第16話 かの魔王の配下
ノームの発言を受けた俺達は、その足ですぐに穴の縁に向かった。
崖の下を覗き込むと、吹き上げる風で目が乾いてしまいそうだ。
ラルフ曰く、この穴の底から吹き上げて来る風は、穴の中心に向かうほど強くなるらしい。
と言うことは、穴の縁にいる俺達が体感しているこの風は、最も弱いってことなんだよなぁ。
そんなことを考えた俺は、はぁ、と1つため息を吐くと、背後を振り返った。
「最悪です!! 私、こんなところ進めません」
自身の着ているスカートを必死に抑えながら、地面にしゃがみ込んでいるロネリー。
碧い瞳に戻っている彼女は、目元に涙を浮かべて顔を真っ赤に染めている。
何が起きたのか。簡単に説明すると、こういうことだ。
穴に近づくにつれて、周囲の風が穴に向かって強く吹き始めたと思っていたら、突然風向きが上に変わったんだ。
その一瞬、彼女のスカートの中身が見えてしまったことは、胸の内にしまっておこう。
というか、上昇気流が吹いていると聞いた時点で、こうなると思わなかったのかな?
まぁ、俺もここにきて初めて気づいたから、人の事言えないんだけど。
魔王軍とか、ロカ・アルボルとか、慣れない情報に翻弄されたせいで、考えが至らなかったんだろう。
俺がそんなことを考えていると、ノームが頭の上で笑い声をあげた。
「はははっ。確かにそれじゃあ歩けもしなさそうだな。いっそのこと、逆立ちした方が良いんじゃないか?」
「ノームさん? 怒りますよ?」
珍しく怒りを顕わに俺の頭上を睨むロネリー。
流石のノームも彼女の眼光に怯んだらしく、言葉を濁らせた。
「じょ、冗談だって」
「ったく、ノームは本当にデリカシーってのが無いよな」
「んな!? ダレンに言われたかねぇぞ!?」
「俺がいつ、デリカシーのない発言したんだよ?」
このまま喧嘩になりそうな俺とノームを見かねたのか、アニカがロネリーの傍に歩み寄って口を開いた。
「はいはい、とりあえず、ロネリーちゃんは私と一緒にコロニーまで戻りましょう? ハンス様にも報告しておいた方が良いと思うし」
ちなみに、落ち着き払ってそんなことを言っている彼女は、しっかりとズボンを着用している。
「仕方ねぇな。アニカ、嬢ちゃんの事頼むぜ?」
呆れたような表情で告げるラルフに後押しされるように、しっかりと頷いて見せたアニカは、ロネリーを立ち上がらせると、コロニーの方へと歩いて行った。
「で、魔物が降りて行ったってのはこの辺りで合ってるのか?」
「そうだな。ここだったはずだ」
「ふ~ん」
改めて穴の底を覗き込んだ俺は、舞い上がって来る砂埃から目元を守りながらも、観察する。
「穴の中に降りる階段をノームに作ってもらうとして、灯りが無いと進めないよな?」
「そうだな。松明は……当然消えちまうだろうし。俺のバディなら、夜目が利くんだろうが」
「そう言えば、ラルフのバディをオイラ達はまだ見てねぇよな?」
「確かに。ラルフ、バディはどこにいるんだ? まさか、ロネリーと同じように、合体できるのか?」
「そんなのじゃないさ。俺のバディはこいつだよ」
そう言ったラルフは、懐から何やら小さな生き物を取り出した。
それは毛むくじゃらで、腕と脚の間に膜のようなものを持っている、かわいらしい生物。
惑わせの山で見たことのあるモモンガにそっくりな姿をしている。
突然ラルフの手に掴まれたことが不満だったのか、眠たそうに顔をくしゃくしゃと動かしたその生物は、ラルフを見上げながら告げた。
「ん? 何? 寝てたんだけど?」
「お前にお客さんだ。ほら、挨拶しとけ」
「お客さん?」
そう言ったラルフのバディは、キョロキョロと辺りを見渡してから俺達に気が付き、その小さな口を開いた。
「アタシはモミジ。よろしくね。寝ることと滑空することが好きなの。で。アンタたちは誰?」
「俺はダレン。好きなことは、狩りと剣術の特訓かな。で、こいつが俺のバディのノーム」
「オイラが大地の大精霊のノームだ。よろしくな、モミジ」
「ふ~ん。そう。よろしく。それじゃあ、もうあたしは寝るわね」
「今起きたばかりでもう寝るのかよ!?」
「そうよ? 言ったじゃない。寝るのが好きなの。ノーム、アンタさては、話聞いてなかったでしょ」
ノームとモミジの会話を聞いた俺は、思わず小さな声で呟いてしまった。
「……本人もさることながら、バディも癖が強いな」
「お前に言われたかねぇぞ、ダレン」
「おい、それはどういう意味だラルフ。オイラの癖が強いってのか!?」
強いだろ。と頭の上にいるノームに言うのを堪えた俺は、1つ息を吐く。
ラルフ曰く、モミジは夜目が利くってことだけど、それだけじゃ到底暗がりの中を進める気がしない。
やっぱり、何か灯りを準備する必要がありそうだな。
そう思った俺が、踵を返してコロニーの方に戻ろうとしたその時。
近くにあった大きな岩から、何者かが声を掛けてきた。
「おやおや、なにやら騒がしいと思ったら、君達は誰なのでしょうか? おかしいですねぇ。コロニーの住民は全員隔離したはずだったのですが?」
その声が聞こえるや否や、ラルフが腰に携えていた剣を抜いて、構えだした。
同時に、俺も背中の盾と剣を構えて、岩の方に向き直る。
そんな俺達を横目で見ながら岩の影から姿を現したのは、角の生えた兜を被っている1人の人物。
その姿を観察した俺は、即座に、それが人間ではないと直感した。
兜の下から覗いている灰色の髪と、赤い瞳、そして、腰のあたりから伸びている黒くて細長い尻尾。
身に纏っている真っ赤な衣服が、皺ひとつないほどに整えられているあたり、几帳面な性格なのかもしれない。
スラッと細身の長身からは、品性が漂っているようにも思える。
姿を現してもずっと横目で俺達を見つめていたその人物は、ゆっくりと口元に笑みを浮かべると、楽しそうに話し始めた。
「これはこれは、失礼しました。こんなところで立ち話をしている人間が2人いらっしゃったもので、思わず口を挟んでしまったのでございます。私目の非礼を、お詫び申し上げます」
妙なほどに丁寧な挨拶を述べる男に、俺は疑問を投げかけることにした。
「おい、お前は何者だ。こんなところで何をしている?」
しかし、俺の疑問に答えたのは、すぐ隣に立っているラルフだった。
「こいつは魔王軍だ。尻尾を見れば変わるだろ。悪魔だよ」
「おぉ!! 私目のことをご存じでしたか!! それは僥倖!! いや愉快でございますなぁ!! ようやっと、私の悪名が世に轟き始めたということですな!!」
「いや、名前は知らねぇよ」
ラルフの言葉に一喜一憂する悪魔は、名前を知らないという彼の言葉を聞いた後、あからさまに項垂れてしまった。
こいつは何がしたいんだろう?
俺がそう思った時、気を取り直したように悪魔が頭を上げ、気味の悪い笑みを向けてくる。
「これは、なんというか、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたなぁ。それでは、早速名乗らせていただきたいと思います。私の名はリューゲ。かの炎雪の魔王の配下にして、未来の右腕たりえる男でございます!!」
「炎雪の魔王?」
リューゲの言葉を聞いた俺は、聞き慣れない単語を復唱してしまった。
それがダメだったのか、急に眼の色を変えたリューゲが俺を凝視してくる。
「おや? おやおやおやおや!? そこの子供は、かの魔王をご存じない!? それは見過ごすわけにはいきませんねぇ」
「おいダレン。油断するな。こいつは腐っても悪魔だ! 普通の人間が敵うような相手じゃない!」
「いや、ラルフも挑発してただろ!? それに、知らないもんは知らねぇんだ。どうしようもない」
「とにかく、油断だけはするなよ!!」
剣を握りしめるラルフの剣幕に圧された俺は、改めて剣と盾を構え直して、リューゲを睨みつける。
そんな俺を楽しそうに見つめるリューゲは、両手を大きく広げたかと思うと、喜びに満ちた表情で言葉を並べ始めた。
「おぉ!! この世界にまだ、本物の畏れと恐怖と畏怖を知らぬ者が居ようとは!! これは魔王様に与えられた私目への褒美に違いありません!! さぁ、子供よ!! ここで私に出会ったことを嘆き悲しみ憂いなさい。さすれば私が、この世の地獄を見せて差し上げましょう!!」
1人、悦に浸って高らかに告げたリューゲは、次の瞬間、激しい土ぼこりを立てて、俺へと突進してきた。
凄まじい速度で突っ込んでくるリューゲの攻撃を、構えた盾で弾こうとした時、すぐ目の前にラルフが割り込んでくる。
その様を見たのか、リューゲは大きく左の方へと飛び退いた。
穴を背にする形で立つリューゲに、俺は狙いを定め直して盾を構える。
「邪魔くさいですね。おい、そこの男。大人しくしていなさい」
「なんだ? 悪魔ともあろう者が、人間2人を相手にできないのか?」
「……言ってくれるじゃありませんか。それでは、お前にも思い知らせて差し上げましょう!!」
俺の隣で剣を構えているラルフの言葉に怒りを覚えたらしいリューゲは、さらに深い笑みを浮かべて、突進の構えを見せた。
全力で地面を踏み込み、勢いよく突っ込んでくるであろうリューゲ。
そんな彼を今度こそは迎え撃とうと、俺が盾を持つ手に力を込めた時。
ドンッという鈍い音が周囲に響き渡った。
直後、リューゲが踏み込んでいた足元が盛大に崩れ、岩と共にリューゲが穴の中へと落ちてゆく。
「くっ!! 貴様ら!! 覚えておきなさい!!」
落ちながらそんなことを叫んだらしいリューゲの声を聞きながらも、身構えたまま固まってしまった俺達は、数秒後、互いの顔を見合わせる。
「え? 今の、何?」
「さぁ……」
困惑のあまり、言葉が出ない俺とラルフ。それに対して、ノームが大声を上げて笑い出した。
「だはははははは!! ダレン、あいつ、本当に落ちてったぞ。こりゃ傑作じゃねぇか!!」
「ねぇ、あいつが落ちてった所に何か落ちてない?」
モミジの指示した場所に視線を落とした俺達は、そこに、小さなペンダントが落ちていることに気が付いたのだった。




