第121話 言の葉
地獄で閻魔大王と取っ組み合いをして、挙句の果てに一飲みにしてしまった存在とは思えないほど、ミノーラは落ち着いている。
あるいは、彼女にとっては予定通りとでも言うんだろうか?
まぁ、確かに。彼女ならそう言いだしても変じゃないかもしれない。
ヴァンデンスのことを思い出して、呆れながらもため息を吐いた俺は、唖然としたままのバーバリウスとウィーニッシュに視線を向けた。
「お前達の親玉はいなくなったみたいだけど、どうする? まだ俺達と戦うか?」
「……そうだな、俺としては、お前達と戦う理由がなくなったみたいだ」
そう言ったのは、どこか安堵しているように見えるウィーニッシュ。
彼は軽く俺に肩を竦めて見せると、小走りで倒れている仲間達の元へと向かって行った。
完全に無防備なその姿からは、全く敵意を感じられない。
ってことは、少なくともウィーニッシュとこれ以上争う必要はなさそうだな。
なんて思いながらも、俺は警戒を怠ることなくバーバリウスに目を向けた。
ウィーニッシュよりも長い間、閻魔大王達が暴れていた方を見ていた彼は、ゆっくりと俺の方を振り返る。
その顔に、不敵な笑みを浮かべながら。
「嘘だろ……?」
「なぜそう思う? 邪魔な奴が一人消えただけだ。むしろ好都合な話だと思わないのか?」
見る見るうちに敵意を剥き出しにし始めたバーバリウスに、俺は嫌気が差してしまう。
それは皆も同じだったみたいで、小さなため息を吐く声が聞こえてくる。
丁度その時、ついに水位が俺達のいる高台にまで到達したらしく、大量の水が足先に触れ始めた。
すぐにでもここから逃げ出すべきだ。
だけど、バーバリウスの追撃に背を向けるのは危ない。
ここは俺が殿を務めて……。
そんなことを考えていた俺の耳に、空気を裂くような轟音が飛び込んでくる。
直後、俺と対峙していたバーバリウスの胸元が、黒く焦げ付いた。
「ぐはっ……」
「お前は変わらないな。バーバリウス。そのおかげで、俺もこうして生きながらえることができたわけだけど」
胸を押さえて前のめりに倒れこむバーバリウスの背後に、ウィーニッシュが立っている。
そんな彼は、まるで右手の人差し指で狙いを定めるように、腕を前に伸ばしていた。
深く考えるまでもない。
ウィーニッシュが放った雷が、バーバリウスの胸を貫いたんだ。
指先から上がる微かな煙を、フッと吹き消したウィーニッシュに、俺は思わず警戒する。
そんな俺を見て、小さく笑って見せたウィーニッシュは、自身の手の甲を俺の方へと見せてきた。
そんな彼の手の甲には、煌々と輝く紋章が現れている。
しかし、数秒間輝いたのちに、その紋章は光を失っていった。
「これでもう、俺は大した魔法が使えない。安心してくれ」
「そんな言葉を信じれるわけがないチ!」
「いえ、彼の言っていることは本当ですよ。女神の私が保障します」
ウィーニッシュが思わぬ仲間を引き入れたことで、面食らう俺達。
対するウィーニッシュは、どこか切なそうな表情でミノーラを見ている。
「ねぇ、それよりも、早く移動した方が良いんじゃない? 皆が僕の背中に乗れば、すぐにでも出発できるよ?」
「そ、それもそうだな」
「ちょ、ちょっとどこに行くゴブ!?」
微妙な空気が漂い始めた中、何とか話を進めようとしたサラマンダーと俺の言葉を遮るように、ベックスが叫んだ。
何事かとサラマンダーの背中を見上げた俺は、そこからホルーバが転がり落ちてくることに気が付く。
「ホルーバ!?」
「危ないチ!! 何してるチ!?」
「急に暴れ出したゴブ!」
「は、放せ……」
激しい音を上げて転がり落ちたホルーバに駆け寄ったペポが、上にいるベックス達に文句を言う。
だけど、ベックスが言う言葉は本当みたいで、ホルーバはペポの制止を振り切って、フラフラと歩き出した。
「ホルーバ様……? どこに行くチ?」
「着いて来るな」
振り払われても追いすがろうとするペポを言葉でも拒絶するホルーバ。
だけど、この場合のホルーバの態度は、真っ当なように俺には見えた。
ホルーバはもう、死人なんだ。
このまま彼女を連れて、元の世界に帰る訳にはいかない。
多分、それを許してくれるほど、そこにいる女神は優しいわけじゃないだろう。
だからこそ俺は、まだ追いかけようとするペポの肩に手をかけ、彼女を制止した。
「ダレン?」
「やめろ、ペポ。ホルーバを止めて、どうするつもりだ?」
「でも」
「私もダレンさんの言う通りだと思います。残念だけど。彼女はもう……」
「それでもチ!! アタチはまだ、ホルーバ様にお礼を言えてないチ!! もう少しだけでも良いチ! せめてここを出るまでは……」
まるで堰を切ったように叫び始めるペポに、俺とロネリーが驚いていると、歩みを進めていたホルーバが、ゆっくりと足を止めた。
その様子を見たペポが、それに気づかないわけもなく、自分の願いが叶って喜ぶ子供のように、目を輝かせる。
しかし、振り返ったホルーバの目に宿っていたのは、冷たく深い、怒りだった。
「いつもそうだ……お前達オルニス族は……いつもいつも……」
「ホルーバ様……どうしたチ?」
「自由の為だ、世界の為だと。口実を付けては自分たちの都合を押し付ける……礼を言えていない? 悪いがアタイは誰かに礼を言われるようなことをした覚えはこれっぽっちも無いんだよ! 世界なんて救えなかった!! 仲間だって裏切った!! そんな出来損ないに、何を伝えるつもりだったんだい!? バカにするのも大概にしてくれよ!!」
「……っ」
目に見えて狼狽えるペポ。
そんな彼女の様子とホルーバの態度に苛立ちを覚えた俺は、思わず歯を食いしばる。
正直、ホルーバにどんな事情があって裏切りを働いたのか、俺は知らない。
1つだけ知っていることがあるとすれば、彼女がかつて、想い人と死別してしまったということだけ。
それが何か関わりがあるのか、全く分かっていない。
新しく分かったこととしては、彼女がオルニス族に対して並々ならぬ感情を抱いていること。
それらのことを考えた俺は、1つの大きな違和感を抱いた。
ロカ・アルボルの穴の底で見た、あのホルーバの姿は何だったのか。
胸に抱えたそれを、ギュッと抱きしめるように息を止めた俺は、苦しさの限界でようやく息を吐き出し、ホルーバに向き合う。
そして、手にしていた疑念を、直球でホルーバに投げつけた。
「そんなにオルニス族を恨んでいたんなら、どうしてロカ・アルボルを作った?」
「……ロカ・アルボル?」
「あんたが最期の力を振り絞って、宙に浮かせた大地のことだ。あそこには元々、オルニスの大樹があったんだろ? どうしてそんなことをした?」
「それは……」
「守りたかったんだろ? オルニス族を、もしくは大樹に住んでいた人々を、あるいは、あんたが想いを寄せていた人との思い出を」
「っ……」
「何を守ろうとしたのかは、俺は知らない。だけど、あんたは結果としてあの場所を守ったんだ。それも全力で。俺にはそれが分かる。そして、その場所でペポは育ち、ここまで来た。だとしたら、ここでペポが言おうとしてる言葉はあんたが種をまいて、芽吹かせた言葉だ。違うか?」
次から次に繰り出される俺の言葉に、若干気圧されつつあるホルーバ。
それでも俺は口を緩める気にならなかった。
「オルニス族が身勝手だと言うなら、今のあんたも充分身勝手だろ。おまけに裏切りまで働いておいて。どうして一方的に身勝手だと文句を言えるんだ?」
「ちょっと、ダレンさん」
「ほら見ろ、ロネリーから見れば今の俺だってものすごく身勝手なんだぞ? そこで倒れてるバーバリウスなんか、もっと身勝手だった。身勝手だからなんだ。俺達には言葉があるんだ。喋れるんだよホルーバ。言葉は時に、真実を優しく包むこともできるし、薄さを利用して鋭く切り裂くこともできる。それでも、何も交わさないよりかはずっとマシだ」
一息で言い切った俺は、黙り込み、じっと視線を向けて来るホルーバと目を交わす。
そうして、静寂が辺りに満ちたのを見計らって、俺は短く告げるのだった。
「分かったら、少しはペポの言葉を聞いてやれ。それがあんたの果たすべき責任だろ?」




