第120話 世界を塗り替えて
山を出てからどれだけの日数が経ったんだろう。
気が付けば俺は、陽の登った回数を数えることをやめていた。
それは、自分が歩いている道を見失うことに繋がるかもしれない。
一抹の不安を感じると同時に、そんなことは無いと言えるだけの自信を、俺は持っている。
俺達が、道に迷うことは無いのだから。
ノームの持つその力を信じるのは、安直な気もするけど、確かな自信がそこにはある。
そして、それだけが理由じゃないと、俺は今日知ったんだ。
生まれた時からずっと傍にいて、一緒に悩み、共に生きてくれる相棒。
俺達にとって当たり前なその存在のことを、人は何と呼ぶんだろう。
神からの干渉? それとも、運命?
きっと、俺もロネリーもペポもアパルも。ここにいる全員が、いつかここに来るように導かれていた。
そう言われても、俺は全然不思議に感じない。
「ロネリー!! ウンディーネ!!」
俺はバーバリウスとの攻防を繰り広げる彼女たちに声を掛けながら、走っていた。
当然、こちらに注がれる敵味方の視線を一気に引き受けながら、強く地面を踏み込む。
途端、俺が踏みつけた場所を起点にして、バーバリウスの足元に亀裂が走ってゆく。
慌ててその亀裂を避けようと、バーバリウスが横に跳び退いた隙を突き、ロネリーとウンディーネが俺の元へと向かって来た。
液状化していた彼女の身体が、近づくにつれて輪郭を取り戻していく。
そんな彼女たちを迎え入れた俺は、バーバリウスや閻魔大王、そして頭上のウィーニッシュに警戒しながら、事情を説明する。
「雨を降らせよう」
「どういうことですか?」
「ヴァンデンスが言ってたよな? 女神ミノーラを蘇らせるって。つまり彼女は死んでしまったか、もしくは弱り切ってるってことだ」
「そうですね……」
「そんな彼女が最期に未来を託したのが、4大精霊だ。ってことは、4大精霊の役目にこそ、彼女を蘇らせるチカラがある。ここまでは良いな?」
「はい」
「理屈は分からないけど、ミノーラは既に蘇ってるようにも見える。だけど、ミノーラも言ってたけど、ここは地獄だ。まだ彼女が蘇ったとは言えない」
「それで、この地獄で雨を降らせれば、ミノーラ様が蘇ると? その根拠はあるんですか?」
「根拠は無い。だけど、魔王達は俺達の住んでた世界で何をしようとしてた?」
「何って……地獄を……」
「そうだ。だったら、俺達が逆に攻め込むことだってできるはずだろ?」
「それって……この地獄をあっちの世界にしてしまうつもりですか!?」
驚くロネリーに頷いて見せた俺は、もう一押し、言葉を続ける。
「本当のチカラを見せてやれって、ミノーラも言ってたしな。俺達のチカラで、この世界を塗り替えてやろうぜ」
「それは……また大それたことを考えましたね」
「2人とも、僕の方は準備ができたよ!! やるならやろう!!」
背後から声を掛けて来るサラマンダーに手を上げて応えた俺は、ロネリー達を彼の元へと向かわせた。
時折俺の方を気にしながら駆けて行く彼女を送り出し、俺はバーバリウスと対峙する。
「悪いな。ここからは俺とノームが相手だぜ」
「今のオイラ達なら、負ける気はしねぇがな」
「小癪なガキどもめが。そう易々とことが進むと思うなよ?」
凄みながら告げるバーバリウスが、大きく一歩を踏み込みながら突撃を仕掛けて来る。
そんな奴を、大量の岩の槍で迎え撃つ俺達。
同時に、頭上での戦闘も激しさを増し始めていた。
無数の地響きと雷鳴が、地獄中を振動させ、世界全体が揺れ始める。
岩が砕け、空に閃光が走り、風が全てを巻き込んでいく。
そうして、一進一退の攻防を繰り広げていると、不意に空から雫が落ちて来た。
真っ黒な雲から落ちて来るのは、大量の雨。
地獄の熱気の中に落ちるその雨は、岩の表面に貼りつき、ジワジワと熱を奪い始める。
そうして次第に、至る所から溶岩が蒸気を上げ始める音を耳にすることが増えた。
もう少しで、地面は完全に冷え切るだろう。
そうすれば、降った雨が蒸気になることは減り、少しずつ水が溜まり始めるはずだ。
想定される状況を考えながら、バーバリウスの足止めをするために立ち回っていると、突然、俺達に巨大な影が降りかかってくる。
何事かと視線を上げた俺は、拳を振りかぶる閻魔大王の姿を目の当たりにした。
「んなっ!?」
「出過ぎた真似をするからだ!!」
怒りを噴出させたような真っ赤な顔の閻魔大王が、勢いよく拳を振り下ろす。
とてつもない質量と速度を前に、逃げ出せないと悟った俺が、咄嗟に防御態勢を取ったその時。
閻魔大王の腕を、ふさふさとした尻尾のような物が、背後から絡めとった。
「干渉は良くないんじゃありませんでした?」
「ぐっ」
いつの間にか、閻魔大王と匹敵するほどの大きさになっているミノーラが、その尻尾で振り下ろされそうだった拳を食い止めている。
ミノーラのおかげで、ぺちゃんこに潰されることはなさそうだ。
なんて、一人で安堵していると、背後からロネリーが声を掛けてくる。
「ダレンさん!! こっちに来てください!!」
咄嗟に彼女の方を振り返った瞬間、隙を突くようにバーバリウスが攻撃を仕掛けて来るけど、そこはノームが上手く防御してくれた。
舌打ちをするバーバリウスから距離を取りつつ、急いでロネリーの元に駆けよった俺は、そこでようやく、地獄の現状を目の当たりにした。
「おいおい、マジかよ。思ってたよりもヤバくねぇか!?」
「だな」
ノームが驚嘆するのも無理はない。
高低差の激しい地獄に降った雨は、より低い所へと流れ始め、無数の川を形成し始めている。
当然、その川の流れつく先は、最も低い土地だ。
四方八方から際限なく流れくる大量の水は、次第に小さな池になり、湖になり、更に広大になりつつある。
俺達が居る高台にまで水位が到達するのも、時間の問題だろう。
この状況だからこそ、閻魔大王が怒りを顕わにした。
そのことに気が付いた俺は、神妙な面持ちのロネリーとサラマンダーに目配せをする。
「すぐにここを離れた方が良いと思います」
「そうらしいな。それで、どこに向かう?」
「僕たちが地獄に入って来た所まで戻るのが良さそうだよね。あそこはここよりも高い位置だし」
「だとしたら、魔王達が厄介だな」
上空では荒れ狂う雲の中で、ペポとシルフィがウィーニッシュと戦っている。
上にあげていた視線を降ろした俺は、ゆっくりとこちらに歩いて来るバーバリウスを睨んだ。
早々に決着をつけるべきか。
それとも、移動を開始するべきか。
そんな悩ましいことに、俺が頭を抱えそうになった瞬間。
轟音と光を放ちながら、魔王ウィーニッシュが落ちてくる。
「だはっ……いてて」
「観念するチ!! 今のアタチ達には敵わないチ!!」
体中に傷を負った様子のウィーニッシュを追うように、降下してきたペポが、大量のシルフィ軍団を引き連れて宣言した。
まさに、ウィーニッシュにとっての天敵みたいだな。
それでも、肩を押さえながらその場に立ち上がったウィーニッシュは、薄い笑みを浮かべながらペポを見上げる。
「中々やるじゃん。って言うか、人の技を盗んだのか? 正直驚いたよ」
「盗んだなんて人聞きが悪いなぁ~。学んだんだよぉ~。もちろん、感謝はしてる」
シルフィがそう言ったところで、俺達は激しい振動に体勢を崩しそうになった。
すぐに身を屈め、転んでしまうことを防ぎながらも、俺はその振動の原因を探る。
と言っても、その原因はすごく分かりやすいものだったのは言うまでもない。
ウィーニッシュとバーバリウスの背後、広大な水の中を、女神と閻魔大王が取っ組み合いを始めているんだ。
剛腕を振るう閻魔大王は、その手で女神の身体を掴み、投げ飛ばそうとする。
対する女神はと言うと、その俊敏な動きで閻魔大王の掴みを躱し、四肢に喰らいついていた。
遠目に見ているだけでも、女神ミノーラが優勢だと分かる。
そんな光景が長く続くのかもしれない。
俺がなんとなくそう思った次の瞬間、予想に反し、あっけなく戦いは終わりを迎えた。
形勢不利を悟ったのか、起死回生の一手とでもいうような大ぶりの拳を、閻魔大王が振りかぶる。
しかし、その一撃をミノーラは難なく避けてしまう。
そして、大きくバランスを崩した閻魔大王が、そのまま水の中に倒れこむかに思えた瞬間。
ミノーラの身体が一気に巨大化し、そのまま閻魔大王を一飲みにしてしまったんだ。
あまりに唐突なその光景に、俺達は唖然としてしまう。
それは魔王達も同じようで、険しい表情を浮かべたまま立ち尽くしている。
と、そんな俺達なんて気にしていないかのように、水の中を歩み寄って来たミノーラが、一言告げたのだった。
「あれ? 皆さん、ここに居たら危ないですよ?」




