第112話 2つの提案
「おいダレン、今、ミノーラがお前の名前を呼ばなかったか?」
意識がはっきりした直後、ウンディーネの中から這い出したノームが、俺に向かって問いかけてくる。
彼が驚きを滲ませるのも無理はない。
なぜなら、今しがた俺達が見ていたのは、150年前の光景だと思われるからだ。
当然、その時代に俺は生まれていない。
なんなら、父さんや母さんも生まれてない。
それじゃあなんで、ミノーラが、俺の名前を知っていたのか。
深く考え込んでも到底分かる訳がない疑問だ。
頭の中を整理するべく、一度ノームから視線を外した俺は困惑している皆に、一通りの説明をする。
見た光景を言葉にするだけで、俺は予想以上に頭の中を整理できた。
そして、考えるべきポイントを次の2つに絞り込む。
1つは当然、狼の亡骸があった空間のこと。
そしてもう1つは、ミノーラが最後に俺の名前を口にしたことだ。
「それにしても、女神ミノーラは狼だったんですね」
「いや、絶対にそうとは限らない。声は聞いたけど、実際に姿は見てないから」
「そんなことより、どうしてダレンの名前を知ってたチ?」
「そんなこと、俺が知る訳ないだろ?
「オイラも知らないぜ?」
「きっと、本当に神様だから、未来が見えたんじゃないかな?」
「その可能性は高いですね」
「ヴァンデンスもミライみてた!!」
「そう言えば、そうだったゴブ」
「それに、ヴァンデンスはミノーラを蘇らせるように言ってたゴブゥ」
皆の言う通り、未来を見てたからというのは、あながち間違っているわけでもなさそうだな。
そうなると、ヴァンデンスの言葉が重みを増した気がした。
「とにかく、俺達がやるべきことは決まったみたいだな」
そう言った俺は、背後を振り返って、大きな岩に目を向ける。
そんな俺の様子を見れば、皆も意図を理解してくれるだろう。
おもむろに岩の傍へと歩み寄った俺は、その荒い表面を手でなぞる。
ざらざらとした感触が、掌に広がった。
その感触を楽しむように、手をスライドさせながら俺は横に移動していく。
そうして、少し歩いたところで急に、掌の感触が消えてなくなる。
理由は考えるまでもない。例の通路を見つけたんだろう。
見た目だけの岩の中に、肘まで腕を突っ込んだ俺は、皆の方を振り返った後、躊躇うことなく中へと足を踏み入れる。
さっき見たまんまだ。
細い通路の奥に、少しだけ爽やかな気配が漂う空間があった。
だけど、それだけだ。
縦穴の中を満たしていた水は枯れ果て、足元を覆っていた草花もない。
当然、泉の傍に横たわっていたはずの狼の姿もない。
残されているのは、やけに清々しい空気と、天井の小さな穴から差し込んでくる浅い光、そして、深くまで続いている縦穴だけ。
「本当に入れたチ……」
「でも、ダレンさんが見たものとは少し違うみたいですね」
「そうだな」
ロネリーの言葉に頷きながら、俺は縦穴の中を覗き込む。
もしかしたら、穴の底からミノーラの声が聞こえて来るんじゃないか。
なんてことを考えてみるけど、そんなことは起きなかった。
周りを見渡してみても、何もない。
そうとなれば、調べる場所は1箇所しかないだろう。
「ノーム。この穴の底に何があるのか、見て来てくれるか?」
「そう言われると思ったぜ。まぁ、オイラが適任だってことは間違いねぇけどな」
「ノームさん、いつもありがとうございます」
「いまさら何言ってんだよ」
少しだけ照れくさそうにしたノームは、肩を竦めながら俺の足元の地面に潜り込んでいく。
ノームが穴の底を調査している間、特にすることも無かった俺達は少しだけ休憩することにした。
ウィーニッシュの雷撃を受けて傷ついていたシルフィも、長いこと眠り続けていたことで元気を取り戻したらしいし。
束の間の安息を、俺達は享受する。
もしかしたら、みんな内心気づいていたのかもしれない。
これから先、後戻りができないようなことが起きるんだと。
妙な胸騒ぎを覚えた俺は、隣に腰かけて来るロネリーの手をそっと握りしめた。
少し驚いて見せる碧い瞳に、俺が小さく笑いかけたところで、ノームが調査から戻ってくる。
よいしょ。という小さな掛け声とともに、地面から這い出して来たノームは、まるで考え込むように腕組みをしたまま座り込む。
「どうしたんだ?」
「……いや、なんていうか」
「なにか変な所でもあったチ?」
「そんな易しいもんじゃないぜ、ペポ」
「敵がいたゴブ!?」
「そうでも無い。いや、いるのかもしれないけど、問題はそこじゃない」
「変にもったいぶるじゃん。ノームの悪い癖だよねぇ~」
「悪いなシルフィ、オイラは今、口げんかする気分じゃないんだよ」
珍しくシルフィの煽りを軽くいなして見せたノームは、座り込んだままの体勢で顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「ダレン。この穴の先に降りたら、流石のオイラ達でも戻って来れないかもしれねぇ」
「は? それはどういう意味だよ。階段なら作れるだろ? それとも、穴の下に巨大な空間があるとかか?」
「そういう意味じゃねぇよ」
俺の疑問に溜息で応えたノームは、少し考えた後に口を開いた。
「あそこは、そうだな。言うなら、地獄だ」
「地獄? それなら、今までもアタチ達は……」
「そうじゃねぇ、ペポ。良いか皆もよく聞け。この穴の先は、今のオイラ達が居る世界とは違う。別の世界だ」
「……別の世界?」
それはつまり、本物の地獄に通じる穴だという意味だろうか?
魔王達がこの世界に作ろうとしていた地獄じゃなくて。
元々あった、地獄。
もしノームの言うことが本当だとしたら、そこには……。
「エンマダイオウが、いるばしょか?」
俺の考えを代弁するかの如く、ガーディがポツリと呟いた。
「この穴の先に、閻魔大王が?」
「ちょ、ちょっと待つゴブ! どういうことゴブ!? どうしてこの穴がそんな場所に繋がってるゴブ!?」
「そんなこと、誰も知らないゴブゥ」
「知ってるとしたら、ミノーラ様だけチ」
困惑しながらも、何とか状況を飲み込もうとする皆。
そんな皆の顔を見渡した俺は、考えうる2つの提案を口にした。
1つは、150年前の記憶と同じように、この縦穴に水を張ってみること。
もう1つは、穴の中に降りて、地獄に行ってみること。
どちらを選ぶべきか、俺には分からない。
多分、皆にも正解は分からないだろう。
だけど、1つだけ分かることがある。
それは、この選択によって、結果が大きく変わるかもしれない。と言うこと。
そして、俺達が出した結論は……。




