第115話 堕ちた英雄
「こいつは何を言ってるゴブ!?」
取り乱して叫ぶホルーバを横目で見ながら、ベックスが言う。
彼の声に苛立ちが含まれているのは言うまでもない。
状況が状況だ。
せっかくこっそりと閻魔大王のいるであろう城に向かおうとしていたのに、これでは全て台無しだ。
そんな結果をもたらした張本人は、ショックのあまり気力を失くしてしまったのか、地面に座り込んだままだ。
当然彼女は、自身に向けられている視線の鋭さに気が付いていない。
いや、気が付けないでいるというのが正しいのかもな。
「ペポ! 取り敢えず、ホルーバを連れて逃げるぞ! ペポ!!」
耳元で呼びかけてみるけど、反応は無い。
相変わらず涙を流したままホルーバのことを見下ろしている。
彼女にとって、それだけホルーバの存在は大きかったのか。
事情を知らない俺からすると、判断のつかない話だ。
「まずいよ! どこもかしこも敵だらけだ」
「完全に囲まれちゃったねぇ~」
「おいシルフィ! ペポはどうしちまったんだ!? それに、どうしてホルーバがここにいる?」
慌てる俺達とは対照的に、呑気な様子のシルフィ。
そんな彼女に対して、ぶつける必要のない苛立ちをぶつけた俺は、ばつの悪さを感じた。
それでもまぁ、いつも通りに応対してくれるシルフィの緩さに、俺は救われる。
「そんなこと、ウチに聞かれても知らないよ。でもまぁ、ペポにとって、ホルーバのこの状況は、かなりショックかもしれないね」
「どういうことだ?」
「ペポもウチもロカ・アルボルで暮らしている間、何度もホルーバの話を聞かされたんだよねぇ。それも、彼女の雄姿をね。簡単に言えば、ペポにとってホルーバは、英雄みたいなものかなぁ」
「英雄……」
シルフィの言葉を聞いた俺は、思考を巡らせる。
確かに、風の大精霊を宿したペポは、オルニス族にとっては希望みたいなものだ。
そんな彼女の前任者であるホルーバが、どんな優れた人物だったのか、話していてもおかしくない。
そして、そんな前任者のようになれと、ペポに求めていたことも、簡単に想像がつく。
それらの期待を、ペポがどう受け止めたのかは分からないけど、それなりに受け入れていたみたいだな。
ここまで、そんな素振りを見せなかったことだけは気になるけど。
俺がそんなことを考えていると、魔物をかき分けて一人の男が姿を現した。
「おやおや、まさかここで相まみえることになるとは、思っても居ませんでしたよ」
「リューゲ!?」
驚きのあまり声を張り上げた俺に、リューゲは笑みを浮かべながら口を開く。
当然、心の込もった笑顔じゃない。それは奴の目を見れば明らかだ。
「久方ぶりですね。お会いしたかったです。あなた方には積もるモノが沢山ありますからね」
「地底湖に沈んだんじゃなかったのか?」
「あいにく、あの程度で息絶えるほど、私は弱い存在じゃないのでね。それよりも、興味深い話を聞かせて頂きました。ホルーバが英雄? それはそれは、滑稽なお話です」
まるでホルーバのことを侮辱するように、嘲笑を交えながら告げるリューゲ。
当然、怒りを顕わにしたペポが叫ぶ。
「ダマレ!!」
「そう怒るような話じゃないではありませんか。作り物の英雄を見て、ほくそ笑むのは、至極当然の反応でしょう?」
ペポの怒りが届くはずもなく、煽るようなことを続けるリューゲ。
そんな奴のことは放っておいて、俺はペポを宥めることに専念する。
「ペポ、落ち着け。こんな奴の話を聞く必要はないぞ」
「ダレン君の言う通りです。私の戯言を聞く必要はない。戯言というものは意識して聞くものでは無いでしょう? 大抵は、風に流されて聞こえてくるものです」
俺の言葉を使って、更に煽りを加えるリューゲ。
すぐに奴を睨み付けるけど、そんなことでリューゲの口を閉ざすことはできない。
「根拠のない迷信に縛られて、あろうことか我らが魔王様の覇道を妨げようとする愚か者ども。そんな愚か者どもに持ち上げられ、矢面に立たされた者達こそが、あなた方の言う英雄という存在ではないですか?」
「そんなことないチ!!」
「ところが、そうでも無いようですよ? ほら、今あなたの腕の中で震えている女傑に聞いてみてください。まぁ、もはやその名残の欠片も残っていませんがね。だからこそきっと、全てを話してくれることでしょう」
そこで一度息を吸ったリューゲは、楽しそうに言葉を結んだ。
「なぜ、16年前は失敗してしまったのか。その事実をね」
リューゲの言いたいことは、深く考えるまでもなく分かる。
だからこそ、奴の言葉を皮切りに、俺達の中に動揺が走った。
正直、ここでホルーバを見つけた瞬間から、俺の頭の片隅には1つの考えが滲みだしてきていた。
だけど、そう簡単に受け入れることはできない。
俺が自分の惑う心を押さえつけようとしていると、こらえきれなくなったようにベックスが言う。
「まさか、裏切者はホルーバだったゴブ?」
「そんなワケないチ!! ホルーバ様は自分の命と引き換えにして、ロカ・アルボルを守ったチ!! それはお前達も良く知ってるはずチ!!」
必死に否定するペポ。
だけど、その姿をリューゲに曝してしまうのは得策じゃない。
当たり前と言うように、奴はペポを煽りだす。
「生まれる前のことをよくご存じですねぇ。では問いますが、ホルーバはなぜ燃えるオルニスの大樹が燃えてしまうのを放っておいたのですか?」
「……何を言ってるチ?」
「私は当時、その光景を見ていましたからね。ありのままの事実を教えて差し上げましょう。もちろん、真面目に聞く必要はありませんよ? これもまた、戯言なのですから」
「いい加減にしろ!!」
これ以上大人しく聞いていても意味は無い。
そう判断した俺は、リューゲの言葉通り、真面目に聞くことなんてせずに攻撃に転じた。
でも、多勢に無勢、大勢に取り囲まれている俺達が、簡単にリューゲを撃退できるわけがない。
まるで遊ぶように逃げ惑いながらも、リューゲは話を続けた。
「グスタフとサラマンダーを捕らえた後、我らは残りの3大精霊が逃げ込んだオルニスの大樹に攻め込みました。それはもう、非常に困難な戦いでしたよ」
こいつの口を今すぐに閉ざしてしまえ。という衝動に駆られるように、俺の身体が動く。
そんな俺の考えなど見透かしているように、リューゲは言葉を並べたてた。
「我々の放つ攻撃は殆ど岩壁に弾かれ、放った火も飛び交う水に消される始末。普通であれば、オルニスの大樹が焼けてしまうことなんてありえなかった。ですが、大樹の葉に灯った小さな火種は、瞬く間に燃え広がって行ったのです」
一息に言いきった奴は、俺の蹴りを避けて大きく後ろに跳躍した後、着地と共に呟いた。
「まるで、木枯らしでも吹いたようにね」
「そんなワケないチ!!」
背後から聞こえて来るペポの叫び声。
そんな声を肩越しに聞いた俺が、落ち着くように声を掛けようとした瞬間。
俺と対峙しているリューゲが肩を竦めながら言う。
「認めるつもりは無いと。では一つ問いを追加しましょう」
リューゲが余計なことを言う前に止めなくては。
なんていう俺の考えも虚しく、リューゲは止めを刺すように、鋭く告げる。
「ここは地獄。亡者の罪を裁く場所。そのような場所に何故、英雄が堕ちているのですか?」




