第102話 想いの種:本当の敗北
激しい金属音と共に、火花がはじけ飛ぶ。
目の前で突然巻き起こったその衝撃に、『オレ』は思わず一歩後退ってしまった。
『なんだ!?』
今見ているものは想いの種なんだと、改めて自分に言い聞かせつつ、状況を確認する。
セルパン川に架かっている巨大な橋の上、街の入り口付近で巻き起こっているのは、2人の男による戦闘だ。
1人は、黒くて長い髪を靡かせている巨漢だ。身長は2メートル以上あるんじゃないだろうか。
まず間違いなくウルハ族だと思われるその屈強な男の手には、真っ二つに折れてしまった戦斧が握られていた。
更に、彼の足元には炎を身に纏っているトカゲのバディ、サラマンダーが居る。
もう1人は、肩口で切りそろえられた灰色の髪を持った細身の男。
背中から生えている黒い翼と尻尾が、この男の正体を現している。
そんな悪魔の男は、汗で頬に貼りつく髪を指でどかしながら、手にしていた剣の切っ先をウルハ族の男に向けた。
「しぶといですねぇ。流石はサラマンダーの継承者といった所でしょうか? このリューゲを相手に、たった一人で持ちこたえるとは。正直、驚いていますよ」
そう言った男、リューゲの背後には、無数の魔物達が待機している。
橋を完全に覆い尽くしてしまっているその魔物の軍勢は、ウルハ族の男によって足止めを喰らっているようだ。
と、その時。戦斧を握りしめていた男、グスタフがニヤッと口元に笑みを浮かべた。
「ワシも驚いてばかりだ。まさか、かのリューゲともあろう者が、こんなジジイ相手に苦戦しているとはのぅ」
「ちょっと、グスタフ! なんで挑発するのさ!?」
「何を言うておる? ワシの言葉なんぞに踊らされる程度ならば、こやつもただの小童に過ぎないというコトであろう?」
「そうだとしても、わざわざ怒らせて、苦労を増やす必要ないじゃないか!」
「いちいち癪に障る奴らだ……っ!!」
グスタフ達の言葉に顔を歪ませるリューゲが、怒りに身を任せるように、突撃を開始した。
手にしている剣による斬撃を孕んだ突撃。
しかし、そんなリューゲの攻撃は、いともたやすく弾かれてしまう。
「やるぜ!!」
リューゲを迎え撃つために、折れた戦斧を構えるグスタフ。
そんな彼が振りかざした腕に、サラマンダーが飛びついた。
直後、空気を殴りつけるような音と共に、振り抜かれたグスタフの戦斧は、リューゲを激しく後方へと吹き飛ばしてしまう。
しかし、ただやられるだけのリューゲじゃない。
短く声を漏らしながら、後方に飛ばされた彼は、背中の翼で体勢を整え直すと、大きく軌道を変えてグスタフの左側面へと移動した。
そして再び、突撃を繰り出す。
対するグスタフは、戦斧を大きく振り抜いていたため、体勢を整えきれていない。
『ヤバい! このままだと!!』
グスタフの喉元に目掛けて突き出されているリューゲの剣を見て、『オレ』が思わず目を背けそうになった瞬間。
いつの間にかグスタフの身体を這い上がっていたサラマンダーの鱗が、奴の剣を弾き返してしまった。
「くそっ!!」
「僕らに死角なんて無いんだよっ!!」
「ほれ、餞別じゃ!!」
舞い散る火花と金属音。
リューゲの剣とサラマンダーの鱗が衝突したことにより発生したそれらが、一瞬辺りを照らす。
直後、戦斧を振り抜いていた勢いを殺すことなく、踵を返したグスタフが、その戦斧の一撃をリューゲの右側頭部へとぶち込んだ。
「がはっ!!」
と漏らして魔物の軍勢の元へ転がったリューゲは、頭を押さえながらグスタフを睨む。
「小童にしては、よくやる方だ。だが、ワシに勝つにはまだまだのようだな」
勝ち誇るようにリューゲを見下ろすグスタフ。
対するリューゲは、頭から大量の出血をしながらも、その場に立ち上がった。
まだグスタフを倒すことを諦めていないらしい。
再び身構える両者に、『オレ』が息を呑んだその時。
頭上から何者かが声を掛けてきた。
「随分と時間が掛かってると思ったら、こんなところで足止めくらってたのか」
「き、貴様は!?」
空からゆっくりと降りて来たのは、『オレ』が見たことのない男だった。
まだ子供なんだろうか。小柄で翼を持たないその男は、頭に猫のような大きな耳とリスのような尻尾を持っている。
風を身に纏っているらしいこの男も、多分悪魔の類なんだろう。
そんな男を見上げたグスタフは、表情を固くしながらも、口を開いた。
「ようやっと現れたか。少しばかり、退屈しておったところだ」
「言われてるぞ、リューゲ」
「貴様に皮肉を言われる筋合いはない!!」
頭の傷を押さえながら、猫耳の男に言ってのけるリューゲ。
対する猫耳の男は、半ば呆れたような表情を浮かべた。
「なんだよ、せっかく助けに来てやったのに」
「仕方があるまいよ。配下の不出来は、その主の責任が大きいのだからな」
「っ!? 貴様ぁ!!」
「落ち着けって、リューゲ。どっちみち、お前じゃこの爺さんに勝てないだろ?」
全く表情を動かすことなく、リューゲを宥める猫耳の男。
そのままリューゲの隣に降り立った猫耳の男は、身構えているグスタフに向かって声を掛けた。
「なぁ、もう諦めてくれよ。そうすれば、俺達もあんたらに構うこと無くなるんだからさぁ」
「そうはいかん。ワシも皆も、貴様らの魂胆を知ったのだ。このまま全てを諦めるわけにはいかん」
「まぁ、そう言われたら何も言い返せないんだけど。でも、今回で分かっただろ? そもそも150年前の時点で、アンタらは負けてるんだよ」
「負けを認めた時こそ、本当の敗北となる」
「さすがと言うかなんて言うか。頑固なジジイだなぁ」
ヤレヤレとばかりに肩を竦めた猫耳の男は、人差し指を1本突き立てながら、グスタフに告げた。
「これが最後の警告だ。降伏しろ。そうすれば、俺はもうお前達から手を引くことを約束しよう」
「笑止。ワシが今ここで、あの小童どもの想いを踏みにじる訳にはいかんのでな」
「そうか。それじゃあ、安らかに眠ってくれ」
そう言った直後、猫耳の男は空に向けていた人差し指を、グスタフの方へと降ろした。
すると、轟音と共に閃光が空を裂き、一筋の雷がグスタフに向けて放たれる。
そのあまりに大きな音と光に、驚いた『オレ』は、その後のグスタフの様子を見て更に驚く。
まるでサラマンダーの背中を盾のように構えているグスタフ。
「僕達には!!」
「効かん!!」
雷が空気を焼く中でそう叫んだ2人は、しかし、猫耳の男の姿が無いことに目を見開いている。
「マジか、もしかしてサラマンダーの鱗って絶縁物なのか? そいつは厄介だなぁ」
「なっ!?」
バチバチという音と共に、頭上から降ってくる声に気が付いたらしいグスタフが、咄嗟に空を見上げた。
それとほぼ同時に、グスタフの背後に降り立った猫耳の男が、そっと、その尻尾をグスタフに触れさせる。
直後、今度は控えめな音と共にグスタフの全身に光が走った。
「ぐはっ……!」
一瞬、全身を痙攣させたグスタフが、そのまま前のめりに倒れこむ。
サラマンダーも彼と同じように動けなくなったようで、地面に倒れこんでしまった。
そんな2人を見下ろしながら、ふぅ、と息を吐いた猫耳の男は、唖然としているリューゲに視線を戻す。
「リューゲ。この爺さんはお前達に任せるな。あ、お前が倒したってことにしといてくれ。バーバリウスはその辺うるさいだろ?」
「な、何を」
「いやだから、俺が倒したなんて言ったら、怒られるのはお前だから。その辺便宜を図ってやるって言ってんの」
そう言った猫耳の男は、腰に手を当てて空を見上げたかと思うと、大きく背伸びをする。
そして、どこか遠くを眺めながら、小さく呟いたのだった。
「150年前に負けた……か。それを俺が言うのも、変な話だよなぁ」




