第122話 最後まで
足元を浸す水が、ついにひざ元まで上り詰めている。
そんな中、俺に促されたペポは一歩前に踏み出すと、ホルーバに向けて口を開いた。
「アタチはまだ、ホルーバ様が裏切ったなんて、信じてないチ」
そう切り出したペポは、口を閉ざしたままのホルーバに向けて、語り続ける。
「アタチは小さい頃から聞いてたチ。ホルーバ様は最期の力を振り絞って、ロカ・アルボルを作ったっチ。なんで、そんなことをしたのか、それはすべてを守るためっチ。皆行ってたチ」
大切だったオルニスの大樹。
そんな居場所を守るために、ホルーバとシルフィが力を使ったんだ。
ペポはそう言う。
しかし、彼女の言葉には、俺が想像できる以上の深い意味が、刻まれていたらしい。
そんな隠された意味を、浮き彫りにするかのように、ペポは呟く。
「アタチ達の住む場所、そして、その場所を守ろうとした全ての人の尊厳を、ホルーバ様は守ったチ」
「全ての人の……尊厳?」
ペポの言葉の意味が分からなかったのか、ロネリーが小さく呟く。
当然、そのことに気が付いたペポは、小さく頷いて、補足した。
「そうチ。本当はあんまり教えちゃダメだチど、ロカ・アルボルにあった沢山の浮島は、殆どがお墓だチ」
「……そういうことですか」
「魔王軍に荒らされないように、地面ごと持ち上げて保護したってことかよ……」
ロネリーと俺の頭の上のノームが、納得の声を漏らす。
「そういうことチ。だからアタチは思ったチ。ホルーバ様は、死んでしまった後も、ずっとずっと、一人で戦い続けてるんだっチ」
そこで一度言葉を切ったペポは、改めてホルーバに向き直ると、深々と頭を下げた。
「だから、アタチはホルーバ様には感謝してるチ。たった一人になっても、最後まで戦い続けてくれて、ありがとう。……もう、ゆっくり休んで欲しいチ」
深く息を吐き出して、そう結んだペポは、少しすっきりしたような表情をしていた。
胸の内にため込んでいた思いを吐き出せたんだろう。
対するホルーバは、どこか虚ろな視線をペポに向けている。
彼女の思いが、届いたのかは分からない。
ただ一つ言えることがあるとすれば、ホルーバが身に纏っていた強烈な敵意が、完全に引き剥されていること。
自身の行いを、他人の口から聞いて、何か思う所でもあったのかもしれない。
すると、何を思ったのか、一度深呼吸をしたホルーバが、俺に視線を投げかけてくる。
「これがお前の言う、言葉のチカラというものなのか……」
「さぁな。あんたがペポの言葉をどう受け止めたのかは、俺には分からないけど。思ったよりも効果があったみたいで、良かったよ」
なんとなく和やかな空気が周囲に漂い始める。
そんな空気をかき乱したのは、意外にも、ウィーニッシュだった。
「話がひと段落着いたところで、そろそろ潮時だと思うぞ」
彼が言っている潮時と言うのが、足元の水を指しているのは言うまでもない。
確かに、これ以上悠長に話している余裕はなさそうだ。
「さてと、役目を終えた老骨はこれで退場するとしようか」
そう言ったウィーニッシュの後ろには、バーバリウスとリューゲを抱え上げたアーゼンと、他の配下達が立ち並んでいる。
完全に敵意を失っているらしい彼らは、静かに佇むホルーバに手招きをして見せた。
「さぁ、いこうぜ、ホルーバ。もうこれ以上ここにいる理由は無くなっただろ?」
「……そうだな、そうかもしれない」
ウィーニッシュの呼びかけに、神妙な面持ちで応えたホルーバは、静かに彼らの隣に立ち並んだ。
「あ、そうだ。最後に聞いておきたいことがあるんだった」
ふと思い出したように、ミノーラに目を向けたウィーニッシュが口を開く。
「なぁミノーラ。俺はずっと仇を討つためだけに生きながらえて来たんだけど……本当にこれで良かったと思うか?」
まるで、今のこの状況は避けられたのかもしれないと、そんな意味を含ませたウィーニッシュの問いかけ。
それを真正面から受け止めたミノーラは、優し気な目を彼に向けながら応えた。
「大丈夫ですよ。あなたが願っているような未来も。確かにありますから」
「そうか……それが聞けて、少し安心したよ」
そう言って満面の笑みを浮かべたウィーニッシュは、それ以上の心残りは無いとでも言うように、深い水の底へと、身を投げ出した。
それに続くように、彼の仲間達も水の底へと身を投げ出していく。
そうして、最後に残ったホルーバもまた、一言だけを残して身を投げ出した。
「元気で、な」
残されたのは、俺達だけ。敵はもういない。
名残惜しさと切なさを覚えながら、気を取り直した俺達は、ミノーラの案内に従って地獄の出口へと向かう。
巨大化したサラマンダーの背中に乗って移動したから、それほどの時間は掛からなかった。
徐々に上がってくる水位を見下ろしながら、遥か高い崖の上に到達した俺達は、そこでミノーラと別れを告げる。
曰く、彼女はまだ復活したわけじゃないらしい。
だから、一緒に戻ることはできない。
だけど、元の世界に戻って、4大精霊が役目を果たせば、きっと蘇ることができる。
それが、ミノーラと交わした最後の会話だった。
巨大化していたサラマンダーは身体を元のサイズに戻し、小さな穴を潜り抜ける。
地獄にやってきた時とは異なる不思議な感覚が、全身を襲ってきた。
だけど、今回は前と違って離れ離れになることは無い。
後ろを振り返ることなく、前に進み続けた俺達は、次第に眩い光に包まれていき、感覚を取り戻していく。
そして、気が付いた時に俺が目にしたのは、どんよりと曇っている空だった。




