第114話 惨い光景
熱気を帯びた大地と、天井を覆い尽くしている真っ黒な雷雲。
見た感じ、ウィーニッシュやバーバリウスが作り出していた地獄が混ぜ合わさったような場所だ。
まぁ当然と言えば当然か。
あの2人は閻魔大王に言われて地獄を作り出そうとしてたわけだし。
なんて、自分を納得させながらも、俺は辺りに目を向ける。
俺の周りには、同じように落ちてきた様子の皆が、湯から顔を出して泳いでいる。
誰も怪我をしている様子が無くて、良かった。
そう思うのも束の間、サラマンダーが慌てた様子で俺の元に泳いできた。
「ダレン! アパルは!? アパルは無事!?」
自分の背中に乗っているアパルのことが心配になったらしい。
俺も慌てて彼の背中を覗き込み、アパルの様子を見る。
脱力した状態で寝転んでいるアパルは、完全に力を抜いてしまっているのか、呼吸さえしていなかった。
「息してないぞ!?」
「そんな!?」
「ウンディーネ! おねがい!」
慌てる俺とサラマンダーをかき分けるように、泳いできたロネリーが、アパルに手を添えながら叫ぶ。
すると、何をするべきか全て理解している様子のウンディーネが、指先をアパルの口に突っ込んだ。
途端、息をしていなかったアパルが大きく咳き込み、盛大な泣き声を上げ始める。
胸を撫で下ろして安堵したいところだけど、ここではそうも言っていられない。
「やばっ!!」
咄嗟に声を漏らして周囲を見渡した俺は、俺達の居る小さな泉の畔に誰もいないことを確認する。
今は誰もいない。
だけど、赤ん坊の泣き声なんかが響き渡れば、必然、誰かが様子を見に来るはずだ。
「すぐにここを離れよう」
慌てつつもそう進言した俺に、シルフィが指を振りながら告げた。
「慌てることは無いよぉ~。ウチがもう、対処しておいたから。アパルの泣き声は、ウチらの周囲にしか響いていないはずさ~」
「さすがシルフィっチ」
「当たり前でしょ~。だってここは、敵地のど真ん中なんだよ? みんな、警戒が足りないんじゃない?」
普段怠けているシルフィにそう言われると、なんとも耳が痛い。
だけど、彼女が言っていることは至極真っ当なことだ。
すぐに気を取り直した俺は、取り敢えず近くの岸に向かって泳いだ。
そんな俺の後に、皆も続いてくる。
ようやく足が地面に付いたことで、俺は大地の存在に感謝を覚えた。
地獄は予想以上に起伏の激しい地形をしているらしくて、俺達がいる泉は少し高めの崖の上にあるらしい。
その泉の後ろには、さらに高く切り立った崖があって、遥か上の方に小さな横穴が見て取れた。
多分、その穴から落ちて来たんだと思う。確証はないけど。
そんなことを考えた後、俺は地獄の様子に意識を集中する。
見渡す限りに見えるものとしては、針のようなものが無数に突き立っている山や、煮えたぎる大釜、そして真っ赤に染まった池など。
俺が見たことのないような、壮絶な世界が広がっていた。
そんな地獄は、決して無人というワケじゃない。
多くの人間と思しき影が、苦悶の表情を浮かべながら凄惨な仕打ちを受けているんだ。
あまり見ている気にはなれないその光景に、俺が思わず視線を逸らしたところで、ロネリーが口を開く。
「それで、これからどうしますか?」
「そうだね。あまり迂闊には動けなさそうだよ?」
彼女に続くように、サラマンダーも俺を見上げてくる。
どうやらアパルの様子は落ち着いたらしい。
すっかりいつも通りの寝息を立て始めているアパルに、俺は苦笑いを浮かべながらも、考えを述べることにした。
「とりあえず、あそこを目指そう。どう見ても、閻魔大王が居そうな場所だしな」
そう言って俺が指さしたのは、少し離れた山の上にある巨大な建物。
荘厳という言葉が似合いそうな、立派な建物だ。
皆も俺の考えに賛成だったのか、すぐに頷いてくれる。
「見た感じ、切り立った死角になりそうな場所が多いゴブ。もしかしたら、見つからずに行けるかもしれないゴブ」
「そうだな。そのためには、ノームの力が必要になりそうだけど」
「おう、道案内ならオイラに任せとけ。出来るだけ安全なルートを見つけ出してやる」
頼もしい彼の言葉。
すぐにでも出発できそうな空気を噛み締め、早速一歩を踏み出そうとした俺は、だけど、彼女の一言で足を止めざるを得なくなった。
「チ? あれは……」
そう言ったペポが、崖の縁の方に歩み寄ったかと思うと、しきりに遠くの方を見つめ始めた。
「ペポ? どうかしたのか?」
「いや、何でもないチ。多分、アタチの気のせ……」
気のせいだ。と言いかけたペポが口を噤んでしまう。
そして次の瞬間、その大きな翼を広げた彼女は、俺達の方を見向きもせずに、飛び出してしまった。
「ペポ!?」
「ちょっと、ペポさん!? 何をしてるんですか!?」
「ペポは何を見つけたゴブ!?」
突然の彼女の行動に驚く俺達は、顔を見合わせる暇もないままに、崖の縁に駆け寄る。
見えるのは、鋭い角度で降下していくペポの後姿だ。
その先にある光景が、彼女の姿と重なってよく見えない。
仕方がないので、下に降りる階段をノームに作ってもらった俺達は、急いでそれを駆け下りた。
もはや、見つからないようになんて言うことは達成不可能だ。
周囲から聞こえて来る魔物や鬼たちの叫びを聞き流しながら、俺達はペポの後を追いかける。
そうしてたどり着いた先で、彼女は膝をついてしゃがみ込み、大きな翼で誰かを抱えるようにしている。
「ペポ!!」
若干の憤りと不安をぶつけるように俺が彼女に呼びかけると、ゆっくりとこちらを見上げてくる。
そんな彼女の瞳からは、いくつもの涙が零れ落ちていた。
どうした?
すぐにそう尋ねようとした俺は、彼女が抱え込んでいる人物に気が付き、息を呑む。
「……ホルーバ?」
若干疑問形で言葉が漏れ出てきたのは、ふざけているわけじゃない。
本当に一瞬、誰か分からなかったんだ。
想いの種で見た彼女とは似ても似つかない。
全身の羽毛はむしり取られたかのように無くなっていて、おまけに酷い火傷の跡が至る所に見られた。
特に翼は、焼け爛れているらしく、もう使い物にならなさそうだ。
そんな惨い光景を前に、俺達は全員絶句する。
周囲に倒れている魔物達を見る限り、ペポはホルーバを助けるために、思わず飛び出してしまったらしい。
「ダレンさん、すぐに彼女に手当てを!!」
「あ、あぁ!」
ウンディーネと共に手を差し出して来るロネリーに応えるため、俺とノームが彼女たちの手を取ろうとした瞬間。
件のホルーバが小さく口を開いた。
「……誰だ?」
一瞬、俺達の時が止まる。
そうして、次々と現れる魔物達が俺達を取り囲みだした頃、満身創痍のホルーバが目を見開き、まるで気が狂ったように叫び出したのだった。
「許せ!! アタイが、アタイが悪かったんだ!! 許してくれぇぇぇぇぇ!!」




