにした。
突然笑い出した俺を見て、困惑の表情を浮かべたロネリーは、眉をひそめながら問い詰めてくる。
「あの、冗談とかじゃなくて、本当に……」
「ははは。ロネリー。思い悩んでたのは俺じゃなかったってことか?」
「だって、あんな話、私知らなかったから」
「そもそも、こうして旅に出るのを誘ったのは俺の方だぞ? 確かに、ロネリーも同じことを考えてたのかもしれないけど。それにしても、笑える。なぁ、ノーム」
「そうだな」
「笑い事じゃないです!! 途絶えるかもしれないんですよ?」
「そんなの当たり前じゃないか。って言うかロネリー。おかしいのは3人の方だろ?」
「え?」
「だな。おかしいのはオイラ以外の大精霊達の方だ」
「そうそう。途絶えることが無い生き物なんて、どこを探しても居ないんだから。ノームはいたって普通の生き物だろ」
「それは……そうですけど」
「だったら、ロネリーがそこまで気に病む必要はないって」
「そうだぜ。でもまぁ、これで一番繊細な心を持ってるのがロネリーだって分かったな。ダレン」
「たしかに」
「もう……そんなに笑わないでくださいよ」
笑う俺とノームを見て少し不貞腐れたロネリーは、膝に顔を埋めてしまった。
そんな彼女を見て、俺とノームが顔を見合わせた時、どこからともなく声が聞こえてくる。
「レディを寄ってたかって困らせるのは、見過ごせないチ」
「ペポ!? どこにいるんだ?」
まるで風に乗って聞こえてきたようなペポの声に、俺とノームは周囲を見渡す。
しかし、見える範囲に彼女の姿は無い。
ついにロネリーも立ち上がって周囲を見渡し始めた時、再びペポの声が聞こえた。
「アタチは今、寝床にいるチ。もっと上の方チ」
「寝床!? え? そんなところから話しかけて来てるのか?」
「余裕チ。ていうか、アタチの聞こえる範囲内で、イチャイチャしないで欲しいチ」
「い、イチャイチャなんてしてません!!」
「してたチ。2人でイチャイチャしてたチ」
「嘘だろ!? 今の話全部聞かれてたのか?」
「急に母親のことを聞き始めたあたりから聞いてたチ」
「そこからか!!」
「ノームが紳士じゃないってところも聞いてたよぉ~」
「シルフィ!? ぬぐぐっ。なんでか知らねぇけど、弱みを握られた気分だぜ」
「まぁ良いチ。で、ダレン。託されたものを受け取って、繋げるって、具体的にどうするチ?」
「本当に全部聞いてたんだな……でもまぁ、どうせ明日、皆に言うつもりだったし、別に良いか。とりあえず、俺は今まで通りサラマンダーを探すよ。で、16年前に失敗した理由とかを色々考えて、もう一度、魔王を止めるために挑戦してみようと思う」
「ダレンさん……」
「だから、ペポ。一緒に来てくれないか?」
空に向かって俺がそう告げると、深い沈黙が広がった。
ロネリーもノームも俺も、ペポの返事を待つが、一向に返ってこない。
どうしたものかと、俺達が互いに顔を見合わせた時、頭上から羽ばたくような音が聞こえて来た。
そうして、ゆっくりと空から姿を現したペポは、着地した後に告げる。
「良いチ。でも、アタチの前でイチャイチャするのはやめるチ」
ペポの言葉を聞いて、顔を真っ赤に染め上げたロネリーは、夜にも関わらず大声で叫んだのだった。
「してません!!」




