第116話 閻魔大王
多分、ペポもそのことには気が付いていたはずだ。
ホルーバが今、無残な姿でここにいること。
その理由。
あまり深く考えたくない事実が、隠されているんだと言うことに。
だからこそ、彼女は涙を流した。
俺達も絶句してしまった。
まるで、そんな俺達の絶望を味わうように、兜の奥の目を細めたリューゲが、追い打ちを掛けてくる。
「念のために言っておきますが、ホルーバ以外の面々は、ここに居ません。まぁ、一度は訪れていますが、ここに留まることは無かったでしょう」
全てを知るであろうリューゲが、配慮なんてするはずがない。
むしろ、こいつは喜んで俺達に絶望を突き付けて来るような奴だ。
「黙れよ、リューゲ」
「現実は見た方が良いと思いますよ? あぁ、それはなにもそこのオルニス族の少女に向けて言っているわけじゃないですから。皆さん全員に言っているのです。この状況、周囲の様子を見て、まだ我々と戦うつもりなのですか?」
そう言って両手を広げながら肩を竦めて見せるリューゲを、俺は睨み付けた。
地獄で多くの魔物に囲まれていて、おまけに手負いのホルーバを連れている。
奴の言う通り、今の俺達に逃げ場なんてない。
戦うと言っても、敵の数が多すぎる。流石の俺達でも、永遠に戦い続けることはできないからな。
万事休すか。
「ダレンさん……」
いつの間にか俺のすぐ傍にまで歩み寄ってきていたロネリーが、ギュッと手を握りしめてきた。
彼女も大きな不安を抱いているらしい。僅かに、手が震えている。
軽く振り返って見た俺は、他の皆の目からも気力が失われているのを感じ取る。
まだ戦う気力を残していそうなのは、ガーディくらいだろう。
とはいえ、彼の気力もかなり弱まっているのは確かだ。
「さすがに、ムリかな……」
冷静に分析をした俺は、自分の声が少しだけ掠れていることに気が付いた。
多分、俺は選択を間違えたんだ。
そんな思考が頭を過った瞬間、まるで俺の心に強い諦念を刻み込むように、複数の人影が姿を現す。
その巨漢で魔物をかき分けて来るのは、魔王バーバリウス。
同じように荒々しく魔物をかき分けながらかけて来たのは、スキンヘッドのアーゼン。
そんなスキンヘッドの頭上を飛んで来たのは、魔王ウィーニッシュと残りの配下達。
彼らは一方的に俺達を取り囲むと、余裕の視線を投げかけてくる。
「また会ったな。ダレン。忠告したはずだったけどなぁ。ここまで来られると、流石に逃がすわけにもいかない」
「魔王の忠告に、素直に従うつもりにはなれなかったからな」
口では強気なことを言ってみるけど、どうも心が奮い立たない。
だってそうだろ?
数だけじゃなくて、質まで揃えて来た敵を前に、戦意を保てるわけがない。
こうなると、俺に出来ることは限られてくる。
せめて、皆だけでも助かってもらえたら。それでいい。
そう思い、ロネリーの手をギュッと握りしめた俺は、ゆっくりと後退を始めた。
もちろん、視線は正面に並んでいる敵に向けたまま。
足だけを動かして後ろに下がる。
ペポの傍にいる皆のところまで、一旦は退避しよう。
俺がそう考えていることを見透かしているのか、魔王達もじりじりと俺達を取り囲む円を縮めて来る。
逃がしてくれるつもりは、全く無いらしい。
それでも、やれるだけはやらないと、俺の気が済まない。
滲み出て来る冷汗が、顎から落ちていくのを感じる。
そんな汗が、足元で弾けたのと同時に、俺の視界の端で、ペポが立ち上がった。
「ペポ?」
「許さないチ……」
俯いたまま、そう小さく呟くペポ。
彼女の様子がおかしいのは一目瞭然だ。
慌てた俺とロネリーが、顔を見合わせてペポを制止しようとした次の瞬間。
彼女の翼が、バリバリと音を立て始めた。
細かな光が、羽と羽の間を駆け巡り、翼全体が青白い光を帯び始める。
「シルフィ!?」
「仕方ないでしょ~? ペポの命令だもん。ウチは従わざるを得ないよねぇ~」
咄嗟にペポの頭の上を飛んでいるシルフィを糾弾するけど、意味はなさそうだ。
間違いなく、ペポはこのまま戦闘を始めるつもりだ。
そうなれば、皆を逃がすという俺の考えも上手くはいかない。
「くそっ……」
なんとか最善の策が無いか思考を巡らせる俺は、しかし、また新たな異変に気が付いた。
微かにだけど、足元から振動が伝わってくる。
ズシン、ズシンと響いて来るその音は、少しずつ近づいてきたかと思うと、不意に音が途切れた。
直後、魔物達の背後にあった断崖の下から、巨大な腕が姿を現す。
ウィーニッシュの浮遊城ほどの大きさを誇るような、巨大な右手。
その手は多くの魔物を押しつぶしながら、崖に手を掛けるような形で地面を揺らした。
「な、なんだ!?」
驚きの声を上げるサラマンダーの気持ちは理解できる。
愕然とその腕を見上げていると、もう1本の腕も姿を現し、結果、腕の持ち主である化け物が、断崖を登ってくる。
ゴワゴワとした赤い髪の毛と筋骨隆々な体格。
俺を鋭く威圧するのは、巨大な目と口元から飛び出ている牙と、額にある太い角。
全てを見透かすような鋭い眼光を持ったその怪物は、崖を登ったかと思うと、その場に胡坐をかいて座り込んでしまった。
一挙手一投足で、地面が揺れる。
なんとか転ばないように足を踏ん張る俺達を見下ろしたその怪物は、表情を変えることなく告げた。
「さぁ、続けろ」
腹に響くその声に、反論できる者なんていない。
俺達も、当然、魔王達も。
そんな怪物を見上げた俺は、直感した。
こいつが、閻魔大王なんだ。と。




